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【2021/10/27】先生と呼べる人

脚本を書いているというその事実だけで、「先生」と呼んでくれる人がいる。どんな話を書いているのか、どんな舞台をつくっているのか、さほど知らなくとも、脚本家は「先生」だという通念がある。

自分は「先生」と呼んでもらえるような立場にないし、本当は呼んで頂きたくはない。でも呼んで下さる皆さんの中でわたしを「先生」と呼びたいと思うのならそれは有難いことだし、拒絶する必要もないと思うので、受け入れている。正直、呼び方がなんであれ、大事なのは関係性である。

わたしは教員免許を持っている。が、教職に就いたことはない。教育実習ではまだ学生であったわたしを生徒たちは「先生」と呼んでくれた。身の引き締まる思いだったし、心地も良かった。それくらい「先生」とは特別な言葉である。

医者、弁護士、政治家、教員、漫画家や脚本家、など、そう呼ばれる職業は多くはない。

わたしにも先生と呼び慕った方々がいる。

かつて学校で教えてくれた先生たち。
細かく言えば、病院の先生、塾の先生、スイミングの先生、教習所の先生、病気やケガを治療してくれた先生。でもこれらの先生方は通り過ぎていった人たちで、今も関わっている人はいない。

今でも関わる先生と言えば、わたしに芝居や脚本を教えてくれた先生だ。

養成所で芝居とは演技とは表現とは何たるかを教えてくれた先生。舞台に立つとは、舞台をつくるとは、どういうことかを教えてくれた先生。わたしの中の「先生」の代名詞はこの人である。

だが、先生と呼べなくなる時期がやってくる。

先生は、舞台や撮影で仕事をするようになった自分の生徒には「先生」と呼ばせないようにしていた。先生と教え子ではなく、同じ仕事をする仲間であるから。だからお芝居の仕事を頂けるようになってからは「先生」ではなく「〇〇さん」と名前で呼ばなくてはならない。

最初は、学校の先生を「お母さん」と呼んでしまう子どものように、同じ現場で「先生!」と呼んでしまって、あっ、となることが多くあった。けれども次第にさん付けも慣れて、今では先生と呼ぶことはなくなった。

だけど当時は早く「先生」ではなく「さん付け」で呼べるようになりたいと、仲間の誰かが仕事デビューし先生呼びをしなくなった姿を見て、気持ちが焦ったものだった。

先生と呼ばなくなっても、今でも私の中では先生である。たくさんの学びと愛情を与えてくれた親と言ってもいいくらいお世話になった先生。もちろん今でも交流はあるし、これからも続くだろう。

大抵の先生は通り過ぎていく。

今でも、そんな「先生」と慕う人がいること自体、幸運だと思う。

もし誰かの先生になる時が来たとしたら、わたしも先生のような先生なりたいと思う。

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