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【鑑賞ログ数珠つなぎ】恋せぬふたり

ある作品を観たら、次はその脚本家や監督、役者の関わった別の作品を観たみたくなるものである。まるで数珠つなぎのように。
前回:映画『アメリカン・ビューティー』

https://note.com/marioshoten/n/n87768ece541d

【数珠つなぎ経緯】

ずっと追いかけて見ていたのに、最終回だけ見逃して、録画もできてなくて、そのまま泣き寝入りをしていた。

そうこうしている間に、この作品は、

第59回ギャラクシー賞テレビ部門特別賞を受賞
ギャラクシー賞3月度月間賞を受賞
脚本の吉田恵里香さんが第40回向田邦子賞を受賞

という数々の賞を総なめにし、ますます

「なんで最終回に限って見逃したんだバカヤロー!!」

という思いに苛まれた。

と、知り合いの方が録画していたそうで、焼いてくれて、ようやく最終回にありつくことが出来た。何なら全話見返した。最高だった。毎週見てた時は泣くことはなかったのに、今回は泣いちゃった。

【あらすじ】

―――恋愛しないと幸せじゃないの? 人を好きになったことが無い、なぜキスをするのか分からない、恋愛もセックスも分からずとまどってきた女性に訪れた、恋愛もセックスもしたくない男性との出会い。 恋人でも…夫婦でも…家族でもない? アロマンティック・アセクシュアルの2人が始めた同居生活は、両親、上司、元カレ、ご近所さんたちに波紋を広げていく…。 恋もセックスもしない2人の関係の行方は!?
※アロマンティックとは、恋愛的指向の一つで他者に恋愛感情を抱かないこと。アセクシュアルとは、性的指向の一つで他者に性的に惹かれないこと。どちらの面でも他者に惹かれない人を、アロマンティック・アセクシュアルと呼ぶ。(番組HPより)

【感想】

まずね、高橋一生さんがいい。好きです。
ハードボイルドな役をしているより、こんな感じのほうが好き。
こんな感じと言うのは、落ち着いた、大人の、どこかクセのある、役。

芸能だったり、脚本を書いたり、そういう仕事はいろんな職業や価値観に触れる機会がある。どんなに(社会における一般的な)仕事が出来なくても、とびきり面白かったり、美しかったり、何かに超絶秀でてたりすれば、生きていける場所がある(ことが多い)。いわゆる受け皿が広めというか。

つまり何が言いたいかと言うと、いわゆるマイノリティと言われる方々に、拒絶反応を起こしたり、否定的な考えを持ったり、していない、と思う。これはあくまで自己分析であるし、まだまだ知らない世界もこの大海原に広がっているのだから、胸を張っては言えないとは思う。”過信しない”というのも大切であると、知っている。

あらすじにあるような「アロマンティック・アセクシャル」について、このドラマを通して知ったし、「自認」(自身がそのセクシャリティであると認めること)というワードであったり、「アウティング」(本人の了解を得ずにその人のセクシャリティを暴露する行為)が問題であったり、そもそもアロマアセクと一言に言っても多様であったり、と学ぶことしかなかった。

ただ、どんだけセクシャリティの種類が分類され、増えて、その権利を主張することが出来るようになったとしても、本当に大切なことはそこではなくて、むしろそれを大切だと思うことは危険なことで、人そのものときちんと向き合うことでしか、何事も始まらないと気付かされた。

わたしは女で、異性愛者だけれど、もしかしたら何か変化が起こることもあるかもしれないし、色んなセクシャリティを持つ人と出会うことで変わるかもしれない。

このドラマの話からは逸れたけれど、そういう多様性の受け入れがこれから本当に必要になると思う。「普通」という言葉を当たり前に使いたくないし(使ってしまうけど)、「〇〇すべき」とか「〇〇らしさ」みたいな言葉も危険を孕む。神経質すぎるかもしれないけれど、それで丁度良いくらいの世界だから。

そして難しいのが、「理解しない」とか「受け入れない」という考えの人たちも、『多様性』の中では受け入れないといけないのではないかという議論。「認めてよ!!!」は認めない人を否定しているのかもしれない。水掛け論って言うのかな。難しい。本当に。だけど自分の周りにいる人にだけでも、お互いを受け入れていきていくことができたらいいな。

【次の作品】

決めない。

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