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「悔しさ」の要因を分析する

「悲しい」「苦しい」「ツラい」など何か強い感情が生まれると(特に負の)なぜそのような気持ちになるのかを分析する傾向がある。

悔しさがこみあげてきて、自分でもどうしようもなく、悶々としてしまうことがある。それが今。悔しくて腹が立っている。キーボードを打つ力も心持ち強く、パソコンに向かってひとり仏頂面している。きっと今誰かに会ったら「なんか怒ってる?」か「なんかあった?」と気遣わせてしまうレベル。この気持ちを静めるために酒でもちょっくら引っかけてやろうか、でも冷蔵庫にワインしかない。偏見かもしれないが、こんな感情の時に飲む酒じゃないなと判断できるくらいの冷静さはある。

そして、どうしてこうも今自分は「悔しい」のだろう、という思考が働き始める。自己感情分析がスタートする。

・自分のアクションに対して想定していた反応が来なかった
・自分のアクションを否定された
・自分のアクションを認めてもらえなかった

これ以外にも、スポーツなど勝敗のある分野において負けたときに「悔しい」と感じるし、自分ではなく親や友人が否定されることに「悔しい」と思う人もいるだろう。

今回は自分のアクションがあり、それに対する評価について起因する感情ではあるが、そのこと自体が悔しいわけではない(と言いきったらウソになるけど)。

じゃあ、なにが「悔しい」のか?

―― 結論、自分への期待がゆえに起こる感情。

簡単に言うと「もっとできるはずなのに」である。言葉にすると陳腐で幼くて理論もクソもないけれど、結局のところ、自分への期待(あるときは自信)があるから、悔しいと思うのではないか、と。否定されたことが悔しいのではなく、否定されない方法を持っていたのにできなかった自分に悔しさを感じているような気がする。

もしそのアクションに全力を尽くすことができていて、「もうこれ以上できません、わたしの精一杯です」と言える状態であれば、悔しくないのだ。それは自分の実力だと受け入れるのみ。

じゃあそれやれよ、って思う自分もいる。出し尽くした上で評価されろよ、って。そうできなかった自分にも悔しいのだ。結局、自分。

わたしは誰よりも自分に期待していて、
本当は自分で自分を認めてあげたい。

でもそれが出来ない。サボるし、手を抜くし、よく寝るし、食べるし。理想はストイックに打ち込める自分。ちゃんと結果を出す自分。それがたまーに出来ちゃったりするからまたその自分に期待してしまう。ずっとイタチごっこ。

自分では分析できていたし、結論はとってもシンプルなんだけれど、文字にすると何言ってるかよく分かんない状態。一言で言うと、

悔しさの要因は自分への期待。


結局、わたしは自分に期待できる自分でいたい。そして自分が好き。だからこそ悔しい。

そしてこれを書いている間に少し悔しさが落ち着いていた。人の感情って不思議。。。

トップ画像:通りもん
ご存知、博多の名物おみやげ。「通りもん」とはどんたくで笛や太鼓を鳴らして、練り歩く行列のこと。感情も身体の中を通りもんのように練り歩き、いつか遠くへ行ってしまうけんね。わたし、福岡出身たい。

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