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【2021/3/16】脳みそ時々、身体いっぱい

VRの世界に初めてお邪魔した。

これまでお試し的なやつをやってみたことはある。数年前のことだが、サッカーの場外イベントでやっていたVR体験ブースで、スタジアムに立っている感覚を味わえるというもの。360度にスタジアムが広がっていて、選手になったような気持ちになれてテンションが上がった。だからある程度、VRがどういうものかを知っている。

つもりだった。

ホント、この「つもり」って厄介。つもりになっている自分は、結局つもりでしかない。

その”お試し”から3年は経っている。技術も普及度も桁違いに進んでいるにも関わらず、知ったつもりであった。

今、2021年の、VRは想像を遥かに超えた、宇宙レベルの世界が広がっていた。

初めてファミコンをしたときの感動が、そこにはあった。

操作方法が分かるような分からないような状況、まるで赤ちゃんがハイハイを覚えるようなスピードで、少しずつ状況を把握していく。

表示される指示に従って、手(コントローラー)から出るビームで自分の活動エリアを線引きして、床との距離感を認識させる(ゴーグルにカメラが付いていてリアルの世界を見ながらなので、ここはAR的)。

全てはコントローラーを駆使して、目の前に浮かんでいるディスプレイを操作する。それはもう映画『マイノリティ・リポート』の世界で、わたしはキアヌ・リーヴス。まだ操作に慣れていないくせに、手の動きだけはやけに滑らか。だから全然操作できていないのだけど。

VRとはいえ、基本的にはスマホと同じ。インストールしたアプリを起動させて遊ぶ。VR用のYouTubeもあるし、色んなゲームもある。VRらしいものということで、ジェットコースターに乗ってシューティングするゲームをやってみると、いとも簡単に酔った。楽しくて没入するのだが、それがあって長時間やるのは無理だった。三半規管は揺さぶられていないはずなのに、不思議だ。脳が混乱するから、乗り物酔いと同じシステムなのか。

VRの世界の住人にすんなりなってしまう人はいるだろう。酔いや目の疲れが問題ないとすれば、理想的な家に住めるわ、VR上で容易くコミュニケーションも取れるわ、仕事だってできるわで、あっという間にそこに存在できる。

聞くところによると、寝る以外はゴーグルをして暮らしている人もいるらしい。VRが現実で、現実が夢のようなものだ。近未来が描かれた映画やドラマでそんな描写があるけれど、本当にリアルになりそう。いや、なるのか。

今はまだゴーグルが重くてちょっと厳しそうだけど、これから軽量化されて、目が疲れないような解像度の映像になってくるだろう。さらに、嗅覚や触覚まで感じられるようになれば、リアルの身体はそこに留まっていても、動いたり、食べたり、触ったり、感じたりできる。

あぁどうしよう。

何かで見た「脳みそだけ人間」になるって世界が、本当に来てしまいそう。
よくある宇宙人のフォルムは未来の人間なのだ。(トップ画像)

だって仮想世界で生きるようになったら、身体はいらない。
まぁそうなるまでにはあとウン千年かかるだろうから。

このご時世、じっと座っている時間は増えてしまうが、なるべくたくさんたくさん身体を使って活動しよう。脳みそ時々、身体いっぱいで。

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