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鑑賞ログ数珠つなぎ「世界は笑う」

ある作品を観たら、次はその脚本家や監督、役者の関わった別の作品を観たみたくなるものである。まるで数珠つなぎのように。
前回:本「野球の子」

https://note.com/marioshoten/n/n959bbe5bb052

数珠つなぎ経緯

もう数珠はどうでもよくて、単なるログになっちまってる。
8月は3本、舞台に足を運んでいる。小劇場だと思い立った時に、それが直前でもチケットが取れることが多いが、今をときめく俳優陣が名を連ねる舞台はそうはいかない。

5月末。チケットぴあで第3希望まで日程と座席の種類を選んで申し込み、あとは抽選結果待ち。第1,2希望はS席(¥11,000)にして、第3希望だけコクーンシート(¥5,500)と呼ばれる見切れ席を選んでおいた。

抽選は熾烈を極めるだろうし、当たらないだろうと期待していなかったが、数日後に第3希望当選のお知らせが届いた。

公演までは2ヶ月以上ある。予定に書きこんでおいたが、記憶からは消えかけていた。が8月上旬、この公演がコロナの影響で初日がずれ込んだという記事が目に入る。そしてわたしも自宅療養中だったという…。他にもたくさんの公演が中止や延期を余儀なくされていた。身につまされる思いだった。

そして観劇当日。
Bunkamuraシアターコクーンでの観劇は初めてで、テンションが上がった。

あらすじ

舞台は、昭和30年代初頭の東京・新宿。敗戦から10年強の月日が流れ、巷に「もはや戦後ではない」というフレーズが飛び交い、“太陽族”と呼ばれる若者の出現など解放感に活気づく人々の一方で、戦争の傷跡から立ち上がれぬ人間がそこかしこに蠢く…。そんな殺伐と喧騒を背景にKERAが描くのは、笑いに取り憑かれた人々の決して喜劇とは言い切れない人間ドラマ。
戦前から舞台や映画で人気を博しながらも、時代の流れによる世相の変化と自身の衰え、そして若手の台頭に、内心不安を抱えるベテラン喜劇俳優たち。新しい笑いを求めながらもままならぬ若手コメディアンたちなど、混沌とした時代を生きる喜劇人と、彼らを取り巻く人々が、高度経済成長前夜の新宿という街で織りなす、哀しくて可笑しい群像劇。

HPより

KERAさんの作品は、本多劇場で2018年に10~11月に上演されたKERA・MAP「修道女たち」。セットが素敵で、”イケてる”舞台だった記憶…。

そして普段テレビで見ている役者さんたちが舞台上でどのように見えるのか、とても楽しみだった。

コクーンシートの罠

以前大阪松竹座の見切れ席に座ったことがあったのだが、前方にモニターが置かれていて、見えない部分はフォローできた。だが、シアターコクーンにはモニターがなく、わたしが座った席は下手側おおよそ三分の一が見えなかった。値段は半額なのだから、三分の二も見えてバンザイ、と思わねばなるまい。

思った以上の見切れではあったが、舞台の序盤はほぼ中央で芝居が繰り広げられる。昭和が溢れる街並みで、勝地涼さんと伊藤沙莉さんがテンポの良い掛け合いをする。

プロローグが終わるとオープニングアバン。紗幕に名前が映し出され、それに合わせて演者がポージング。3Dマッピングも使われて、見ている側のテンションも踊る。

アバンを見て、「修道女の時もアガったなぁ」と思い出す。

見えない三分の一は想像で補う。普通に見るより集中できていたのかもしれない…

大倉さんカッコよすぎた

いやぁ~ほんとそのまんまの感想。
舞台の立ち方、立ち姿、セリフ、もうすべて、カッコイイ!!
今で言うパワハラモラハラ満載の昔気質の芸人の役なので、あまり好かれるキャラクターではないだろうけど、好きぃぃぃ!ってなるほど魅力的に演じられていた。

一応持って行っていたオペラグラスの使用頻度は大倉さんが7割と言ったところ。

生きざまのお話

「世界は笑う」の登場人物はみんなそれぞれ歪んでいて、不器用で、堅物で、面倒で、、、でもひたすらに「笑わせたい」とだけ願う芸人たち。わたしもそういう気質の人たちをたくさん見てきたし、自分の才能や運が信じられなくて苦しむ気持ちも、逆になぜか無双に感じて奢ってしまう気持ちも、逃げてしまいたくなる気持ちも、変わりたい気持ちと変わりたくない気持ちも、痛いほどよく分かる。

でも悲しいかな、時は待ってくれない。

誰かは消え、また新しい人が現れ、消えたと思ったら復活し、そうやって流れていく。水商売とはそういうもの。

そんなことが身に染みながらも、同じくらいたくさん笑った。
本当に皆さん素晴らしくて、役を通して生きざまが伝わってきて、パワーをもらった。

最後まで無事に公演が行われますように。

次の作品

迷う。

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