【2021/7/4】祇園精舎の鐘の声
祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。
ふとこの平家物語の冒頭文を思い出した。
とは言っても思い出したのは「祇園精舎の鐘の声」だけだけど。
学生時代、これ暗記したのって高校だっただろうか。もうそんなことも覚えていない。学校で読んだたくさんの漢文や詩、小説はもう頭の中には何一つ残っていないし、頑張って覚えた歴史の年号も、算数の数式も、元素記号も、もう担任の先生の名前すら、あやうい時代がある。
そういうことすべてが、諸行無常なわけで。
若いころの自分を振り返ると、色んなことに固執していたので、よく言うと粘り強かったり、負けず嫌いだったり、頑張り屋だったりって感じだった。悪く言うと、頑固とか僻みっぽいところがあったと思う。
だけど年を取るごとに、執着みたいなものが少しずつ取れてきた気がする。これもまたよく言うと、丸くなったとか柔軟になったとか余裕ができたとかその辺りで。逆は、諦めが早くなった、無頓着、適当、のような表現だろうか。
つまり、諸行無常に近づいていると感じる。
人が老いたり死んだり、幸せになったり不幸になったり、常に移ろいゆくものだということを、身をもって経験していく中で、悟りを開いていくのだろう。それを悟りと言えるかどうかは分からないけれど。
悟りは諦めか?
それとも、開眼か?
人に期待しないことは寂しいことか。自分を俯瞰で見て多くを求めず身の丈にあった世界にいることは残念なことなのか。現状に満足することはダメか。お金がないと不幸なのか。
すべてに答えはなくて、ある時は正しくもあり、ある時は間違いでもある。それが諸行無常。
でもたまにはそんな移ろいに反発したくもなる。
それすらも諸行無常なのかもしれないけれど。
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