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【2021/2/17】「丸くなったね」をどう捉えるか問題

あなたは久しぶりに会った人に「丸くなったね」と言われました。
なんと答えますか?

太ってないわ!


って答えた人は実際太った人。

今回書きたいのは、外見的な「丸くなった」ではなくて、内面的な「丸くなった」について。

お世話になった先生に久しぶりに会いに行った時のこと。芝居を教えているクラスにお邪魔すると、レッスンを見ていくように言われた。生徒たちのエチュードを見て、基本的には褒めるコメントを言っていたら、

丸くなったなぁ


と驚かれた。
昔はもっと鋭い指摘をしていた、褒めることはあまりなかったと。

「丸くなった」という表現は、性格が穏やかになったとか角が取れたとかいう意味合いであり、ストレートに受け取れば誉め言葉であろう。

しかし。先生の「丸くなった」にはそれだけではない意味が含まれていたように思う。

そもそも持っていた「鋭い目線」や「毒気のある物言い」がなくなったなぁ、と。”それがあった時のマリオのほうが良かった”もしくは”マリオらしくない”と言われているようでドキリとした。

正直。

厳しい目線で見て、いわゆる”ダメ出し”のようなコメントも言えた。でも、指導する立場でない、突如現れた先輩風(ふう)のー風は吹かせていないつもりーわたしがそれを発するのは場違いな気がして、基本的に『褒める』方向に舵を切った。

バレー一筋だった高校生の頃、卒業生が体育館に遊びに来て「監督、丸くなりましたねぇ」なんて言おうもんなら、監督がそんなことはないぞと言わんばかりに練習を厳しくしたことが何度もあった。だから「卒業生もう来るな!」と心の底から思っていた。そんな老害みたいにはなりたくないと思っていた。

ちょっと状況は違うけれど、卒業した先輩が後輩にかける言葉は慎重にすべきである。その言葉が後進たちにどう影響するか、わたしも考えられるような年になったということか。

年上の人と接することが多かった20代までと比べて、30代になってからは年下の人との交流が増えつつある。若い子たちが通っている道はかつてわたしも通ってきた道。厳しさだけが正解ではないのも、怒ってくれるの存在の大切さも、痛いくらい分かっている。

尖った先輩が教えてくれたこと、厳しい先生や師匠が指導してくれたこと、そのお陰で今のわたしがあるとも思う。時代が変わったとは言うけれど、変わったのは人と人との関係性なのかもしれないなと思う。

しかし改めて思うことは、

一番丸くなったのは先生。

それは間違いない。

最後に、検索していたら見つけたこの言葉で締めよう。

丸くとも一角あれ
性格が円満なのは結構であるが、それだけでなく少しはしっかりした部分、すなわち角立った面がほしい。

丸さを持ちつつ、どこかに鋭いトゲを持っていよう。いつでも出せるように磨いておこう。能ある鷹は爪を隠す、だろ?


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