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パンドラの箱

開けると災いが飛び出すパンドラの箱。よって、触れてはいけないとされている。

だれの家の中にもそんな類の、何が入っているか分からない箱や袋がいくつかあるもの。それが同棲や結婚をしていて自分のものではないとしたら尚更。開けるのは得策ではない。

だがわたしは幸い(?)今自分の家にあるモノは基本的には全部自分のモノである。今の家に引っ越してきて5ヶ月ほど経つ。もう荷物の整理もほとんどついているはずだが、何となく触れられることなくきているモノも実は結構ある。

先日、そのうちのひとつをようやく開けた。とは言っても何が入っているかは察しがついている。それは「お土産」である。昨年末に行ったトルコで買ったクッションカバー。色合いと柄が気に入って買ったはいいものの、肝心の中にいれるクッションがない。買わなきゃなーと思いつつ時は流れた。そんな折、”クッション代わりにタオルを入れて使っている”と友人から聞き、さっそく実践しようとした。

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クッションカバーとともに、あるモノが出てきた。買ったことをすっかり忘れていたシロモノだ。

お土産あるあるだが「なんでこんなもの買ったんだろう」と買ったことを後悔するモノが一つや二つ、必ずある。それは、その際たるモノであった。

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あぁ恥ずかしい。
なんで自分が飾られた写真立てを買ってしまったのか。

思い起こせば、トルコに着いて1日目の昼食だった。レストランにカメラマンが入ってきて、頼んでもないのにシャッターを切っていく。そして帰り際に「どう?」と売りつけてくる。確かに写りは良かった。が、なんてことない写真だ。ビール瓶なんか持ってポーズ取っちゃって恥ずかしいのに。だが家族や同じツアーに参加していた人たちから、いいじゃんいいじゃん!と言われ、悪ノリで勧められる。そして極めつけは安さ。200円くらいなのだ。それは記念すべき、トルコで買った初めてのお土産となった。

そのプラスチックでできたプレートを旅中、わたしは持ち歩くことになる。決して重くないし、かさばらない。だけどどこかで「やっちまった」が付きまとった。

クッションカバーさえ出さなければ、タンスの奥でひっそりとしていただろうに。でも開けてしまったからしょうがない。今はわたしの机の目の前の窓辺に飾られている。とびっきりの笑顔で。よく見たら200円のクオリティーで。

トップ画像:トルコレディになった母娘
土産物屋で売ってあった帽子をかぶって撮った。さすがにこれは買っていない。自分で言うのもなんだが、とても似合っているけれど。この頃にはおのぼり気分も消えて、冷静に判断できるようになっていたみたい。

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