【2021/7/1】賭けてばかりの人生
人生は賭けだなぁとつくづく思う。
それは、天気。
雨予報が30%くらいの時。雨が降るか降らないか、分からない。雲はかかっているが、空の明るさも覗いている。そういう時。一か八か、洗濯物を外に干して出かけることがある。
夕方。用事が終わって建物から出ると、雨がしとしと降っている。しかも一時の雨ではなさそうだ。どうやら室内にいた多くの時間、雨が降り続けていたようである。家に帰って、濡れた洗濯物を取り込んで、再び洗っている時、「負けた」ことを実感する。わたしは賭けに負けた。日常の小さな勝負をひとつ落としたのだ。
信号が目の前で赤に変わった時、電車のドアが目の前で閉まった時、買いたかった商品が売り切れだった時、お目当てのお店が定休日だった時、いつだって思う。負けた、と。
そういう、日常の小さな賭け事は大抵負ける。だからたまに勝つと、その日はとてもラッキーだなと気分が良くなるくらいだ。それと同時にこの出来事を思い出した。
かつてわたしがヴィッセル神戸の取材をしていた時のこと。2012年、ガンバ大阪を長年率いていた西野朗氏が神戸の監督に就任し、大きな話題になった。就任してすぐの囲み取材で、監督をやっていない間も「勝負」していたと語っていた。それはエレベーター。右が早く来るか、左が先に来るか。それを賭けていたと。
当時取材で大変お世話になっていた永田さんの記事。この話を知っていたから、ヴィッセル取材の時もエレベーターの話を振ったのかな、と今思ったり。
いや、わたしのメンタリティ、西野監督と同じやん!!
日々の出来事を「賭け」と言ってみたり、あるいは「選択」と言ってみたり、もしくは「運」と言ってみたり。どう捉えるかは本人次第で、それが自分にとって心地よくあればいいのではないだろうか。
生まれてきたこと自体がものすごい確率なわけで、今生きていることも、誰かと出会うことも、恋することも、働くことも、そして老いて、いつか死んでいくことも、全部が全部、運命であり、自分が選んだ道であり、でも賭けてきた結果でもある。
ただひとつ、言えることは
どの勝負も、負けはあれど間違いはない、ということ。
わたしはやっぱり勝負から逃げるよりは戦って負けたい。その負けは間違いでも過ちでもなく、糧となり、いずれ血となり骨となっていくから。
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