となりのカゾク
となりのトトロ、ならぬ、となりのカゾク(家族)。
今の家に引っ越して、半年が経った。うちの家は新しくはないが、デザイナーズマンションで(ちょっとだけ鼻にかけて)ちょっと造りが変わっている。建物の真ん中にエレベーターがあって、それを囲むように部屋がある。つまり、円形のマンションで、角部屋がない。
わたしの部屋のキッチンからは左隣の部屋のベランダがすりガラス越しに見える。隣の住人がタバコを吸うためにベランダに出て来ると、サッと人影が現れるのでドキッとする。それは住んでから分かったサプライズのひとつ。
そして、すりガラスじゃないもう一方の隣の部屋に、最近ファミリーが引っ越してきた。郵便受けのお名前をみると・・・日本の方ではなさそうである。私の寝室ある部屋と接している。
ある朝、赤ン坊の泣き声とともに、お父さんとお母さんのケンカっぽい大きめの声が聞こえてきた。英語でもなく、韓国語でもなく、フランス語でもない。まったく、1ミリも、理解できない言語が壁越しに聞こえてくる。
朝から、迷惑だなぁ。
・・・と、まったく、1ミリも、思っていない自分がいた。
それはきっと言語が分からないからだと思う。騒音に近いものかもしれないが、車や工事の音ではなく、人から発せられる音なので耳が不快と感じていなかった。きっと日本語だったらその内容を聞こうとしてしまうし、英語とか少し分かるようなものだったらワードを理解しようとリスニングしてしまっていた。
理解できないことが、プラスに働くことがあるのだと実感した。すべてがちょっとした子守歌のようで、赤ン坊が泣き止むことを祈りながら、わたしは二度寝にとりかかった。
逆に考えたら、わたしが歌っていようと、台本を読みながらセリフの練習をしていても、大きな声で独り言を言っても、大丈夫ってこと。となりの家族は理解できないのだから。先日、エレベーターですれ違った。中東系の人の良さそうなご夫婦と目がクリクリとした可愛い赤ン坊だった。わたしはスマイルひとつと会釈をした後、ふと思った。
・・・待てよ。日本語わかるかもしれんやん。
そもそも「音」には気を付けないといけない。お隣さんには迷惑をかけないようにしよう。
今日のトップ画像:近所の猫
一度うちのマンションに迷い込んだ猫がいた。オートロックな上に円形で逃げ場がないので、入ったはいいものの出られなくなったようだ。袋の鼠ならぬ、袋の猫。わたしはその猫を抱え、外に出してやった。この写真の猫だったかは定かではないが。