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【2021/3/28】ムダなモノ

ムダな作業、ムダな会話、ムダな説明、ムダな食事、ムダな睡眠、ムダな人間関係、ムダな服、ムダなお菓子、ムダな、ムダな、ムダな、、、、

ぜんぶ削った方がいい。

シンプルに、それでいて要点が伝わる。

必要なものだけに囲まれて、成立する。

流れがスムーズで、心地が良い。

だけど

ムダをぜんぶ削ったら面白味もなくなる。

ことがある。

こと脚本の世界において、そのさじ加減は難解極まりない。わたしのような中途半端な藤四郎には未だに何が何だか分からない。

脚本には枚数の規定があって、その中で自分の世界を作り上げないといけない。第一にはストーリーを理解してもらい、第二に何かしら感じてもらいたい。

ムダな会話。ムダな説明。悪。

読み返してみると、そんなならず者があちらこちらに散らばっている。ページを埋めるためにだけに書かれたような回りくどい説明、自己満足だけでのさばっているあってもなくてもいいような会話。

でもそんな奴らでも、生み出したのは正真正銘あっしでやんす。情がないと言ったら嘘になりやす。少しずつ、削っていきやす。意味ないだろってくらい少しずつ。「ですよ」を「です」にしたり、「旅行をする」を「旅行する」にしたり……

でもそんな小さな積み重ねは結局ムダだと分かって、次はひとくだり削りやす。筆が滑って生まれたおふざけを消しやす。話の筋とは関係ないムダなやりとりです。実はこれ結構ありやす。

書くことは削ることでもある。

人間は会話の中で同じことを何度も繰り返したり、噛みまくったり、えーーーとかあーーとかえっととか連発したりする。リアルに書くならそれも必要。だけど何のためのリアルなのかって話で。どもるのが特徴のキャラクターだとか、えっとオジサンと呼ばれている登場人物だとか、そのリアルに意味がないと意味がない。

分かってるはずなのに、書いちゃってる。

「あのさ」
「なに」
「いやなんでもない」
「え、なに」
「だから、いや」
「なになに」

みたいなやりとり、実際あったりするけど、これもこの会話が必要なバックボーンがないと丸っきりムダ。これって言いにくいことを言おうとしている表現がしたいのだけど、ムダなやりとりをする以外にも表現方法はあるはず。でもそれを考えないで書いちゃう。で、結局削る。

前に書いたものを読み返すと、めっちゃあるムダ。
見たくない光景だけど、目を背けてはいけない。

そして、生き残るべきムダもあって、それらを正しくふるいにかけられるか、それもまた自分の手腕である。

自分らしいムダを選び、輝いているムダを拾い上げ、出来る限りムダのない脚本にありつきたいものだ。

ミニマリストにはなれそうもないけれど。

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