【2021/8/20】夏物語/読了
暗澹たる気持ちになる。
1.暗くて澹(しず[=静])かなさま。雰囲気が暗く沈んでいるさま。
薄暗くてぼんやりしているさま。どんより。
2.見通しが悪く、将来に希望が見えず不安な感じ。
というのを初めて実で経験した気がする。
この夏物語を読んで、読み終わって、そうなっている。
でもそれは、読まなければよかったという感情とは違う。
この年になって、いよいよ考えるべきことがめちゃめちゃあるなぁと面食らったというか、目の前に喪黒福造が現れて「お前の現実コレだぞ”ドーーーーーン”」って人差し指を突き付けられたような感じで、読み終わって肺の底から「はぁあああああああ」って息を吐き出してしまった。
ちなみに、この夏物語の書評?というか本の紹介(あらすじ)はコチラ。
世界十数ヵ国で翻訳決定!
生まれてくることの意味を問い、人生のすべてを大きく包み込む、泣き笑いの大長編。著者渾身の最高傑作!
大阪の下町に生まれ育ち、小説家を目指し上京した夏子。38歳になる彼女には、ひそやかな願いが芽生えつつあった。「自分の子どもに会いたい」――でも、相手もおらんのに、どうやって?
周囲のさまざまな人々が、夏子に心をうちあける。身体の変化へのとまどい、性別役割をめぐる違和感、世界への居場所のなさ、そして子どもをもつか、もたないか。悲喜こもごもの語りは、この世界へ生み、生まれることの意味を投げかける。
パートナーなしの出産を目指す夏子は、「精子提供」で生まれ、本当の父を探す逢沢潤と出会い、心を寄せていく。いっぽう彼の恋人である善百合子は、出産は親たちの「身勝手な賭け」だと言う。「どうしてこんな暴力的なことを、みんな笑顔でつづけることができるんだろう」
苦痛に満ちた切実な問いかけに、夏子の心は揺らぐ。この世界は、生まれてくるのに値するのだろうか――。
芥川賞受賞作「乳と卵」の登場人物たちがあらたに織りなす物語は、生命の意味をめぐる真摯な問いを、切ない詩情と泣き笑いの極上の筆致で描き切る。ページを繰る手が止まらない、エネルギーに満ちた世界文学の誕生!
まずもって主人公の夏子が私と同じ年の38歳であることからして、運命的なものを感じていたし、その夏子は小説家を目指して大阪から上京している境遇なんかももう、こりゃいかんぞ、と読む前から感じていた。
話は夏子が「自分の子どもに会いたい」と思ったことが一つのターニングポイント。しかし夏子は恋人もいなければ、性行為に関してはかなりの苦手意識があった。だがふとしたキッカケで、相手がいなくても子どもを持てるAID(非配偶者間人工授精)という方法と出会う。そしてそのAIDで生まれた人たちと触れ合っていく中で、夏子は自分がどうすべきかの決断を下す。
というのが、この夏物語を語るべきポイントだろう。
まずAIDを知らなかった。存在というよりは言葉を知らなかった。(精子や卵子を提供する機関があるというのは海外ドラマで見たことがあって知っていた)
その存在を知って、自分がやりたいとかやろうとかそういうことはまずもって考えなかったけれど、今まで「相手がいなければ絶対にできない」と考えていたことが「実はそうじゃない可能性」がある、というの一番の衝撃だった。
これまで何万回と(盛った)家族に「恋人おらんのか」とか「孫が見たい」とか言われてきて、
「やる気はあるんです。
でも結婚と妊娠だけはひとりで出来ないから」
と言って逃げてきたわたしからすると、
妊娠はひとりでも出来る可能性がある
という選択肢があったことに恐れおののいたのだろう。
もちろんAIDで子どもを授かったとして、家族が両手を挙げて喜ぶとは到底思えない。むしろ絶対に反対される。父親のいない子どもなんて…と昭和を生きた両親は思うだろう。わたしだって正直そこまでして、いうのが正直な感想だ。だけど、本当に相手がいなくとも子どもがどうしてもほしいと考える人だっているだろう。
科学や技術が進歩したら出来ることはどんどん増えていく。人の命に関わる分野にまでそれは及んでいて、クローンしかり、人工授精しかり、遺伝子操作しかり。現代は、多様化、ダイバーシティ、共生共存、とか言葉だけが先行している感はあるけれど、罪を犯さない限りは、結局何にせよ生き方を選ぶのは自分で、選んだ自分に責任を持つことしかない。
方法はたくさんある。
逃げ道もたくさんある。
わたしは選んだ道に責任を持てているだろうか。
暗澹たる気持ちの先に、そんな思いが芽生えた。