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構成に滅入る日々

カタチから入りゃあいいってもんじゃないことは分かっているけれど、経験も才能も中途半端なわたくしめはまずハウトゥーというやつにすがってしまう。

シドフィールドだのセーブザキャットだの脚本を書いている人や志している人なら知っているであろう、脚本を書くには!?の知恵や知識が詰め込まれた本を片手に、今コツコツ書いている自分の脚本やお仕事で作成中のプロットなどに取り組んでいる。

何事も構成は大事である。

会社に例えると組織とか人事みたいなもんで(違うかもしれないけど思いついたからとりあえず聞いて?)、総務とか営業とかの課やグループがあって、その中に役職者がいてメンバーがいて、やるべき仕事があってで成り立っている。社長の方針がストーリーであり、そのストーリーに沿って各メンバーはシーンごとに仕事を果たす。役割のないメンバーは基本的にいない。シビアな言い方をすると、役割を果たさない奴らはいらない。

組織や枠組みがまずあって、その中に必要とされるピースが揃っていることが脚本の構成としては求められること。伝えたい軸(ストーリー)をどう紡いでいくか。大サビ(クライマックス)に向かって、登場人物たちにどんな問題が起こり、どうやって解決し、どのように変化していくか。

いろんな構成の作り方はあるけれど、ベースはどの作品も同じで、ヒット作と呼ばれるものは大抵基本に忠実である(らしい)。最近は映画を見ていても、最初の大きな出来事が起こるとパッと時計を見て時間を確認してしまう。すると大方20分前後。これはセオリーとして言われていること。そのたびに「あ、やっぱりか」と思う。もう作品内容うんぬんより面白い映画の構成に当てはまっているかどうかで見てしまうのである。

型(形)にハマる、は時に皮肉を入れるけれど、型がないと崩せない。型破りは型があるからできることだとよく言われる。だから構成も型であって、身に着けてもいない私がハナから崩すことなんて出来ない。

自由に書ける(描ける)ということは、基本や基礎があるからこそ。

好き放題やって偶然できたマグレの作品なんて、それだけで終わるのだ。天才は型を知っている。型を無意識で手にする才能があったか、努力して身に着けたのかどちらか。天才じゃなくても、型は身に着けられる。滅入るけど、こつこつやるしかない。

きっと産まれたことも死ぬことも、食べることも寝ることも、人間の仕組みそのものが、世界、いや宇宙の構成に則っているんだろうから。

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