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毛布#15 『Float on/新しい日々へ』

はじめに

はじめに、各地での豪雨による災害で被災された地域の皆様にお見舞い申し上げます。
私の生まれ故郷である大分県日田市天瀬町も、言葉を失うような被害を受けています。
筑後川の上流である玖珠川沿いの天瀬温泉が、見たことのないような姿になっているのがニュースで報道され、全く気が気ではありませんでした。
コロナのことを考えると地元に手伝いに帰るわけにもいかず、もどかしいばかりです。故郷の復興につながるよう、できる限りのことをしていきたいと思います。
また、私の実家のことを心配してくれた方、同じく故郷が被災している方、いろんな方からメッセージを頂き、随分救われました。こういうことができる人になりたいと思いました。この場を借りてお礼申し上げます。

*****

「13年間住んだ部屋」

先日、引っ越しをした。
学生時代から、約13年ほど住んだ東中野のまちを出て、千葉に移り住んでいる。
正確にはまだ前の部屋の片付けが終わっていなく、なんならまだまだ今この瞬間も片付けの真っ最中だ。床を拭いていたらアップするのが遅くなってしまった。
家具はほとんど処分に出して、必要なものもすべて運び出して、がらんとした部屋の中でこの毛布を書いている。

13年間。大学時代にオーストラリアから帰ってきて少しして住み始めたこの部屋。物心ついてから……といいたくなるような、ほとんどの時間をここで過ごしている。
卒論を書いたのも、社会人になって激務を経験していたのも、ネパールに行ったのも、東日本大震災があったのも、篠山に住んでいたり、イギリスに行っていたり、ウガンダに行ったり、自分の活動を始めたのも、本を書いたのも、初めての個展も、その後の活動も全部全部この部屋でだった。
いろんな人が訪ねてきてくれたし、いろんな経験、悲喜こもごもをこの中で過ごしてきた部屋だった。

さぞかし感傷的になりそうな書き出しだが、実際はそんな余裕は一ミリもなく、辛くも引っ越し業者の人に荷物を運び出してもらい千葉に転がり込んだ今でもなお、いまだに終わらない片付けと掃除に喘いでいる。

運び出し後の片付けと掃除を始めたらなかなか終わらなくて(お世話になったので、少しでも綺麗にしたい)、千葉に戻るのも面倒になって、昨夜はがらんとした部屋に余ったダンボールと、置いておいた毛布を敷いて、その上で眠った。
どうせこいつ(私)はちょっと動いたくらいで疲れたといって寝落ちするだろうと思っていたら、電気を消してもなかなか眠れなかった。

なんというか、ここはもう、前のようには私の部屋ではないのだと思った。少なくとも、数日前の元の部屋とは違っている。
まるで、部屋から何かを「抜いた」ような感覚。
まだ住民票も移していないが、「私の部屋」、即ちホームは千葉にもう行ってしまっているのだとわかった。

なので夜はちょっと怖かった。物音のたびにビクッとしていた。


「捨てること」


たくさんのものを捨てた。
千葉のお家は私の家族の家で、一時的に居候する形になる。
だから本当に、必要最低限しか連れていかないというのが引っ越しの基本姿勢だった。

これまでも時々断捨離ブームが来ては捨てていたけど、13年間も住んでいると、断捨離のどこか浮かれた気持ちでは到底届かないような、最深部の地層が出てくる。
めんどくさくて放置していた古い書類、捨てられなかった古いノート(しかもリングノート)、思い出グッズ、処分に困りとりあえず放り込んだもの、などなど、判断を迫られるものと向き合うことになった。

この引っ越しを私はオペレーション・方舟と名付けていたので、荷物を方舟(箱)に乗せるかどうか、バンバン沙汰を下していった。

『人生がときめく片付けの魔法』で有名なこんまりさん方式では、基本「全捨て」、悩んだら「胸に当ててときめくかどうか」で捨てるか残すか決めるという。
(その本を読んで服を断捨離しまくって、結果着る服がなくなって、その当時同居していた妹が捨てた服を漁って着ていたという遠い前世の記憶がある)

私の場合は今回全く心の余裕がなかったので、ときめきではなく、違和感があるかどうかで方舟選抜をやってみた。
個人的には、ときめきよりも違和感の方がわかりやすい。
というより、ときめきは考えるより先に問答無用でときめいているので、体でわかる。悩む必要がない。そういうエース級の選手は見ればわかるので、すぐに方舟箱に入れた。

何せ13年ぶりの遷移なので、新しい場所に「いらんやろ」というものを持っていきたくなかった。
方舟メンバーとして見たときに、「なんか違うな」という感覚があったら全部処分した。
燃えるゴミだけで、ビニール袋は二桁袋は出している。
本は慎重に選んだ。本はどこかニンゲンが生きている時間と流れている時間が違うから、結局必要になるのは買って数年後だったりする。今この瞬間はもういいかなと思っても、結局後で助けられることが多い。それでも、6箱ほど買取に出した。

これまでも結構捨ててきていたはずなのに、それでもこんなにもたくさんのモノの中にいたのかと呆然とした。
一番悩んだのは古いノートだった。私の中で唯一続いている習慣、それはその時の思考や感情をノートに書くこと。捨てられなくて結構な冊数があったのだけど、眺めていたら天啓のように「もういらん」と思った。
そう思ってリングノートの金具を猛然と取り外しながら捨て始めた瞬間、ぶわーっと重力が軽くなっていくようなそんな体感があった。多分疲労と捨てハイでそう思ったのだろうけど、重い金具をガタンゴトンと外していくような感じがした。

一部のノートだけ、未来の自分が参照できそうなノートだけを選んで、あとはほとんど処分した。どうだろう。記憶は大事だから、もしかしたら将来気が狂いそうなほどに思い出したくなったりするかもしれないし、しないかもしれない。
だけど、もういいや、大丈夫だろうと思った。もう捨てても大丈夫、なぜなら全部私の中にある、という感じだったのだ。



「身軽になること」


引っ越し業者が猛然と荷物を運び出していった後、ヘロヘロになりながら千葉のおうちに移動した。やがて猛然と運び込まれた方舟箱達を見ていると、オペレーション方舟は結構満足のいくものになったと思う。(事前に知らされていた数より遥かに多い箱が届いた家族は、この記述を見て何を言っているんだと憤るかもしれないが)。

勿論、引っ越し前夜になるともう文字通り分別がなくなり、目に入ったもの全てダンボール箱にぶちこむという有り様だったから、あと二箱くらいは削れたと思う。
それでも随分身軽になった気がした。

こんなにモノがあったのか、と部屋の中で呆然とした時の対極。
こんなにもモノがない、と感じる時の自由と高揚感。

留学した時の部屋を思い出した。
机と、棚と、ベッドと、窓。

それだけあれば十分で、今はそこを、家族が飼っている猫が自由に闊歩している。
ぼーっとしていると、これまでの部屋にも、これからお世話になる家族にも感謝の気持ちが湧き上がってきた。
これまでの部屋のことは本当に好きだったので、ずっとお世話になりました、今までありがとうと思い、今日もこれから片付けラストスパートだ。
(今夜もまた床の上で寝るのはちょっともうやりたくないけれど…なんでベッドを先に粗大ごみにだしたのだろう)


「ゼロ地点」


コロナの影響でいきなり勤め先がなくなり、そして13年住んだ部屋も引っ越した。荷物も大きく手放して、なんだか「ゼロ地点」という感じがすごい。
次の引っ越しでは、今より身軽になれるだろうか。
そう考えるとわくわくする。

これからどうなっていくかわからないけれど、なかなか地に足のつかない人間なりに、その瞬間その瞬間やっていこうと思う。FLOAT ON、流れに運ばれて、導かれるように。すべて起こってることには意味があると思うし、その瞬間の自分を信じていられたら大丈夫。

なんてことを書くといやこいつ大丈夫か、と心配されそうだけど、今は謎の安心感がある。
前の部屋に住んでいた頃のノートは、どれを開けても(古ければ古いほど)悲鳴のように、不安や「もう疲れた」などの言葉が目に入った。今こうやってゴロゴロと床の上で毛布を書いている身からすると、前世の記憶感さえある。「こんな自分じゃもうどうしようもない」とノートに書いていたあの頃の自分から見たら、今はこんな太楽なことになってるのか?とびっくりするだろう。

謎の安心感の秘訣は、方舟作戦の秘訣とも繋がっているような気がする。
それは、自分にとってのときめき/違和感がビシッと正直にわかっていることかもしれない。
それを読んで果たして面白いという人がいるかはわからないし、広い宇宙の中で有益な情報になるかどうかはわからない。だけどまた今度、書いてみようかなと思う。




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