ethnography と私の名前

2018年11月21日 

今日は調査方法・理論の授業があった。
授業内容は主に質的調査方法(qualitative research method)についてであった。(来期に量的調査方法については学習することとなっている)。
ethnographyという調査方法について学んだ。

質的調査法の一つで、調査者自身が調査対象とするコミュニティの一員となり、観察したことや周囲の人々から聞いたことなどを毎日記録していくというもの。
文化人類学をやっている人にとっては聞きなじみのある調査方法ではなかろうか。

私の名前は、ethnographyを文化人類学の調査方法として確立した学者の名前に由来する。
彼はMalinowskiと言って、文献調査が主であった文化人類学にフィールドワークを導入した人である。
オーストラリアやポリネシア地方の先住民の文化を主に研究した。

彼は、著書「Argonauts of the Western Pacific」の中で、ethnographyの目的を
'to grasp the native's point of view, his relation to life, to realize his vision of his world'
と述べている。
自分から見た(彼らの)世界ではなく、'his' vision of 'his' world に気づくこと、と述べているのが印象的である。(Malinowskiに関してはこちらhttps://en.wikipedia.org/wiki/Bronisław_Malinowski)

翻って今日の授業の先生は
「自分の生活記録は頻繁にとっておくと、後で貴重なデータになる」
とおっしゃっていた。
確かに、自分の心の機微や周囲で何が起きていたのか、その時々で何を考えていたのか
意外とすぐに忘れてしまうものである。

ある人はそうした日々の悲喜こもごもを「忘れるために」記録をとる。
またある人は、それらを「忘れたくないから」記録をとる。

ある人は自分自身との対話の手段として記録をとるし
ある人は他者を理解するための観察記録として記録をとる。
両方という人もいるかもしれない。他者が自分自身のアイデンティティに及ぼす影響も、その逆も計り知れないから。

このブログは他者理解というよりは自己理解のために、過去を忘れて次に進むためというよりはそれらを忘れないでおくために、書いている。

ちなみにこちらは直接お会いしたことはないけれど尊敬している学部時代の先輩の、「記録」に関するお話。この日記を書いていたら思い出した。 

https://sheishere.jp/voice/201805-akari/?fbclid=IwAR052mQnk7ERmLpukeLnio77zDCq5xpLmfFIHVVqYPQ8CTFtzBikzUPwhVs

そんな、皆様からサポートをいただけるような文章は一つも書いておりませんでして…