洗車しながら思ったこと。「女の子扱い」について
初めて自分の車を持ったとき、
大学生で時間があったからっていうのもあるけど、もっと頻繁に洗車してたなぁ
最近は全然してない…
先日、久しぶりに家で自分で車洗いながら思ったこと書いておく。
普段から手洗い洗車する人どれくらいいるかな?
私の場合、別にものすごくこだわって手洗いしてるというよりは洗車機行くのめんどくさいだけだけど。
バッテリー上がったとき、JAFとか呼ばずに自分で対応できる人どれくらいいるかな?
最近の車は、性能が上がってほとんど乗るだけ。定期点検や整備も業者に頼めば何もわからなくても車には乗れる。
私がある程度車のこと分かるのは
確実に車好きの父の影響である。
そしてもうひとつの理由。
一般的に(この表現好きじゃないけど)
女性より男性の方が、車好きや車詳しい人が多いと思われているから。
この理由について、私の考えを少し深掘りしたい。
私は、女の子扱いされるのが嫌いだ。
性自認の問題ではない。
他者から受ける「扱い」に嫌悪感のようなものがある。
私は生まれたときから身体も心も女であるのだが、
記憶ある限りでは小学生くらいから
「女の子扱い」が嫌だった。
なぜなら、
「女の子扱い」は見下されている感じがするから。
代表的な「女の子扱い」は、
・高いところの物を取ってあげる
・重い物を持ってあげる
・席を譲ってあげる
・順番を譲ってあげる
・力仕事を代わってあげる
・スポーツでハンデをあげる
など
どれも
「できないから代わりにやってあげる」
「弱い者への配慮」
というニュアンスが強い。
この、あくまで「自分よりも下の存在」という前提で行われる「女の子扱い」が嫌いだ。
私は、基本的に、対等もしくは自分が優位でいたい。
「性別」という、生まれながら持つ、
自分の力では変えようのないものによって、
上下関係が生まれることに納得いかない。
だから私は、
様々なことで「男子に勝とう」としたり
「男らしく」振る舞おうとしたりしてきた。
その一つが「車に詳しい」なのだ。
(その「男らしさ」は誰が決めたのだろう)
こういうことを考えると、
私自身がいかに世間から与えられた先入観に縛られてきたかが分かる。
もっと自由に、柔軟に生きたい。
そのために、
自分の考えたことを言語化して、
その根底にある価値観を可視化して、
それを別の視点から捉え直していきたい。
別に、何が良いとか悪いとか
そうではなくて。
ただ、固定観念だけに囚われて苦しみたくない。