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結局、1人。

久しぶりに大学からの親友と電話して、
こんなにも遠くで別々の生活をしているのに
考えていること、実現したい未来が
相変わらず同じ方向性にある。

共感して、納得して、安心した。

のだけど、

結局私たちは、いつまでも1人なんだね。
というところに行き着いた。

これは人間みんなそうなのか、
それとも私たちの性格的なところなのか…


何か困ったことがあったとき、
頼れるゆるやかな繋がりを作りたい。

自分が、この中でなら子育てできそうって
この先生きていってもいいかなって
思えるようなそんなコミュニティを作りたい。

人と関わることってめんどくさい時もあるけど
やっぱりなんだかんだ繋がりがほしいんだと思う。

そうやって、
人との関わりを作っても、
どんなに一緒に時間を過ごしても、
私のみている世界は
私にしかみえない。

初めてこの寂しさを感じたのは
私には弟と妹がいて、
弟には姉と妹がいて、
妹には(私がほしかった)姉と兄がいる。
と、気づいたとき。

私は、私との関係性でしか
その人と関わることはできないし
私のフィルターを通してしか
世界をみることができない。
私が歩んできた人生は私だけが通ってきた道。

1人きり。

それはもうどうしようもないことなんだ。


私が最近関わっている人のなかで、
この人の世界観、選ぶ言葉が好きだな
と思える人がいる。

彼は、いろんな人と上手に関わりながら
自分の居心地いい空間は誰にも侵されないよう
きちんと守っているように見える。

過度に誰かと馴れ合うわけでもないけど
必要であればチームを組むし、
要らなくなれば解散する。

上下関係とかよりも
お互いに対等な関係を好みそう。

やっぱりこの人も1人でいるのかもしれない。

私も当面は
彼の言葉を頼りに
重なるところは重なりながら
私なりの領域を展開していくのがいいのかな。

私は1人だけど、
困ったときに頼れる人がいろんなところにいる。

上手に人を頼りながら、
でも誰かに動かしてもらうだけじゃなくて
自分が主体的に動く。

流れに身を任せながら、
ここだと思ったときに自分で覚悟を決める。

そうやって、
大事にしたいものを守っていけばいいのかも。

私が動くことで
誰かが救われたり
応援してくれる人が現れたりしたら嬉しい。


焦らなくても、まだまだ先は長い。

私のつくりたい世界をつくる。

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