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自分なりの答えを探すこと

今年はフリーライター3年目に突入する年。これまでは取材ライティングを中心に、「仕事として書くこと」に精一杯だった。

でも、だからこそ、今年はもう少し「自分の思考を残す」「主観的に考える時間を持つ」ことも大事にしていきたい。

預かった言葉を"誰かに届けるため”に書くのとは別に、自分のための文章も育てていく。

自分はその言葉にどんな気持ちを抱いたのか。なぜそう感じたのか。

ひとつのできごとに対する“自分なりの答え”を言語化するには、時間がかかるし根気がいる。

それでも昔は、机の上にお絵かき帳を広げて、自分の抱いた感情に「なぜ?」と問いかけながら、線を書いたり、ワードを囲ったりしながら深掘りしていくのが楽しかった。

ところが、ここ最近は忙しさを理由にして、「ま、いっか」で流してきたザワつきやモヤっとした違和感があまりに多かったように思う。

そして、それがいつの間にか癖になり、人から「どう思いましたか?」と聞かれたときに、言葉に詰まる。最後はどこにでもありふれた表現でまとめてしまう自分になりつつあった。

自分の気持ちなのに、自分でもなんとなくでしか理解できていない——。

思えば趣味のアート鑑賞をしているときも、客観がいつの間にか主観になっている感覚がずっとあった。

前までは、作品にふれると自分の想像がどんどん膨らんでいったのに、今は誰かの分析やキャプションからでしか、一方通行でしか作品を鑑賞できていない感覚。

自分の頭で考える時間が少なすぎて、驚くほどに思考力や想像力が低下していたのだ。

思考力が欠けると物事の本質は見えにくくなるし、想像力が欠けると単純に自分自身がワクワクできなくなってくる。何よりそんな狭い視野で、限定された価値観のなかで生きていきたくはない。

だから今年は、ひとつの正解が存在しない世の中で、「自分なりの答えを探し続けること」を諦めない1年にしたい。

つい、「考えが綺麗にまとまってから発信しよう」とか思ってしまうのだけれど、アウトプットって不完全でも、過程でもいいから“自分の外”に出してみることに意味がある。外に出すことで、まわりから新しい気づきをもらったり、言語化したものを見つめなおすことでまた考えが進んだりするはず。

見たままを受け止める心を大事にしながら、それを疑い、主観にも耳を傾け、自分なりの答えを探し続ける。その過程をしっかりnoteやSNSに書き残していくことが、今年のチャレンジのひとつになりそう。

読まれるための文章だけじゃなくて、私のための文章も書いて自分の健康を守っていきたい!

マーブルコミュニティの #新年書くチャレンジ 。3日目のテーマは「書く分野でチャレンジしたいこと」。

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