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ロボットじゃないんだから、ときに弱音を吐いたっていいんだ

お昼過ぎに起きて、デスクにつくもどうしてもやる気が入らず、結局夜からはじめて深夜までパソコンをカタカタ。朝型生活をがんばっていた私は一体どこへ……?

最近、いや正直に言うとこの半年、どうしても仕事のスイッチが入らない。

前のペースと熱意を取り戻せないことに、そして書くことがつらいと感じているのは編集者・ライターとしてどうなのか、と気持ちだけが焦る。

モチベが上がらない要因は、今後のキャリア、ライフステージの変化、体調、家族問題などいろいろある。嬉しいことや学びは積極的に周囲にシェアできるのに、こういったネガティヴなことや自分の弱さを誰かに伝えるのは本当に難しいものだ。

そんなとき、いつも一緒にお仕事させてもらっているチームのお疲れさま会に参加して、思い切って「今仕事のスイッチが入らない」と打ち明けてみた。お酒とその場の雰囲気の力をかりて、内心ドキドキしながら。

すると、「人間なんだから落ち込むときもあるよ」「どうなりたいのか、一回ゆっくり整理してみたら?」「仕事に追われていると落ち着いて内省の時間って取れないからね」「私もまったく同じ状態なので、めちゃくちゃ共感します」とあたたかい言葉がたくさん返ってきて。

1人では抱えきれずもう限界!となっていたものが、なんだか一気に軽くなった。

自分の弱み、ネガティヴなこと、悩みって、相手にとってプラスにならないから話さないほうがいい。ましてや、一緒に仕事している人に、「モチベ下がっている」なんて言えないし、「介護がきつい」などと仕事とは関係がないプライベートな話なんてできない。

ずっとそう思っていた。

でも、ちょっと弱音を聞いてもらって、みんなから声をかけてもったあの瞬間に、「みんなもそうなのか」「こんな自分でもいいのか」と心が軽くなり、1人の頭ではでてこなかった提案に、半径50cmくらいでしか考えていなかった自分の視野の狭さにハッとした。

お疲れ様会を終え、新幹線の座席についた私は、これまで見ないふりをしてきた“モヤモヤ”と向き合うためにノートを開いた。じっくり、ゆっくり自分のことを考えてあげるのっていつぶりだろう。

「みんなもそうなのか」が根本的な解決になっていないようで、実はそのたった一言にめちゃくちゃ救われている自分がいて。「こんなふうにやってみたらいいんじゃない?」のアドバイスに、まだまだ前を向くためにできることはあるんだと気力が湧く。


ひとりでできる経験の数ってしれていて、思っている何倍も自分の視野は狭いもの。自分とは違う経験をしてきた周囲の人に頼ることで解決策は増えるし、視界は広がり、圧倒的に早く回復できる。

お疲れさま会で一緒のテーブルにいたゆぴさんがこんなことを言っていた。

風邪を引いたら優しくしてほしいし、しんどいときは大丈夫?って声をかけてもらいたいじゃん。人間なんだから落ち込むときだってあるよ。

弱音を吐かず、カッコいい自分を演じ続けられるならそれでもいいのかもしれない。

でも、弱音を吐かないけれど心も死んでいる人と、しんどい!つらい!に正直で、なんとか前に生きようとがんばっている人、私はどちらになりたい?

答えは明確で、後者だ。
だって私、ロボットじゃないもん。

ゆぴさんの言うとおり、自分が抱えた感情には素直でいたいし、カッコつけたおのまりよりも、ときにパワフルで、ときに悩んで凹んでしまうおのまりを「いいね」と言ってくれる人と一緒に働きたい。

偽りの自分の上に築く信頼ではなく、ありのままの自分の上に、太くて丈夫な信頼を積み上げていきたい。

弱音を吐かずに一定の自分でいることが信頼関係には必要不可欠だと思っていたけれど、よく考えると、私も相手に愛おしさを感じる瞬間って、その人の“強さ”だけじゃなくて、“弱さ”や“もろさ”を垣間見て、人間らしさにふれたときだ。

いいカッコなんてせずに、ときに今の自分を正直に伝えることが、本当の意味での「信頼関係を築く」ことなのかもしれない。

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