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2022年を振り返る。後編

(中編より続く)

実は、私とダーリンが同居を始めた頃、彼にはクレジットカードのリボ払い請求で100万を超える借金があった。その大半がスマホゲームの課金によるものだったと記憶している。

私は、まずその借金の全てを肩代わりして返済した。ない知恵を絞ってダーリンの全てのクレジットカードを解約させた。使っていない銀行口座も整理させた。お小遣い制にして、もしゲームの課金がしたいなら、Google Playカードをお小遣いから買いなさいと、何か買い物したいなら私が代わりに買うからお小遣いからお金を払いなさいと言い渡したのだ。
さらに2ヶ月に一度もらう障害年金の中から10万円を私に返済し続けるよう命じた。ダーリンは最初とても従順に私の言いつけを守っていた。

やがて真面目にやっている姿を評価して私は少し手を緩めた。スマホ代金をd払いにすることを許可し、suicaもカードからモバイルへと移行させた。これがいけなかったのか、その内「今月は出費がかさんだからこれしか払えない」などと返済額を減額してくるようになった。
その時におかしいと気が付けばよかったのだが、まさかと思っていた。ダーリンを信じたかったし、信じてない素振りを見せたくなかった。ダーリンに嫌われることが、不機嫌になられることが怖かったのだろう。

そしてこの11月に人生18回目の引っ越しをすることになった。理由は家賃が高すぎて払えなかったからだ。私も時短になり、給料が恐ろしく減っていた。そこで敷金礼金0の、月額家賃が3万下がる物件に引っ越しをした。
それをきっかけに家計も見直そうと意気込んで、様々な計画を立てていた。家計は全て一旦預かるからと、通帳を見て初めて私は月に数万、時には十数万のカードの引き落としがあることに気付いた。

「これは何?カードの明細を見せて」と持ってこさせた明細を見て唖然とした。またゲームの課金だ。まだ懲りていなかったのか。
観念したのか「もうゲームはやめる」とダーリンは言い出した。「お小遣いの範囲でまたやればいいじゃない」と私は提案したが、「いや、続けてると絶対課金したくなるから」ときっぱりやめる決意をしてくれたようだった。

ほっとしたのも束の間、3日後くらいだっただろうか、またしてもゲームをするダーリンの姿があった。気まずそうに「日課だったからログボが気になって。課金はしてないけど」と言い訳した。その姿を見て私は絶望した。裏切られたことに怒りよりもただただ悲しかった。もうこれはやめたくてもやめられない依存症なのだ、離婚案件だと思った。

そうして私はしてはならないことをしでかした。ダーリンが最も愛して最も忌み嫌う姑に、LINEで全てを打ち明けたのだ。
姑は大層驚き激怒した。当然だろう。そして自分の夫と娘にも情報を共有した。結果「私たち家族は皆しおんさんの味方ですからね」。
姑が「●●(ダーリン)がそんなことする訳がない」と言って私を嘘つき呼ばわりしなかったことに対して安堵した。私は独りじゃない。味方がいてくれる。

しかしその後がいけなかった。「●●にしおんさんから聞いたと話してよいでしょうか」と訊かれ、嫌と言えずにハイと答えてしまっていた。とはいうものの私の口からダーリンに「事の次第をお母さんに話したよ」とも告げ出せず。ここから親子の壮絶なバトルが繰り広げられた。

そもそも2人は普段の会話からして話が嚙み合ってない。LINEでどんな会話をしていたかは実際のところ見た訳ではないのだけれど、時折入ってきた中継とダーリンの話とを合わせると大体こんなようなやり取りだったと想像できる。

何でも「お金をかけてゲームをしていたんでしょ」と姑が放った言葉が「お金を賭けて」にダーリンには変換されて見えた。多分姑が言いたかったのは「お金を掛けて」だったのだろう。だからダーリンが「俺は金なんか賭けてない」に対して「賭け事していたのと変わらないでしょ、依存してるんだから」と姑が切り返してダーリンが激怒、の流れとなった訳だ。

姑は「課金」の意味がわからず、「俺がまるで賭博をしていたことになっている」とダーリンは思い込み、深く傷ついてしまった。一方姑は姑で「やはり息子は噓をついている、完全に依存症の重傷者だから、病院なり何なり連れて行って入院させるしかない」などと言い出す始末。やっぱり私が言わないでおけば良かったとは後の祭りである。

結局その後も姑がネチネチ嫌味を繰り返し、ダーリンが折れて姑に謝り倒してその場を収束させたみたいだが。
当然ダーリンとしては面白くなく、かといって自分の蒔いた種だから私に文句も言えず。
私はもうハラハラして見ているしかできなくて。
…モヤモヤだけが残った。
いずれにしろこの問題が年を越さないで良かった、膿は今年の間に出し切って良かったのだと自分を納得させるしかない。

最後の最後まで波乱万丈ジェットコースター的1年だった。
来年こそは穏やかに暮らせるよう、願わずにはおれない。
皆様におかれましても、来年も幸せな佳い一年を迎えられますよう、お祈り申し上げます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。(完)