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ルシャナの仏国土 警察学校編 21-25



二一.神崎リュウの手紙

 父さん、母さん、元気ですか。
 巡査の資格試験に合格しました。
 三日間の特別休暇が出たけど、まだ卒業ではなく訓練中なので、帰るのはやめておきます。

 アイユーブ警察学校は、皇帝陛下のご意向で今期から特別厳しいカリキュラムに変わったのだそうです。
 校長はオルニア警察庁本庁から赴任して来られた加賀警視正、副校長はこのカリキュラムのためにライランカから見えて新しく警視になられたソフィア警視です。他にも、科学者や言語学者など通常では考えられない分野の講師たちのご指導を受けています。

 母さんからは教えてもらえなかった僕の髪の色のこと、このあいだライランカ人のソフィア警視から詳しく伺うことができました。母さんが何故教えてくれなかったかも含めて。息子の僕にも言えなかった母さんの気持ち、今は僕なりに察してます。

 さて、学校での毎日は、やはり訓練、訓練の日々です。
 訓練生同士で自主的に課外訓練をすることもほとんど毎日のようにあります。そうしていなければ追っつかないのです。ことにソフィア警視の法律学の講義では、週末にあるテストで良い成績を取らないと日曜日の外出の時間に復習をしなければならず、本当に大変でした。
 でも、それはそれで幸せなことですよね。みんな、一生懸命です。僕もその仲間に入れてもらっているのですから。
 その中でも特に仲が良くなった人たちが何人かいます。

 ジェシカ・ティスード巡査。この人とは入学式の時に隣になって、僕の髪の色を綺麗だと言ってくれました。亡くなったお父さんが警察官だったそうです。
 藤原景時巡査。彼は美術大学を卒業していて、みんなから画伯なんて呼ばれてます。気さくで人懐っこく、彼と一緒にいると、なんだか知らないけど安心します。
 中林肇巡査。彼は法学部出身で、柔道部だったそうです。小さい時に川で溺れていたところを、通りがかったお巡りさんに助けてもらって、それで警察官になりたいと思ってきたと聞きました。
 宮部淳一巡査。寡黙とは、彼のような人をいうのでしょうか、滅多に口を開きません。でもその一言が的を射ているのです。そして、かなり不思議なことですが、彼は遠くから歩いて来ても、後ろを通り過ぎるだけでも彼だと分かるのです。

 卒業までにはまだもう一年あるけど、それまでどうか元気でいてください。何処かに正式に赴任するときには必ず会いに行きます。

                                                                                                      リュウ

「なるほど。」
 神崎京一は息子の手紙を読んで頷いた。
「滝田が言ってたのは、こういうことか。」
 京一は滝田光昭とは同期で親しく、アイユーブに異動した際には送別会にも参加した。
 オルニア警察庁きっての剣豪が指名さ れて行くからには、尋常ではない訓練になるだろうとは思ったし、滝田自身も「きっと面白いことになるだろう」と言っていたのだ。
 だから、リュウが警察官になりたいと言った時、アイユーブに行かせた。たしかに警察官という仕事は危険を伴う。しかし、もしその危険を少しでも回避できるのなら、これほどやりがいを感じる仕事はない。
 何より親として、子供が自分と同じ職業を選んでくれたことが嬉しかった。

「あの子、とうとう知ってしまったのね。」
 母親のサシャはため息をついた。
「成人するまではと思ってたんだけど。」
「リュウももう大人だ。ソフィア警視という人も、そう思ったんじゃないかな。」
「そうね、でも今までは、この話を冷静に考えるには、やっぱり大人になってからじゃないと難しい。自分の外見が周りの人と違うのがずっとそのままだなんて知ったら、多感な十代の子では、おそらく絶望が希望を押し潰してしまうと思ってきたの。」
「君の気持ちもわからんではないが、・・・とにかくリュウは上手くやっている。友達もいるようだし、きっともう大丈夫だ。」

二二.先輩・後輩

 資格試験の翌々朝、篤史がジョギングに出ようとすると、校門のところで声をかけられた。
「おはようございます、加賀警視正。」
 宮部淳一が警察犬アウロラ号を連れて立っている。
「おぉ、宮部君か。おはよう。どうした?」
 普段は無口な彼が話しかけてくる時は、何かしらの理由がある。
「実は、こいつの散歩に行こうとしたら、やけに吠えるので来てみたら・・・。」
 彼は傍らのダンボールを開けて見せた。中にはまだ生まれて間もないであろう仔猫たちが三匹いた。
「捨て猫か・・・。」
「はい。とりあえず保護をと思いましたが、警視正の許可なく校内に入れる訳にもいかず、それでお待ちしておりました。」
「わかった。それなら許可する。すぐに保護してやりたまえ。早く世話してやらんとな。」
「ありがとうございます。それでは早速そのように致します。」
「そうだ、アウロラの散歩は私が代わろう。」
 篤史は少し身を屈めて、犬と目線を合わせながら頬を撫でた。犬は尻尾を振り、撫でる手を確かめるように頭を動かす。
「よし、良い子だ。アウロラ、待て。」
「ありがとうございます。それでは。」
 淳一は警察犬のリードを篤史に渡して、両手でダンボールを抱えて中に入って行った。
「真面目な奴だ。」
 篤史は微笑んで後ろ姿を見送った。
「それじゃ行こうか。アウロラ、そばへ。進め。」

 その日は、仔猫たちのことで校内が慌しくなった。特に淳一はミルクだ餌だと、あちこち走り回った。これには場に居合わせたほぼ全員が目を見張った。無口な彼の中にこんなに情熱的な優しさが眠っていたのかと。
 今井はるかが飼い主探しをかって出た。
「私、近くの商店街で働いてたの。ちょうど今日行くから、訊いてみようか?」
「ありがとう。助かるよ。」
 淳一が言った。

 その日の十時を少し過ぎた頃、はるかは和菓子屋の前に立っていた。ガラス越しに覗くと、店の中では見知らぬ顔の店員が働いている。
(やっぱり手が足りなかったんだ。)
 はるかは改めて和菓子屋夫婦の気遣いを思った。意を決して店の戸を開ける。
「いらっしゃいませー。あら、お巡りさん?」
 店員が声をかける。
「すみません、女将さんか旦那さんいらっしゃいますか?」
 女将が出てきた。
「あれ、お巡りさん?」
「女将さん、私、はるかです。この顔、お見忘れですか?」
「え・・・、は、はるちゃん?」
 女将は、しばらく彼女の顔をしげしげと見ていたが、確かにそうだと確認すると嬉しそうに叫んだ。
「本当にはるちゃんだ!まぁ、立派になって!あんた、はるちゃんだよ!」
 奥から店主も出てきた。
「なにぃ!あ、ほんとだ!ちげーねー!」
「今日は、巡査試験に受かったので、ご報告とお礼に伺いました。」
「そうかい、そうかい!ほんとによく来ておくれだねぇ。あたしゃ嬉しいよぉ。」
 それから、きょとんとしている店員に、前にうちで働いていた人だと紹介した。

「それで、女将さん。実はひとつ。女将さんにお願いができまして。」
「うん?何だい?」
「今朝、警察学校の前に捨て猫がいたらしいのです。三匹なんですが、どこか引き取り手のお心あたりはありませんか?」
「おや、捨て猫かい。そうねぇ、一匹なら、うちでネズミ除けに引き取ってもいいけどね。あと二匹いるか。まぁ、学校では困るだろう、とりあえず連れてきな。」
「ありがとうございます、女将さん。」
「なぁに。はるちゃんは、あんなに働いてくれたんだし、立派なお巡りさんにもなってくれた、あたしゃ嬉しいんだよ。」
 女将は手ぬぐいで目頭を押さえた。

 はるかが店を出てすぐだった。横から声をかけてきた者がいる。
「そこの君!」
 声のしたほうを見ると、一人の警察官がいる。
「私でしょうか?」
「警察官のようだが、見ない顔だな。」
「あなたは・・・商店街入口交番の・・・。」
「おや、私がいるところを知っている?」
「私、一年前までこの和菓子屋で働いていた今井はるかです。」
「ん、今井さん・・・。そうそう思い出したぞ。たしか、和菓子屋を辞めて警察学校に・・・、あぁ、わかった!それで巡査の資格を取ったわけか。」
「はい。」
「そうか、すまなかった。もしかしたら偽者ではないかと思ってな。改めて自己紹介させてもらうよ。ムシュサル・カフラ、巡査部長だ。」
「は。アイユーブ警察学校の訓練生・今井はるかです。」
 両者は敬礼を交わした。
「で、今日は和菓子屋に挨拶に来たんだね。だが君はまだどこかに着任したわけではないのだろう?制服着用の許可は、当然取ってあるんだろうね。」
「はい。校長の加賀篤史警視正から許可を得ております。」
「なら良い。一年前の君の武勇伝も思い出した。また頼もしい後輩ができたってことだ。」
「光栄です!それでは失礼いたします!」
 初老の巡査部長は、若き巡査の後ろ姿を見送った。

二三.生涯の愛

 金曜日の朝。加賀篤史はオルニア警察庁本庁に出向いて行った。新年度の訓練カリキュラム内容とそれに必要な予算の承認を受けるため、とのことだった。
 そうして、土曜日には帰ってきて講師たちにそれが通ったと伝え、より一層の助力を要請した。

 その翌日の日曜日、皆それぞれに私服で休日を楽しもうと外出していく中、ソフィアもまた校門を出た。少し歩いたところで、ひとつの人影を認める。
「篤史・・・。」
 篤史が自分のほうに向かって歩いてくる。彼女は戸惑った。あの特別朝礼の時、話の途中で泣き出しそうになって離れて以来、彼とはずっとプライベートでは会っていなかったからだ。

 彼は速歩きでソフィアに近づいてきて、彼女の手を握った。
「ソフィア、大切な話があるんだ。」
 二人は一五分ほど歩いて、緑豊かな公園のベンチに来た。そこがいつも二人がプライベートで待ち合わせをする場所だった。
 篤史は、真っ直ぐにソフィアの目を見て話しかけた。彼の手はまだソフィアの手を握ったままだ。
「おととい、辞表を出して来た。後任を選ぶには少なくとも三ヶ月はかかるからね。」
「え?」ソフィアは驚いて彼を見返した。
「どういうこと?」
「君がライランカに帰る時、僕も一緒に行く。・・・結婚しよう、ファイーナ!」
 彼が彼女を本名で呼んだのは、宮殿で久々の再会となったあの時以来のことだった。
「篤史、あなた・・・。でも、お付き合いはここだけって、約束したじゃない。」
「それがそうはいかなくなった。君も同じはずだ。違うか?」
 二人は見つめあった。ソフィアは、はっとして目線を背けようとしたが、逆に強く抱きしめられた。篤史の温もりが伝わってくる。
「僕は、君が幸せそうに微笑むのを見たい!ずっと側にいて守ってやりたいんだ!」
「だけど、この国の環境設計学は?あなたはここにはなくてはならない人なのよ。」
「それは心配ない。紫政帝陛下と皇太子殿下にお仕えして十数年、僕の知識はお二人や環境局のみんなにしっかり伝わっている。陛下におかせられても、君とのことはすっかりお見通しだったよ。暇乞いに伺ったら、それなら全力を尽くして愛せと言われた。僕もそのつもりだ。」
「私・・・。どうすればいいの。・・・私にはもう時間は残されていないのに・・・。結婚しても、きっと貴方を苦しめるだけだわ・・・。」
 彼女は本当にどうしたらいいのか分からなくなった。断る理由は全て消され、愛されている喜び、切なさ、愛しさや不安が一度に押し寄せてきたのだ。
 そんな彼女を篤史はより強く抱きしめた。ガラスのように壊れやすい体と心、 始めの頃はただ温めていたいだけだった。だがここ数ヶ月前からは、そんな感覚を大きく超えた何かに突き動かされている。
「僕は君を愛してる!もう決めたんだ、ファイーナ!僕は君の公卿になる!」
 公卿とは、女性王族の伴侶を言う。妻の王族を支え、妻なき後も再婚することなく生涯を終えるのだ。
「篤史、あなたはそこまで考えて・・・。そうよね、あなたはとっても思慮深いもの。」
 篤史が唇を重ねる。抵抗はもはや皆無だった。
「そばにいて、篤史。・・・そして、これからはファーニャって呼んで。」
 ライランカ人の名前はその殆どが正式名と愛称形とが対になっている。愛称形は家族や親しい者たちのみに許される呼称であり、それを相手に教えることは、自ら親愛の意を示すことになるのだ。
 彼女は初めて自らの意思で相手の背中に手を回した。そうしたことで、意図せず彼女の胸の膨らみが夏服の薄い生地を通して篤史に触れた。
「ファーニャ・・・。」
(君はなんて柔らかいんだ・・・。)

 やがて街の大時計が正午を知らせた。
「あぁ、もう昼か。お腹が空いたな。どこかに食べに行こう。」
 篤史は彼女を連れてレストランに入った。メニューを覗き込む。
 ふと顔を上げると、ソフィアが微笑んでいる。彼は自分といるときにソフィアが笑っている顔を見たことがない。
「ん?何か可笑しいか?」
「ううん、なんでもない。」
「なんでもなくないだろう、笑ってるじゃないか。」
「ごめんなさい。なんだか貴方の顔が無邪気に見えて。」
「そうかぁ?ただ食べ物のことを考えていただけなんだが。」
 あぁ、やっと安心してくれたんだ。その笑顔がずっと見たかった・・・。

二四.父として

 求婚の日から五日後の、ライランカ・湖畔宮殿・・・。
 環境局長官のイリーナ・タラノヴァがアルティオ帝と会っていた。
「陛下、申し訳ございません。誠に恐れ多い事態になりました。」
「どうした?」
 イリーナは兄から来た手紙を差し出した。
「オルニアにいる我が兄・マコトが、ファイーナ様と結婚の約束をしたそうにございます。」
「何?!」
 アルティオは手紙を読んだ。そこには、ファイーナ姫にプロポーズしたこと、自分もライランカに行って、公卿になるつもりだと書かれていた。
「あのマコトが・・・。」

 一五年前、一六歳になるファイーナが将来的に即位するにふさわしいか否かを外部から見極めてもらうために、アルティオは他国から幾人か人を招いた。イリーナを介して呼び寄せた加賀篤史ことマコトもその一人だ。彼は一時間ほどファイーナと会話した後、ファイーナについて父帝にこう進言した。
「姫様は、実務的には無難にこなされるでありましょう。しかしながら、それ以上に国民から慕われる名君となられるかとも存じます。皇帝は、国民からの信頼がなければなりません。慕われ、敬われる存在でなければなりません。姫様は、その素質をお持ちです。」
 彼は年齢を考えるとだいぶ落ち着いた雰囲気を感じさせる青年だった。ファイーナもきっとそんなところに惹かれたに違いない。

 暫しの静寂の後、アルティオ帝は口を開いた。
「リーナ、私は嬉しい。あの娘が結婚できるとは思っていなかった。それも、相手が君の兄上となれば、これほど確かな身元はないじゃないか。」
「陛下、そのお言葉は光栄に存じます。しかし、私どもは皆、それぞれの国にお仕えしている臣下にございます。それを、兄に限って姫様に恋愛感情を抱くなど・・・。」
「リーナ、私たちは君たちとはそんなにも遠い存在なのかな?皇帝とは、単なる立場、職業に過ぎん。今更君に言うまでもないが、皇帝は迅速な行政と議会の暴走防止のために置かれているのだ。それに今回、次期皇帝は、オルニア市民から選ばれて来るのだよ。」
「あ・・・確かに仰るとおりでございます。次の皇帝陛下は、ファイーナ様が市民の中からお選びになるのでした。」
「得心がいったかね。」
「はい。」
「それにしても、あの娘の花嫁姿を見られようとはな・・・。カナリアがいたら、どんなにか喜んだことだろう。」

 アルティオは翌朝から動いた。
 侍従長にファイーナの結婚式と次期皇帝候補者の立太子礼を合わせて来年十月に行う意向を示し、その準備を命じたのである。来賓の選定やスケジュール調整もあるため、全ての手配にはどうしても半年くらいはかかるのだ。
 後日ファイーナからも手紙で婚約の許しを乞うてきたため、アルティオは、すぐに返事を認めた。

お前がそうしたいなら、遠慮することはない。彼のことは覚えている。しっかりした男だ。安心して連れておいで。
ただし、次期皇帝候補を決めることも怠るなよ。結婚式と立太子礼の手配も、もう来年十月に行うように侍従長に指示したから、そのつもりで覚悟しておきなさい。
                           父

「お父様ったら・・・。」
 ファイーナはくすっと笑った。婚約を快諾してくれたのは何よりだったが、結婚式の日取りまで即時手配とは。相変わらずなんて手早いんだろう。
「だけど私も、そろそろ後継者を誰にするかを決めなくてはいけないわね。一年いて、もうだいぶ皆んなのことを把握できているはず・・・。」

二五.発作

 その年の秋雨はいつもより長く降り続いた、そして、ようやく澄み切った空が綺麗な夕焼けを醸し出す日が多くなってきた頃・・・。
 アイユーブ警察学校では、馬術訓練が始まっていた。春野亜矢が手ほどきする。
「みんな、馬術では特に馬との信頼関係が大切です。わかりやすい指示を出すように心がけてください。それに、馬は犬より繊細で臆病です。忘れないでくださいね。」

 実技訓練が終わって、皆が寮に戻りかけた時だった。
 それまで見学していたソフィアが、立ち上がりぎわに不意に膝をついて倒れた。
「ソフィア警視!」
 彼女の意識は一旦そこで途絶えた。

 その後のことは、医務室で目が覚めて、篤史から詳細を聞いて知った。
 ソフィアが意識を無くしていると見るや、亜矢はソフィアの上着のポケットから非常用の口内服用薬を取り出して口の中に含ませた。
「警視、お薬です!」
 薬は意識を失っている患者でも安全に服用できるように、口の中で溶けて作用する。訓練生たちも日頃ソフィア自身から、もし自分が倒れたら口に含ませてくれと言われていたのである。
「僕が医務室に運びます!」
 藤原景時がソフィアを背負い、亜矢がそれを手伝う。神崎リュウが校庭を懐中電灯で照らしながら先導した。秋の夕空は一気に暗くなって来ている。
「こっちへ!僕についてきて!」
 景時と亜矢が続く。
 ジェシカや他の訓練生たちはソフィアの身を案じながらも邪魔にならないように離れて見守っていた。
 セルジオ・ツジムラが叫んだ。
「みんなも心配だろうが、あとは彼らに任せなさい!自室に戻ってくれ!」
「私、加賀警視正にお知らせします!」
 ジェシカが走っていった。

 医務室には校医のマイサ・サマニーがいて、ソフィアが意識を無くしているのを見ると、看護師を残して部屋を出るように指示して措置を始めた。
 篤史が飛び込んできた時には、ソフィアは安定剤を打たれて眠っている状態だった。
「ソフィアが倒れたって?」
「あ、加賀警視正、こちらです。もうだいぶ落ち着かれています。」
 彼はソフィアの傍らに腰を下ろすと、彼女の手を振りしめた。
「それで容体は?」
「発作自体は軽いものと思われますが、病が病です。念のため、浅川総合病院の山形先生にも連絡しました。おそらく駆けつけて下さると思います。」
「ありがとう、先生。このままここにいてもいいだろうか?」
「加賀警視正・・・。わかりました。山形先生が到着されるまで、警視のお側にいて差し上げてください。」
 女性医師は彼の言動と表情からすべてを悟り、速やかに隣の診察室に移動した。
(ファーニャ・・・。頼む、目を開けてくれ・・・。)

 山形かなみ医師が着いたのは十時頃だった。
 ソフィアを詳しく診察すると、彼女は診察中廊下に出ていた篤史を呼び入れた。
「このところの長雨と疲労で発作が出たものと思われます。何日か休養されることをお奨めします。ところで貴方は、この方の本当の病名をご存知なのですか?」
「はい、病名は彼女自身から聞いています。不治の病だということも。」
「そうですか。それならもう改めて申し上げることはございません、できる限りのことはマイサ先生と私とで分担しています。でも、どうか大切にして差し上げてください。」
「よろしくお願いします、先生。」

 ソフィアが目を覚ましたのは明け方である。目の前には白い天井があり、どうやら自分は横になっているらしい、というのがわかった。
 横を見ると、篤史が自分の手を握って眠っている。
「篤史?」
 その声に彼も目を覚ました。
「ファーニャ・・・よかった、気がついたんだね。」
 彼はソフィアの頬に軽く触れた。
「君は馬術訓練のあと倒れたんだ。覚えてる?」
「ううん、全然わからない。」
「そうか。ここは医務室だ。藤原君が運んできて、マイサ先生と山形先生が措置して下さったんだよ。」
「そうだったの・・・。あら、山形先生は浅川のはず・・・それじゃわざわざここまで?」
「そうだよ。馬車を飛ばして来て下さったんだ。」
「あとからお礼を申し上げなくちゃ。それにあなたにも。ずっといてくれたのね。」
「何言ってるんだ、当たり前じゃないか。君がお礼を言うのは、先生たちと看護師さん、それに藤原君と春野君、神崎君とジェシカ君だ。あ、まずはマイサ先生を呼ばなくては!待っててくれ。」
 マイサが来て、少し話をした。
「先生、本当にありがとうございます。それに、もしかしたらずっと待機していて下さったのではないですか?山形先生にも連絡して下さったと聞きました。」
「発作はもう大丈夫ですよ。おそらく、このところの長雨とご心労が一時的な発作を招いたのでしょう。しかし、医師としては数日のご静養をお勧めします。」
 そのあと、篤史が戻ってきて、ジェシカが報告してくれた部分も合わせた一連の経緯を事細かに説明した。
「先生から聞いたと思うが、今の君には静養が必要だ。今日から三日間休暇を取りなさい。これは校長命令だ。」
 篤史は半ば戯けて聞こえるように言って、彼女の頬を撫でた。

 しばらくして、起き上がって動いてもいいとマイサから許可をもらったソフィアは、馬術訓練が行われている校庭に行った。訓練生たちが集まってくる。
「警視、もうお身体は大丈夫ですか?」
「えぇ、皆さんにもご心配をおかけしました。もう大丈夫よ。長雨と、少し疲れたみたい。でも、念のため、三日間休暇を取ります。皆さん、本当にありがとう。一言お礼を言いたかったの。」
 ソフィアは深々と一礼して寮のほうに戻って行った。
(嘘、本当はお辛いはずなのに・・・。)
 亜矢とはるかはそう思った。

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