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舎利子是諸法空相~乃至無老死亦無老死尽


舎利子是諸法空相

不生不滅
不垢不浄
不増不減

シャーリープトラよ。全てのものは「常に移り変わり、姿を変えるもの」であり、それぞれがそれ単独で存在を認められる力を有していない「不安定で不確実なもの」に他ならない。
それ故に、生まれるとも滅するとも言えず、穢れるとも清らかであるとも言えず、増えるとも減るとも言うことは出来ないのである。

是故空中無色 無受想行識

無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法
よって、それぞれが感じ、思うこと、その対象となるものも全てが常に移ろい行く、不安定で不確実なものに他ならぬ。

無眼界乃至無意識界

目に見えないものも、意識すらされないものも。

「空」という視点

人は、とかく自分のためを考え、行動しがちです。
でも、1つしかないあんパンを、他の人と分けて食べた時は、あんパンを一人でこっそり食べた時よりも、きっと美味しく感じることでしょう。

何故『こっそり』食べるのか?後ろめたいからですよね。
それが『正しくない』ということです。
欲は更なる欲を招き、それが『』となって積み重なっていくのです。

自分にだけ都合の良い『正しさ』ではなく、自然に沸いてくる『正しさ』に沿って考え、行動し続けて行くことを「八正道』と言います。

八正道

八正道
仏教において涅槃に至るための8つの実践徳目である正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定

(Wikipedia調べ)

八正道に従って、その瞬間その瞬間を生きていけるならば、過去も現在も未来も、因縁(十に因縁)は無くなる。

十に因縁

十二因縁の支分は、無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個であり(支分の詳細は十二の支分の節を参照)、この12個の支分において、無明によって行が生じるという関係性を観察し、行から次第して生や老死という苦が成立すると知ることを順観という。また、無明が消滅すれば行も消滅するという観察を逆観という。
順観と逆観の両方を行って、人間のありように関する因果の道理を明らかにした結果、因果の道理に対する無知が苦悩の原因であったと悟る。その際には苦悩が消滅し、根源の無明が消滅しているため輪廻もなくなるとされる。

(Wikipedia調べ)

因縁が無くなると、何ものにもとらわれず、自由に生きていける!それが「空」の思想です。

六道輪廻の輪の外へ

古代インドでは、魂は幾度も生まれ変わると考えられていました。魂は生前の行いによって、

  天上界・人間界・修羅界・餓鬼界・畜生界・地獄界

のどれかに生まれ変わる、と考えられていましたが(六道輪廻〉、仏教は生きながらにして輪廻から逃れる方法があると説いたのです。

悟りを開く』ということは、智恵を以て六道輪廻のから抜け出すこと、解脱げだつすることと等しい。
私たちが目指す智恵は、六道輪廻の苦しみから私たちをすくい取ってくれるものなのです。当然、そこには六道輪廻は存在しません。

無無明亦無無明尽

乃至無老死亦無老死尽
悟りのない状態も、老いも死も、ただ形を変えるだけで、全体的には変わらない。

自在な心

一人一人が、その瞬間を全力で生きていれば、無明が続いているとも、終わったとも、断言することは出来ません。
そんなことは関係なくなるからです。
関係ないということは、その人にとって『無い』のと同じです。

まさしく何もなくなった『自在な心』で生きていけるのです。素敵だと思いません?!


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