見出し画像

ルシャナの仏国土 白樺編 21-26


二一.海からの訪問者

 惑星市民条約機構の規定では、三年に一度、四月下旬に各国持ち回りで『国際交流会議』を開催することになっていている。その年は偶然にも、それがライランカで開かれることになっていた。
 各国からの使節団も、続々と来航している。

「君が、たっての希望とは珍しいね。きょうだいに会いたくなったか。」
 カレナルドのフレデリック帝が、配下のラルフ・スペンサーに微笑みかけた。彼こそが、ヴィクトル・ベッカーが残した七人きょうだいの一人・ダン。カレナルドの現職の環境局長官である。
「はぁ、実はライランカの姉から呼ばれまして。・・・」
 彼は一度そこで言葉を切った。
「今度新たに加わった弟に、顔を見せてやってくれと。ライランカにいるのですが。」
「ほぉ、そんなことがあるのかね。ご両親はもうずいぶん前に亡くなられているのだろう?新たに弟とは。そのお姉上が、よほど気に入られたのかな?・・・ん、待てよ。確かクファシル公卿殿下も君たちのお兄上だと聞いたな・・・お二人のご意志か。」
 ラルフは頷いた。
「さすがは皇帝陛下。その通りでございます。しかし、皇帝陛下におかれましても、その名をお聞きになれば、きっと納得されるはず。・・・アレクセイ、ライランカの皇太子本人です。」
 フレデリックは目を丸くした。
「なんと!あの皇太子殿下か!・・・まぁ、確かにクファシル公卿殿下にとっては公式にも弟に当たる訳だが。それでは君たちは将来、ライランカ王室と縁深き関係になるのだな。」
 しかし、ラルフは言った。
「いえ。そういうことにはなりません。兄はただ、一人の女性を深く愛しただけなのです。私たちは王室とは関係ありません。」

 ラルフ=ダンは、その後到着したユルケ、ムームと合流して、港町ザイエジリにある小さなレストランに向かった。
 そこには既に、クファシルとイリーナ、二人に連れられたアレクセイが座っていた。
「みんな、よく来てくれたね。彼がアリョーシャだ。」
 クファシルが紹介する。アレクセイは三人の視線を一身に浴びた。
「アレクセイです。今日はいきなりここまで連れて来られました。こういうことだったんですね。」
 彼はクファシルとイリーナを少し睨むように見た。
「ま、私たちも貴方には一度会いたかったんだけど。私はムーム。ウユニにいるわ。」
 狐の耳を持った女性が微笑んだ。それからダンとユルケがそれぞれ自己紹介した。
 一緒に料理を食べ、それぞれのこれまでを話し合って、楽しい時間が過ぎていった。
「ホルスとはもう会っているから、あとはシャンメイだな。」
 クファシルが言った。アレクセイが尋ねる。
「シャンメイ姉は、字が綺麗なんですよね。どんな人なのかなぁ。」
「そうだな。あいつの船はライランカには春と秋にしか入らないようだ。もうすぐではあるんだが。」
 クファシルは答えた。ユルケが付け加える。
「あの子は、私たちの中では一番冷静かもね。今までは、マコ兄が冷静沈着かと思ってたのに、違うんだもの。警察官を辞めてまで、姫様と結婚しちゃって。ふふふ。」
「ん?何か言ったか?」
 クファシルが笑いながらその肘を突っついた。

 その時、アレクセイの心に小さな棘が突き刺さった。ファイーナの顔が目の前に浮かぶ。
(そうなんだよな・・・。)

 その彼の心の揺れに気付いたのは、クファシルとムームだけだった。クファシルは妹とふざけてやり返しながら、そこで初めて思い当たったのである。
(そうだったのか。彼もファーニャのことを愛してたんだ。だからこそ、彼女を僕に任せてここまでついて来てくれた。・・・)

 ムームが言った。
「ねぇ、ちょっとアリョーシャと二人だけにしてくれる?お手紙では伝えられないことがあるの。」

「何ですか、お話って?」
 他の面々が席を外したところで、アレクセイはムームに尋ねた。ムームは、まっすぐに彼の目を見て言った。
「私には、人の心が読める。率直に言うわ。貴方、ファイーナ様に思いを寄せてるわね。でも、自分の恋心はひた隠しにして、相思相愛のマコ兄に譲った。違う?」
 わかってしまったんだ・・・。アレクセイは力なく項垂うなだれる。ムームは、彼の隣に移ってきて、優しく彼の肩を支えた。
「・・・その通りです。僕はファイーナ様を好きでした。でも、ファイーナ様を幸せにできるのは兄上だけです。僕にはファイーナ様に恋する資格なんてない。だから・・・。」
 ムームは彼の頭を優しく撫でながら言った。
「アリョーシャ、愛にもいろいろあるわ。相思相愛で結ばれることも確かに素晴らしいことだけど、ただ見守るだけの愛だってとても素敵だと思う。
 貴方の中には、静かな旋律がある。そう遠くない日に、互いに惹かれ合う女性とも出会えるかもしれない。その時、今の貴方の苦しみは、きっと消える。私はそう信じています。」
「ムーム姉・・・ありがとう。僕は・・・。」
 アレクセイは、姉の胸でしばらく泣いた。

 国際会議が終わったあと、湖畔宮殿へ帰る馬車では、クファシルとアレクセイが二人きりでしばらく沈黙が続いた。クファシルが先に口を開く。
「済まなかった。もっと早く気付くべきだった。だが、やはり君を選んで良かったと思っている。君には、君の幸せを選び取って欲しい。」
「兄上、僕は・・・。僕は貴方を心から尊敬してます。貴方なら任せられる、そう思っただけです。・・・」
 クファシルは、隣からアレクセイの肩を優しく抱いた。アレクセイは、頭をその胸の片隅に乗せる。
「しばらくこうしていてくれますか・・・。」

二二.贈り物

 五月、ライランカのザイエジリ港に一層の大型帆船が倒置した。黒塗りの船体には所々に蛇や蜥蜴とかげの造形物が取り付けられていて、中には悪魔でも住んでいそうな禍々しさを纏まとっている。
 近くを通りかかる人々かみなさも恐ろしい物を見るような視線を向けるか目を背けるかする中、一人の女性が上陸した。

 港の奥から三人の人影が近づいてくる。互いを認識すると、早歩きになって向き合った。その三人は、クファシルとアレクセイ、イリーナである。
 女性はまずイリーナに抱きついた。
「イリーナ姉、お久しぶりです。」
 イリーナも懐かしそうな笑みを浮かべる。
「元気そうね、シャンメイ。」
 それから女性は、クファシルに頷き、最後にアレクセイに目を向けた。
「私がシャンメイよ。貴方がアリョーシャね?初めまして。」
 アレクセイは手を差し出して言った.
「初めまして、アレクセイです!」

 シャンメイを加えた一行は、街の居酒屋に入る。彼女は、一つの包みをアレクセイに手渡した。
「はい、これ。貴方へのお土産を持ってきたの。開けてみて。」
「わっ、嬉しいな!何だろう?!」
 中は一冊の本だった。青い装丁本に金字で『現代語訳ルシャナ伝』と書いてある。
「これを僕に?何故?」
 シャンメイは答えた。
「今の貴方に読んで欲しいと思ったの。ただそれだけ。」
 この日も楽しく時間を過ごしたが、やがて別れの時が来て、シャンメイは本来の船員としての役目に戻っていった。

 『現代語訳ルシャナ伝』とは、その名の通り覚者ルシャナの生涯を詳細に綴った書物である。彼自身の著書『星法の書』には含まれていない史実、例えば一兵卒から参与になった経緯、女の子が生まれたこと、亡骸は桜の樹の下に葬られた事など・・・が記されている。
 アレクセイは、シャンメイが何故この本を自分にくれたのかを考えながら、丁寧に読み進めた。

 特にカレナルドを訪れた際には、こう言ったといわれる。
 自分はあくまでも人間であり、人として最高の幸せ、真なる喜びを伝えに来たのだ。いわば『人としての法』を説いている。それは決して『神への信仰」を侵害するものではない。否定することもない、・・・
 彼は心の有り様を変えなかったということか。そしてそれこそが覚者の覚者たる才さいなのかもしれない。

 いや、何より増してルシャナが説いたことは、人としての『この上なき歓び』『真なる幸せ』というものが存在し、それを、全ての者が得られる可能性があるということなのだ。

 もしかしたらシャンメイ姉は僕に、自分なりの『本当の真なる幸せ』を探せと言いたかったのかもしれないな・・・と、アレクセイは思った。
(そういえば、しばらく『星法の書』を読んでなかった。テティスのこともあるし、詳しく読み返しておいたほうが良いかもしれない。

二三.今ひとたびの・・・

 一方、オルニアの紫政帝は、他の政府要人と共に会議に出席した。複数の警護官が同行している。その中には今井はるかと宮部淳一がいた。さらに春野亜矢も、紫政帝の誘いで海洋警察から有給休暇を取って私服で乗船していた。

 国際会議終了後も、紫政帝はすぐには帰国せず、その三人を連れて湖畔宮殿に向かった。門を守るライランカ警察庁宮廷課所属の警護官は、全員が各国要人の顔を記憶しており、紫政帝の顔にもすぐに気がついた。
「誠に失礼かとは存じますが、もしやオルニアの紫政帝陛下では?」
「いかにも。よく分かったね。」
「我々は、各国要人のお顔をほぼ存じ上げております。
 どうぞ中へお進みください。私がご案内いたします。・・・すまん、ニキータ。陛下にお知らせしてきてくれ。あとの者はそのまま残るように。」
「了解!」
 一人が走って行った。
「急に来て、すまないね。」
(やはり間違いない。紫政帝陛下だ。)
 警護官は、言葉遣いからも皇帝本人と確認した。

 一行は『白菊の間』に通された。アルティオとファイーナ、クファシル、アレクセイが入ってくる。
「急に来て、申し訳ない。たまには驚いていただこうかと思いまして。」
「紫政帝陛下、我々は、てっきり陛下もすでに帰国されているとばかり思っておりました。あまり驚かせないでいただきたいものです。度々ながら陛下のお戯れは、私も好ましくは思いますが。」
「しかし、ちゃんと土産は連れて来ましたぞ。ファイーナ姫や公卿殿下ゆかりの者たちです。・・・お二人とも、仲睦まじいご様子ですな。何より何より。はっはっはっ。」
「どうも恐れ入ります。」
 一通りの挨拶が終わると、アルティオ帝以外の三人は背後に控えていた者たちに視線を向けた。
「はるかさん、亜矢さん、ジュン君!」
 まずファイーナが歩み寄った。そして、帰化して名前が変わった二人もやってきた。
「彼はクファシル、こちらはアレクセイ。」
「三人とも、よく来てくれたね。」
 クファシルが微笑みかける。
「お久しぶりです。」
 アレクセイは、まるで昔に帰ったようだった。

「しかし、一番驚いたのは画伯ですよ。あらいけない、皇太子殿下だった!」 はるかが言った。
「いや、良いんです。僕もいろいろあって、自分が変わっているのが分かっていますから。」
 アレクセイは屈託なく笑った。もはやかつての迷いはほとんど消えている。
 そして、はるかも亜矢も淳一も、彼が皇太子としての素養を身につけたことをはっきりと感じ取っていた。彼はもう、警察学校にいたころの藤原景時巡査ではない・・・。

 そんな、再会の賑やかさの中で、ファイーナは亜矢を見ていた。亜矢はずっと許嫁を探し続けている。
 『恋う人は最愛なくば恋ならぬ我を導く夢難かりし』・・・まだ若く、どんなに抱かれてみたい欲求がほとばしろうと、ファイーナは一人の女として、抱かれるのなら相思相愛の、最愛の人にしか抱かれまい、抱かれてはならぬ、と思っていた。その頃の歌が、星祭りでクファシルに知られてしまったあの歌だった。そして彼は、抱けば壊れそうな私を愛してくれた・・・。勇気を持って深く心に触れてくれた・・・。
 亜矢にもいつか、その愛する人、ただ一人の許嫁と結ばれる日を迎えて欲しい・・・。

「姫様?」
 気がつくと、当の亜矢が目の前まで近づいてきて、心配そうに彼女を見ていた。
「どうかなさったのですか?」
「いえ、何でもないわ。」
「しかし、姫様がお幸せそうで、何よりでございます。」
「亜矢さん、貴女もいつか愛する方が見つかると良いわね。みんなも手を尽くして探しています。彼はきっと見つかりますよ。
 もしかしたら私はその時までにはいなくなっているかもしれない。でも、貴女の結婚式を心待ちにしていた者がここにも一人いたことを、よかったら思い出してね。」
「姫様・・・ありがとうございます。」
 ファイーナは、亜矢の肩を抱いた。亜矢は涙をこらえる。(姫様・・・。)

「今井君は、まだ派出所勤務の期間だね?」
 クファシルが尋ねた。
「はい。毎日をあの商店街で過ごしております。穏やかなものでございます。」
「そうか。とにかく平和なのは何よりだ。」
「はい。」

「ジュンは、皇宮警察どうだい?」
 淳一に話しかけたのはアレクセイだ。彼は、リュウと同様に淳一とも仲が良かった。
「は。自分もなんとかやっております。」
「ジュン、君も真面目な奴だなぁ。わかるけど、それじゃまるで他人扱いじゃないか。久しぶりに会ったんだ、普通に喋れ。」
「はぁ・・・。そうですか・・・。」
「そういえば、僕も父上に同じこと言われたっけ・・・。」
「え、父上って?」
「うん、今、僕は皇帝陛下を父上、姫を姉上、公卿殿下を兄上と呼ばせてもらってるんだ。」
「そうなのか。良かったな、画伯。」
「そうそう、そうこなくっちゃ!」
 二人は笑った。
「そうだ、リュウは派出所勤務なんだ。今から行かないか?でも時間あるかな?君は今、紫政帝陛下の警護中なのだろう?」
「それなら私はあと二時間くらいここにいるから、行って来るが良い。」
 紫政帝が言った。
「陛下・・・どうもありがとうございます!時間内に戻ります!」
 こうして、アレクセイ、淳一、亜矢、はるか、ファイーナとクファシルも加わって、レオニードがいる市内の派出所を訪ねて行った。・・・

「若い者は良いですね。」
 あとには、紫政帝とアルティオ帝が残された。
「しかし、娘はあのうちの幾人かとは今生の別れとなるでしょう。・・・あの娘が不憫でなりません・・・今が一番幸せな時だというのに・・・。」
「・・・アルティオ帝陛下・・・。」
「紫政帝陛下、実はそのおつもりで連れてきて下さったのでしょう?」
「ご推察の通りです。できれば全員を揃えたかったのですが、規模を考えるとあれが精一杯でした。申し訳ない・・・。だが、姫のご様子を拝見して安堵いたしました。本当にお幸せそうですな。」
「紫政帝陛下・・・誠にかたじけなく存じます。」
 アルティオは深々と頭を下げた。

二四.ぐみの実

 六月、麦の植え付けが終わる頃には豊作祈願の祭りや夏迎えの儀式が多くなる。
 この頃には、ファイーナの体調を考慮して、公務はアレクセイとクファシルが彼女の分を手分けしてこなすようになっていた。
 彼女はだんだん怠さを訴えるようになり、宮殿内を移動するのでさえ、途中で休むことが多くなった。
 ナディアは、ファイーナに車椅子を薦めた。
「姫様、誠に申し上げにくいのですが、ご体調がかなり変化していらっしゃいます。長く歩くこともご負担になりますゆえ、お部屋を移られて、できる限り横になっていただき、どうしても移動しなければならない時には、どうか車椅子をお使い下さい。」
「そう・・・。わかりました。そうしましょう。」
 ファイーナは自分の死を悟った。前からずっと分かっていたこと・・・でも、とうとう来てしまった・・・。

 そんな、ある日の日暮れ少し前・・・この日もクファシルは、ファイーナの傍らに腰掛けて手を握っていた。
「君は、とにかく体を休めなさい。公務はアリョーシャと僕で引き受けるから。」
 クファシルは、彼女に知られないようにして医師団とも話し合い、しばらく前から彼女を抱くのを控えていた、ただ静かに抱きしめたり、唇を重ねたりはしたが、それ以上のことは無理だと判断していたのだ。

「ごめんなさい・・・もうお別れなのでしょう・・・でも、愛してるわ。・・・」
「ファーニャ、何を言うんだ!まだ僕は君にいて欲しい!君が必要なんだ!」
「ありがとう。貴方と会えて良かった・・・。私にも恋ができた・・・貴方は私の最愛の人・・・愛しき人・・・。」
 ファイーナは、それだけ言うとゆっくりと目を閉じた。握りしめていた手の熱が冷めていく。
 彼女の目からひとすじの涙が頬を伝って落ちた。
「ファーニャ?・・・そんな、嘘だろ?・・・ファーニャ!!」
 クファシルは彼女の胸に耳を押し当てた。・・・聞こえるはずの鼓動が・・・なかった。・・・
「ファーニャーー!」
 彼の声を聞きつけたナディアとウラジミルが駆けつけできたが、首を横に振る以外、どうすることも出来なかった。

 アルティオとアレクセイも、すぐに駆けつけてきた。
 クファシルは、抱きしめていた体を一旦離すと、父帝と皇太子にも彼女の顔を見せた。父は娘を抱きしめた。
「ファーニャ、よく頑張った!よく生きた!お前は私の娘だ!」
 アレクセイは泣き崩れた。
「何故今なのです!何故?!何故・・・!」

 ライランカ皇女ファイーナ・レイジャス 黄昏に死す。享年三十六・・・。

 クファシルは立ち上がり、庭に通じるガラス窓を開け放つと、彼女の体を抱きかかえて歩き出した。
「あ、兄上?何処へ?」アレクセイが尋ねる。
「テティス湖に行くんだ。」
彼は振り返らなかった。

 湖の畔まで来たクファシルは、止まらぬ涙を頬に流し続けたまま、彼女の名を幾度も叫び、最後に彼女をひときわ強く抱きしめてから、湖面に横たえた。
「テティス、あとは頼みます。・・・」
 ファイーナの体は湖の奥へ吸い込まれるようにして見えなくなった・・・。

 と、自然にひざまずいていた彼の前に、何やら黄金に光り輝く丸い玉が現れた。玉は、ふわふわと浮かんでいる。
 クファシルは、それを手に取った。光がおさまると、彼の手に残っていたのは一粒の赤いぐみの実だった。・・・
「ファーニャ・・・!」
 彼は、その実を迷わず口に入れた。赤・・・ファイーナの心の紅色を・・・。

 部屋に残されたアルティオとアレクセイも、しばらくは涙を流すばかりだった。
「クファシル、君も私と同じことをするのか・・・。」
「父上?」
「アリョーシャ、クファシルはファーニャを湖に送り届けに行ったのだ。
 お前も知っているだろうが、この国では死者は水葬にする。届けるのは、最も近しい者、家族だ。ファイーナに近しい者、それはクファシル。・・・私も、あれの母を自らが抱いて送った・・・。」
「・・・そうでしたか・・・。」
「それにしても遅いな・・・。迎えに行こう。」
「僕も行きます。」

 クファシルは、湖のほとりで倒れているところを見つかった。
「クファシル!!」「兄上!!」
 抱き起こすと、どうやら深く眠っているようだった。涙の跡が残っている。
「泣き疲れたか、クファシル・・・。アリョーシャ、手を貸せ。」
「はい。」
 二人は両側から肩を担いで彼を部屋へと運んだ。そして父帝は、即座にファイーナのベッドを部屋から運び出させた。
「クファシルが目覚めた時、ベッドを見たらまた悲しみが増す。」
「・・・そうかもしれませんね。」
「君も部屋に帰りなさい。」
「はい、父上。」
 二人は、自分の部屋に帰ると、人知れず泣いた。夜の闇が悲しみに打ちひしがれた宮殿を包み込んでいった。・・・

 翌朝、クファシルが目覚めると、元の部屋にいるのが分かった。
(誰かが運んでくれたのか・・・。そうだ、ファーニャはもう死んだんだ・・・。ぐみの実になって・・・僕はそれを食べて・・・そうだ、もう離れることはない。君は僕の中にいる。僕の胸に永遠に!)

二五.挽歌

 翌朝の新聞各紙は、ライランカ皇女の逝去を一面ドッブで報じた。
 ライランカ国内では、国民が三日間の喪に服した。港湾施設や警察など一部を除き、国としての活動がほぼ全て止まったのである。

 湖畔宮殿の正門前には、急きょ記帳所が設けられ、朝早くから多くの市民が訪れる。レオニードも、非番の日に記帳に訪れた。
(ファイーナ様・・・。)
 彼もまた、彼女の素顔をよく知るひとりであった、何しろ最初に出会ったのが、警察学校の入学式で、彼女は制服姿の警視だったのだから、通常とはだいぶ印象が違う。それから二年間も指導を受けた。厳しくも優しい指導官だった。
 また彼には、次期皇帝の話し相手に選んでもらった経緯もある。何よりも増して、人となりを認めてもらえたことは、無上の喜びだった・・・。

 紫政帝と風馬皇太子は、他の皇帝たちと同様に哀悼の書簡を送った。
「そうか、とうとう逝ってしまわれたか・・・。アルティオ帝陛下もアレクセイ皇太子殿下も、さぞかしお力落としであろう。特に心配なのはクファシル殿だ。哀しみを乗り越えられればいいんだが・・・。」
「そうですねぇ。あの方は姫をとても愛しておいででしたから。自らの職を辞してまで、姫を愛された・・・。」
「皇宮警察の宮部と小久保にも、気を配ってやらなければ。教え子としてショックを受けているはずだ。」
「はい、もちろんです。」
 紫政帝にとっては、クファシルという名になっても、篤史はもう一人の息子に限りなく近い存在だ。ファイーナ姫と恋愛関係になった時も、自分が二人の仲を取り持ったようなものだ。それだけに彼がどれほど深い悲しみに暮れているかを案じて止まなかった。
 風馬皇太子も、同じ世代に生まれ、本来ならば皇帝同士として末永く付き合っていったことであろう姫の死が深く悔やまれた。また、時折明禅館を訪れる篤史にも、強い親近感を覚えていた。環境設計の指南をする時の彼はしっかりしていて、兄のように感じたものだ。
(篤史は辛いだろうな・・・。頑張ってくれよ。)

 再び、ライランカ湖畔宮殿・・・
 その日から数日間の食事は、ナディアと管理栄養士監修のもと、食べやすくて消化が良く、栄養価の高い献立が出された。トマトスープにラム肉ペースト添えの白パン、青菜のおひたし、アップルスフレとクミナ茶・・・という具合である、
 アルティオ、アレクセイ、クファシル共にやはり無口になっていたが、五日目の夕食のデザートに、ぐみの実のプディングが出た時に、ふとクファシルが呟いた。
「ぐみの実か・・・。ファーニャを送った時に、ぐみの実が現れたっけ・・・。」
 その言葉をアルティオが聞きつけ、顔色を変えた。
「なんだって!そんなことがあったのか!それで、それをどうした?!」
 彼の勢いの凄さに驚きながら、クファシルは答えた。
「はい、僕はそれをファーニャだと思って食べました。だから、ファーニャは今も、これからもずっと僕の中にいるのです。」
 アルティオは、自分の胸に手を当てたクファシルをじっと見つめた。やがて、とても優しい顔になってこう言った。
「そうか、君はそれほどまでにあの娘を愛してくれたのだな・・・。ファーニャは、ぐみの実になったか。
 きっと君が思った通りだよ。ライランカでは、水葬された魂は、形を変えて最愛の者に宿るという言い伝えがある。
 私も実はそうなのだ。・・・妃の体を送り届けた時、桜の花びらが降ってきてな・・・。」
 アルティオは左の袖をまくった。上腕に桜の花びらのような赤あざがある。
「ここについた花びらを剥がしたら、このあざが染みついたのだ。以来、ずっと残っている。それに、花びら自体も菓子のように甘かったこともあって全て食べてしまった。」
「それでは、父上!」
 二人は、花びらの形をした赤あざを見つめた。
「そうだ。これはカナリア・・・私の妃、ファーニャの母親の名残だ。カナリアもまた、私の中で生きている。
 私も言い伝えが果たして事実なのか、あるいは稀なるものなのか、確信がなかったのだが、今のクファシルの話を聞いて分かった。言い伝えは本当だったのだ。」
「・・・父上・・・。」
 アルティオは、二人があまりに悲しそうで深刻な顔をしているので、敢えて冗談めかして言った。
「だが、安心するがよい。おそらくだが、君たちに私や互いの痕跡は残るまい。クファシルにはファーニャの、アリョーシャには未来の妃の痕跡しか付かぬだろう。」
 二人は、顔を見合わせた。
「たしかに、野郎の痕跡は願い下げだ。」
「僕も、いかに尊敬する兄上とはいえ、男の痕跡は、ちょっと・・・。」
 二人とも、くすっと笑った。
 王室家族の喪が明けた瞬間だった。・・・

 六日目、医務官のウラジミルがクファシルの健康診断をしていた。
「おや?公卿殿下、どこかぶつけられましたか?左の腰にあざがございますが。」
 医師は鏡を使って彼にあざを確認させた。
「いや、特に心当たりはないが・・・。」
 言いかけて、彼は気づいた。そこは、彼女が彼に抱きつく時、最もよく触れていた場所だった。・・・
(ファーニャ・・・!)
 
 七日目の夜、クファシルは五弦琴を手に、テティス湖に向かった。霧が垂れ込めてくる。精霊が姿を現す前触れだ。彼は湖畔に腰を下ろし、五弦琴を抱えた。

いさなとり波満ちてなお君はなくただ思い出の場にて歌わん
あしひきの森青葉かな君が行く末永くとの夢は空しき
くさまくら人の旅路は遠くとも吾は留めん君の思い出
むなぎもの心伝えんさざ波よ行き去りし君今また偲ぶ

ねばたまの闇にて触れし君が肌我が胸すべてそを湛え継ぐ
ひさかたの天満つ星に君が肌抱きて眠る樫ぞ恋しき
たらちねの幼子のごと君が舞う樫の森こそ吾は恋しき
あかねさす紫衣を着た君も可愛かりしや過ぎかりし日は

うつせみの心尽くして愛せしをまさに語らんさざ波のごと
あらたまの年月早く過ぎゆきて君なき日々の儚さ辛さ
たまきわる君が命は尽きるとも紅きぐみの実吾が胸に入る
わかくさの妻を想いて折節の日々を偲ばん霜の降るまで

 テティスは彼の歌に聴き入っていた。
「クファシル。貴方も歌がお上手ね。」
「そうでしょうか・・・僕にはとてもそうは思えませんが。
 ところで、あのぐみの実は、本当にファーニャなのですか?そんな言い伝えがあると聞きました。」
「そうよ。あれはファーニャの魂の結晶・・・貴方はそれを本能的に口に運んだ。貴方たちの絆は本当に強いのね。
 また来て歌って。温かい愛の歌を・・・。」
 テティスは消えた。

二六.カフェテラスで

 一年後・・・

 今日もアレクセイは、警護官詰め所で汗を流して帰ってきた。夕食のデザートを食べているとき、アルティオから話しかけられた。クファシルは大陸の反対側にある街の行事に参加していて、その日は不在だった。
「ときにアリョーシャ、君はもう誰か見つけているのか?君もそろそろ妃を娶らなければならんのだ。即位してからでは難しくなる。」
「はぁ、そうですね。しかし、なかなか出会う機会がなくて・・・。」
「見合いは嫌なのか?クファシルがいくらお膳立てをしても、首を縦に振らぬというではないか。君もさほど鈍感ではあるまい。気づいているはずだ。」
「はい。兄上のお心遣いは有難く思っています。でも、僕はやはり自分の妻は自分で見つけたいのです。」
「ならば、もっと出歩け。可能な限りの外出もさし許す。警察官級剣士の君なら自分で身を守ることもできるだろう。」
「はい。ありがとうございます。」

 アレクセイは、まだ心の奥底にしまい込んだファイーナへの思慕が抜けきれないでいた。他の女性を見ても、恋愛とはほど遠く感じてしまうのだ。だが、自由に市中を出歩けるとなれば、可能性は広がるかもしれない。彼は警護官詰め所の稽古を早めに切り上げて市中を出歩くようになった。

 首都ザラトイブルクの街並みは、とにかく美しい。
 建物の壁は白に、屋根の色は茶色に統一されている。街路樹が立ち並ぶ道には塵一つ落ちていない。ごみ自体あまり街中の道に落ちることはないし、落ちていたにしても全て通りがかった市民の手で即座に街角の黄色い箱に入れられる。ライランカ人は美意識が強いのだ。自分の住む街は、常に美しくしておかねば気が済まないらしい。道行く人々の服装も、色とりどりの民族衣装で、それぞれに工夫が施されてはいても、揃っているという印象を受ける。

 そんな日々のある火曜日、彼はふと思い立って、それまでは通り過ごしてきた洋服屋の角にある小道を曲がってみた。
 しばらくいくと、小さなカフェがあり、テラス席のあいだから三歳くらいの男の子が飛び出してきて転び、今まさに泣き出そうとしているところに出くわした。
 アレクセイは、その子を咄嗟に抱き上げた。
「泣くんじゃない。男の子だろ。」
 男の子は、突然知らない人に抱き上げられて驚いたらしく、泣くのを忘れて彼の顔をじっと見つめた。
「よーし。良い子だ。」
 彼はその子を下に下ろして、肩をポンポンと軽く叩いた。
「エド!大丈夫?怪我してない?・・・あら、すみません。ちょっと目を離した隙に・・・。」
 近づいてきた女性がいる。可愛らしい感じの女性だった。
「おばちゃーん!」
 男の子は彼のそばを離れて、その女性に駆け寄った。
「甥がお世話をおかけしました。」
 少しコロコロするような声で、彼女は言った。
「甥御さんだったか。このくらいの子は危ないからね。」
 アレクセイは、そう言って、また子供を見た。
「あら?どこかで見覚えが・・・皇太子殿下?!だけどまさかお一人で街の中にいらっしゃるはずはないし。でも、そっくり・・・!」
「うん、私はアレクセイ。皇太子を務めている。」
 彼は微笑んだ。
「えっ!本当に?・・・し、失礼いたしました!エド、膝を引いて。私はマリン・スニエトスカヤと申します。これは姉の子でエドワード・マハコフです。」
 彼女は慌てて膝を引き、男の子にも同じことをするように言った。男の子は、分からすにそのまま立っている。
「いいのだ。小さな子には、まだ無理だよ。ただのお兄さんでいい。」
「殿下、どうもありがとうございます。」

 エドワードが遊具で遊んでいるのを見守りながら、アレクセイはそのマリンという女性と話をすることができた。
 彼女は近くにある国立博物館で学芸員として働いている。エドワードは姉・シエナの息子で、母親が病院の看護師として働いているあいだ、マリンが面倒を見ているとのことであった。博物館は火曜日が休館日で、日曜日に休める姉のシフトとうまく咬み合っている、ということだ。
「なるほどね。よくできているものだ。」
「はい。それで何とかこの子の面倒を見ています。来年から幼稚園に上がると、姉が帰る時間まで預かってもらえるのですが、それまでは。」
「大変だね。」
「いえ。家族ですから。」
 彼女は幸せそうに微笑んだ。

(何だろう・・・この人と話していると落ち着く・・・。)
 新しい感覚だった。初めは可愛らしい人だと思った。でも、話をしていると、明るいだけではなく、聡明さが滲み出てくるのである。
(こんな人が「おかえりなさい」なんて言ってくれたらなぁ・・・。あれ、何を考えてるんだ。さっき初めて会ったばかりじゃないか・・・。)
 彼女は髪を緩く束ね、金色の髪飾りをつけている。日の光を浴びて、髪飾りが煌めいて見えた。

 帰り際に彼は尋ねた。
「もし火曜日この時間にここに来たら、また君と会えるかな?」
「えっ、はい。たぶん・・・。」
 マリンのほうは何故そんなことを訊かれたのか分からないようだった。ただ甥の手を引いて帰って行った。
 それにしても、小さな子を抱えて働く女性の大変なこと・・・。何とかしてやれないものだろうか。

 アレクセイは、さっそくアルティオに話してみた。
「小さなうちほど育児は大変なようです。何とかしてやれないものでしょうか?」
「なるほど。学童保育は作ったが、その下の子は受け皿がないか・・・。
 実は、かつて一度検討してみたものの、人材と場所が不足していたことから断念したことがある。それに、小さな子はすぐ熱を出す。皆が責任を持てないというのだ。医師を派遣するにも数や予算が途方もない、ということでな。」
 アレクセイは、しばらく考えていたが、思い立って言った。
「それなら、いっそのこと、病院で預かるというのはどうでしょう?大きな病院では、空いた場所が必ずあるはずです。当然医師が居ますし、二十四時間体制ですよね。責任は全て国が取ることにすれば、引き受けてもらえませんかね。」
 アルティオは驚いた。こいつは、短時間でなんという大胆な発想をするのだ。だが、たしかに悪くない案だ。
「分かった。会議にかけてみよう。」

 その夜、寝床に入ったアレクセイの脳裏に、昼間会ったマリンの顔が浮かんだ。
(彼女、可愛かったなぁ。国立博物館か・・・。幾度も入っているけど、彼女みたいな人は見かけた覚えがない。裏方かもしれないな。)

ここから先は

0字
有料にはしてありますが、全記事が無料。寄付歓迎マガジンです。お気に召したら、サポートお願いします。

長編仏教ファンタジー「ルシャナの仏国土」第3編。 毎週木曜日更新。全6回。 皇女ファイーナは残された時間を篤史(帰化後はクファシル)と共に…

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは創作活動費に使わせていただきます!