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ルシャナの仏国土 海洋編 16-20


一六.少女アムリタ

 ウユニには、精霊獣と呼ばれろ生命体が何体かいる。空を行くガルーダ、海底深く潜むクラーケン、神出鬼没のラクシュミー、サラスヴァティなどである。
 グラーヴェランド事件の被害者のうち、家族と再会できなかった者は一人のみ。それが当時六歳だったアムリタだ。彼女の住んでいた村は、グラーヴェ一味によって滅ぼされてしまった。
「どこかに親戚はおらぬのか?」
 オンネトは膝をかがめて優しく尋ねた。とりあえずの面倒は城で見るにしても、それもいつまでもというわけにはいかぬ。
 少女は、首を横に振った。
「誰もいない。みんな殺された。」
 この子だけは売り物になると思ったと、一味の者が白状した。たしかに成長すれば美しくなるであろう素質を、この子は持っている。
「それで、お前は何を持っている?テレパシーか?」
 少なくともテレキネシスやテレポートはなさそうだ。もしあれば、事件の時に使って逃れたはずだ。少女は、少し考えて答えた。
「うーん、よくわかんないけど、動物たちとは話せるよ。今おじさんが考えてることもわかる。私、ここにいられないんだったら、動物たちのお世話ができるところがいい。」
「そうか。わかった。探してみよう。」

 最初にオンネトは動物園の園長夫妻のところに連れて行った。彼女は渋った。
「ここは、あまりよくない。」
「どうしてだい?」
「あの女の人、台形してる。・・・」
「台形?」
 どういうことを言いたいのだろうか。何かは分からぬが、きっとそれなりの理由があるのだろう。

 次に、牧場に行った。
「申し訳ありません、陛下。うちはもう子だくさんで・・・。」
 つまり、この子は預かりたくないのであろう、とオンネトは考えた。

 さて、どうしたものか・・・。と考えていると、空から声が聞こえた。
「その子は、私のところで預かってもよいぞ。」
 見上げると、精霊鳥ガルーダがそこにいた。本来は巨大なのだが、この時は人を二、三人乗せるにちょうど良い大きさで現れた。
「ガルーダ!」
 オンネトが叫んだので、アムリタも空に現れた大きな鳥に気づいて驚いたようだ。思わずオンネトの腕にしがみついた。しかし、即座に相手に敵意がないと感じたらしい。恐れなくなった。

鳥は彼らのそばに舞い降りる。
「オンネト、その子には、私の世話を頼みたい。ときどき背中が痒くなるのでな。」
「しかし、食べ物はどうする?それに学問は?」
「私のところには、近隣の村々から貢ぎ物が来る。食べ物も書物も、そのついでに持ってきてくれれば良い。あとは引き受けよう。」
「有難い話だが、何故君がそこまでする?理由が分からぬ。」
「なに、私は、この子を気に入ったのだよ。この子の中の強さと純粋さにね。それに頭も良い。女たちが身を挺して自分を庇ってくれたことも、ちゃんと理解している。」
 オンネトは。少女に訊いた。
「アムリタ、本当なのか?一緒にいたお姉ちゃんたちがどんな気持ちだったのかまで分かってるのかい?」
「うん。青い髪のお姉ちゃんも他のお姉ちゃん達も、みんな私を庇ってくれた。すごく感謝してる。」
「アムリタ、君もウユニの子なのだね・・・。」
 オンネトは、少女のことが急にいじらしくなってきた。
「ガルーダ、せっかく迎えに来てくれたところをすまないが、やはりこの子は私が引き取る。そうさせてくれないか。」
 表情が分からぬ鳥の顔で、ガルーダは言った。
「ほほぉ、君が育てるというのか。まぁ、それもよかろう。しかしその前に・・・。」
 ガルーダは、自分の羽根を一枚抜いて、己が腕に突き刺した。
「何をする?!」
 オンネトが叫んだ。
 鳥は腕から出た血の一滴を、少女の上に垂らした。赤い血は、少女の頭にかかってすぐに消えた。
「私の力を少しその子に分けてやっただけだ。オンネト、この子を頼むぞ。不幸にしたら、私が許さん。」
 ガルーダは、そのまま大空へと飛び去った。
 オンネトは、遠くへと消えていくガルーダを見送った。もしかしたらガルーダは初めから自分にこの子を引き取らせる気でいたのかも知れぬ。私にその気を起こさせるためにわざと試すようなことをしたのだ・・・。
「アムリタ、おじさんの子供にならんか?」
「んー・・・どうしよっかなぁ・・・。」
 少女は、穴が空くほどオンネトを見つめた。
「いっかー。」
 こうして、アムリタはオンネトに引き取られ、皇女として育てられた。彼とサトヴァ妃との間には子供がいなかったのだ。

 それから十年の年月が経過した。
 アムリタは、美しく聡明な少女に成長していた。ただ、あの日自分を救ってくれた女性たちのことは、ずっと忘れない・・・。
 そんな彼女に、あるとき変化が起きた。突然『繭』のようなものができて、彼女をくるんでしまったのである。
 それはウユニでは、さほど珍しい事ではない。子供から大人になるとき、しばしば起こる現象だ。力が強い者にほど、それは起こる。
「アムリタは、どんな姿になるのでしょうね。」
 サトヴァが言った。彼女自身も、両肩が鱗で覆われている。
「アムリタは、ガルーダの血を受け取っている。強い力を持つことは確かだが、どこまでいくか・・・。」
 今では、彼はアムリタが可愛くて仕方がない。
「この子には私と宮廷医のサラがついていますから、貴方は何日間か席を外していてください。殿方には見せられません。」
 それはウユニの掟だった。繭から出た時、その体は裸体だ。異性が見てはならない。オンネトには長く感じられる数日間だった。

 五日後の朝、オンネトのところに使いの者がやってきて、サトヴァからの伝言を伝えた。
 さっそく部屋に駆け込むと、容態の落ち着いたアムリタが椅子に座っていた。頭からは捻れた小さな角が二本生えている。
「アムリタ!」
 オンネトは娘を抱きしめた。背中には違和感があり、妖力も強くなったように感じる。サトヴァが言った。
「オンネト、この子は角が生えた他にも、背中に羽を持っています。」
「羽か。それはやはりガルーダの血かな。」
「お父様・・・。私、今までよりも遠くのことも見えるみたい。それに、テレポートも・・・。」
 いろいろ試させると、読心術はより強くなり、炎といかづち、治癒術、能力操作など多くの力が備わったようだ。オンネトは特に能力操作が出来ることに注目した。もしかしたらこのは皇位を継ぐに相応しい器かもしれぬな・・・。
「ガルーダのところに行ってもいいですか?この姿を見せたいの。」

一七.皇女の家出

 ウユニでは、それぞれの能力の成熟度合いによって『成年の礼』が行われる。
「お前はまだしばらく先にしたほうが良さそうだな。」
 オンネトは娘の成年礼をしばらく見合わせることにした。力が強い分、自分で制御して使いこなすまでには時間がかかりそうだ。
「でも、お父様、私は、どうしても他の国に行きたいの・・・。」
「駄目だ。とにかく待て。」

 そんなやりとりが数日間続いたある朝、アムリタの姿は時間城から消えていた。
「あの子、きっと成年礼の前に行きたかったのですね。」
 サトヴァは冷静だった。
「しかし、国外は私が千里眼で守ってやることが難しい。あの子はまだ未熟なのだぞ!もし何かあったら・・・!」
「あの子なら、きっと大丈夫です。
 おそらくこうなるのではないかと思っていましたよ。あの子は幾度となく、グラーヴェランド事件で自分を庇ってくれた人々に会ってお礼を言って回っていました。でも、七人のうち、国外のライランカとカレナルドの二人にはまだ会えていません。おそらくあの子は、ライランカとカレナルドに行こうとしているのです。」
「おそらくそうであろうな。やはり止められぬか。」
 オンネトはがっくりと肩を落とした。

 その頃、アムリタはすでにウユニ大陸を遥かに望む、孤島ナーダマの港町までテレポートしてきていた。オンネトの千里眼も、そこまでは及ばない。
「お父様、お母様、黙って出てきてごめんなさい。」
 彼女は大陸に向かって呟いた。けれども、彼女は別の気配を感じ取ってもいた。誰かが見ている・・・時間城からずっと・・・。でも、敵意はない・・・。
「誰?誰なの?姿を見せて。」
 気配の主は、槍と鎧で武装した三十歳くらいの女性だった。槍を前に置いて彼女の前に跪く。
「流石は姫様、お気づきでしたか。ご無礼仕りました。水竜騎士ボーディにございます。明け方近く、姫様が城を出られるのに気づき、急きょお供した次第。」
 竜の角を生やし、厳しい顔つきをしてはいるが、アムリタにはその瞳が温かく思えた。
 騎士階級は、惑星市民条約機構のもとで世界的に皇帝制に統一された後、ほとんどの国で廃止されたが、ウユニでは騎士たちの強い意志を尊重して、私的財産権を完全放棄して国に尽くすことを条件に、その名誉を維持していた。
「ボーディ、貴女でしたか。でも、騎士はあくまでも国の為に尽くすもの。私的な目的のために国外に向かう者を守ることは、騎士の任務を逸脱することになると思いますが。それに、私はもともと皇帝の実子ではなく、引き取られただけ。皇位とは関わりがありません。」
 アムリタは言った。彼女は本当にそう思っていた。次期皇帝は、おそらく議会で決められた人がなるのだろう、と。
 しかし、ボーディの意見は違っていた。
「姫様、皇位とは関係なく、今の貴女様は紛れもなくウユニの姫様です。オンネト帝陛下とサトヴァ皇后陛下のお子様にあらせられるのです。両陛下が姫様を思われる心は、まさしく親心というものです。姫様のお望みを叶え、無事に時間城までお帰しして、両陛下のご心配を取り除いて差し上げるのも、我々騎士の任務と心得ます。
 さらに、まだ繭から出られたばかりの、十六歳の姫様お一人をみすみす行かせては、それこそ騎士の恥。どうかお供することをお許し下さい。」
 ボーディは懇願した。彼女には騎士としての誇りと使命感があるのだろう。
「わかりました、顔を上げて下さい、ボーディ。それではカレナルドとライランカまで護衛をお願いします。ただ、旅のあいだは名前で呼び合いましょう。」
「はっ!かしこまりました、アムリタ様。」
 こうして主従二人の旅が始まった。

 ボーディはまず搭乗できる船を探した。船さえ確保してしまえば、あとはカレナルドを経由してライランカまで行けば良い。
 ところがその船の手配がなかなか難しかった。大方の船は、彼女たちの角を見ただけで断るのだ。
「ウユニ人?あー、ダメダメ!」
「他の船に乗せて貰いな。何もうちでなくてもいいんだろ?」
「ふん、獣が!あっち行けよ!口を利くのも汚らわしい!」
 最もひどかったのは六艘目の女主人だ。彼女たちの姿を見るなり、目を三角にして、あからさまに嫌な顔を見せて扉を閉めてしまった。
「我々を一体何だと思っている!」
 ボーディはたいそう憤慨した。騎士として、ウユニ人としての誇りが傷つけられたのだ。
「まあまあ、ボーディ。そんなに怒るだけ無駄です。人というものは、すぐ見かけで判断してしまう。そうしたものです。」
 アムリタがなだめる。
「しかし、このままでは海を渡れません。・・・」

 その時、二人が船を探してその間を行き来していることに気付いて、声をかけてきた者がいる。
「何なら、乗せてやろうか?ただし、その分働いてもらうが。」
 見れば、ボーディと同じように武装してはいるがもう六十くらいの女性だ。肩にキャプテン・コートを羽織り、腰にサーベルを下げている。
「貴女も船を持ってらっしゃるんですか?」
 アムリタが尋ねた。
「あぁ、持ってるよ。みんな乗りたがらないが。・・・あれさ。」
 その指さす方向にあったのは禍々しい雰囲気を漂わせる真っ黒な船だった。蛇や蜥蜴の飾りを船体に貼り付け、上には骸骨の旗が風になびいている。
「お前、海賊か!よもやこのお方に変なことをさせる気ではあるまいな?!このお方に指一本触れてみろ、ただではおかぬ!」
 ボーディは槍を構えた。
「ほぉ、お前たちには主従関係があるのか。嫌なら構わん。・・・と言いたいところだが、私も実は人手が少し足りなくて困っていたところなのだ。何分にも見ての通りの海賊なのでな。それに、私も女であることに変わりはない。決して妙なことはさせぬ。料理、洗濯、皿洗い、掃除、船の帆の手入れや甲板磨きなどの雑用だ。ウユニ人なら、それに嵐よけもできるんだろ?こっちも好都合なんだよ。」
「お前、このお方にそんな雑用をさせる気か!」
 ボーディは怒ったが、アムリタは平気だった。
「いいでしょう。私、やります。」
「アムリタ様!」
「ふーん、あんた、アムリタっていうのかい?なんか良いとこのお嬢様みたいだけど、こんな海賊の言うことを真に受けるわけ?甘いねぇ、嘘かもしれないのにさ。」
「私には、人の心の良し悪しが分かります。貴女は見かけは偽っていても、実は優しい人。・・・私がこれから訪ねていく人たちと同じなのです。」
 女海賊は、照れくさそうに微笑んだ。
「へぇ、そりゃどうも。どうやらお金持ちのお嬢様の道楽じゃないらしいね。さぁ、乗りな!海賊船ルナ・ブランカ号にようこそ!私は、キャプテン・マグダレナ。」

一八.水竜騎士ボーディ

 ルナ・ブランカは、外見とは裏腹に、所々にムーブメントなどが飾りつけられた美しい内装の船だった。
「見た目をああしておかないと、何かと物騒だからね。一応『海賊』なんて名乗ってるのも、そのためさ。」
 マグダレナはアムリタとボーディをホールに案内した。
「もしや、この船には女性しかいないのではありませんか?」
 アムリタが尋ねた。船内に男性の気配を全く感じないのだ。
「おや、お嬢ちゃん、察しが良いね。その通りだ。しかも、みんな訳ありでねぇ。」
 そこへ、茶色い髪の女性が入ってきた。
「キャプテン、また誰か連れて来たのですか?」
 その姿を見た瞬間、アムリタは駆け寄り、抱きついた。
「バレンシアお姉様!」
 いきなり抱きつかれた本人は、唖然として相手のなすがままになっている。
「な、なに?!どうして、私の名前を?!」
「私、アムリタです!グラーヴェランド事件の時に助けていただいた、アムリタです!」
「アムリタ・・・?そうだ、思い出した!あの時の女の子!」
 バレンシアと呼ばれた女性は、一旦アムリタの顔を自分から少し離して改めてよく見つめ直した。確かにあの子の面影がある・・・。その頬を軽くさすってやると、彼女の目はますます潤んでくる。
「大きくなったわねぇ。無事で良かった。・・・こんなに立派になって・・・。」
 バレンシアはアムリタを抱きしめて、頭を愛おしく撫でた。きつく抱き合った彼女たちの目からは涙が溢れ続けている。
「・・・そうだったのかい・・・。」
 マグダレナはすべてを察した。

 一方、ボーディのほうは訳が分からない。彼女はアムリタからまだ何も聞いていなかったのだ。
「アムリタ様?一体どうなさったのです・・・?」
 歩みよろうとする彼女をマグダレナが止めた。
「今はそっとしといておやり。
 そうか、あんたは何も知らずに付いていたのか。グラーヴェランド事件を覚えているかい?」
 マグダレナがボーディに話しかけた。あの忌々しい事件は忘れようとしても忘れられない。いや、ウユニ人として絶対に風化させてはならない事件だと、ボーディも思っていた。
「バレンシアも被害者のひとりだった。いきなり連れ去られたんだそうだ。あの子は他の五人と捕まっていた。そこにまた、まだ年端もいかぬ小さな子供が連れてこられて乱暴されようとしたんだ。その時、その場にいた女たちがみな身を挺して女の子を庇った。あのバレンシアもそうだ。おかげでその子は何もされずに済んで、数日後に警官隊が突入して助かった。
 その後、バレンシアは解放されて家に戻されたんだけど、それが厳格というか冷たい家族でね。不潔だとか何とか言って家から追い出しちまった。バレンシアはあてもなく街中まちなかを彷徨っていたところを、あたしが見つけて船に乗せたって訳。だけど、あの子もまだ運が良かった。もしまた悪い男どもに見つかっていたらと思うと、ぞっとするねぇ。」
 マグダレナは、溜息をついた。
「アムリタがカレナルドとライランカに行きたいと言ったのも、その時に自分を守ってくれた女たちに会うためなんだろう。バレンシアはカレナルド人、そしてもう一人はライランカ人だった。」
「ひどい家族もいたものだ。それにしても、君は良い奴だったんだな。・・・疑ってすまなかった。私はボーディ。水竜騎士ボーディだ。」
 ボーディは手を差し出した。
「ウユニには騎士が残っていると聞いていたが、本当にいたとはねぇ。・・・その騎士さんが海賊なんかと握手していいのかい?でもまぁ、折角だから。」
 マグダレナは、手を握り返した。
「待て・・・騎士のあんたが付き従っているとすると、あの子は・・・?!」
「そうだ。あのお方こそウユニのオンネト帝陛下のご息女アムリタ様なのだ。姫様が居城を抜け出されるからには、何かよほどの理由があるはずだとは思っていたが、そういうことであったとは・・・。姫様は六歳の時に、オンネト帝陛下が城に連れておいでになった。私たちには、ただ身寄りのない子供が森の中で迷っていたので連れて来た、としか仰らなかったのだ。」

 アムリタたちが泣き止んだ頃を見計らって、マグダレナが言った。
「さて、アムリタ。これでカレナルドに行く目的は無くなった訳だが、どうするね?」
「出来れば、このままライランカまで乗せて下さい。お願いします、キャプテン!」
「回り道になっても、かい?こっちにもいろいろあるんでねぇ。」
「もちろんです!何でもやりますから。」
「わかったよ。分かったから、その懇願するような目は止めとくれよ。こっちが恥ずかしくなるじゃないか・・・。バレンシア、お前がいろいろ教えてやりな。世話係だ。」

 その夜、アムリタはバレンシアと寄り添って眠っていた。
 ボーディは、マグダレナを連れて甲板に出た。
「これから、私のもう一つの姿を見せる。驚かないでくれたまえ。そして、アムリタ様には内密に頼む。」
「姫様に隠し事作っていいのかい?それに、なんであたしを連れて来た?」
「君には、これから世話になる。キャプテンとして、己が乗組員をより詳しく知っておきたいだろうと思ってな。」
 ボーディの姿がいきなり二つに分かれた。一つは角が無くなった普通の人間の姿、そしてもう一つは完全なる巨大竜だ。
「紹介しよう。我が分身、スヴァーハーだ。
 スヴァーハー、済まんが時間城まで使いを頼む。ここからならまだ往復できるはずだ。」
 竜は、遙か彼方まで飛んでいって、あっという間に見えなくなった。
「そうか。あの子のことを知らせに走らせたね。」
 マグダレナが言った。
「あぁ、ご両親はさぞかし心配されているだろうからな。私が付いて、更に君のような頼もしい味方も出来たことをご報告しておけば、きっと安心される。それに、多少の回り道になっても、目的地はもうライランカのみと定まった。それだけ大きな前進と言える。」
「ふーん・・・。それにしても、あんた、結構美人じゃないか。騎士なんかにしとくのは勿体ないねぇ。」
 マグダレナは、ボーディの顔を覗き込む。騎士はわずかにはにかんだようだった。
「からかうな。・・・あぁ、もう帰って来たか。ご苦労であった。」
 竜が再び現れ、ボーディはまた元の厳つい騎士に戻った。

一九.雪の墓標

 翌朝から、アムリタとボーディは船内で働き始めた。掃除、洗濯、皿洗いから帆の繕いまで、アムリタは何でも器用にこなした。彼女は六歳まで普通の村人として育った。何事にも人手が足りなかった小さな村で、子供にも役割が与えられていた。慣れていたのである。
 それにひきかえ、ボーディは幼少期から武術しか教えられていなかった。料理はおろか、まともな箒や雑巾の使い方すらおぼつかない。モップを持たせても力の入れすぎですぐに穂先を擦り切らせてしまった。
 これにはマグダレナも呆れたが、ボーディに悪意がないのは分かっている。
「あんたに家事を教え込むのは、相当骨が折れそうだね。そんなんじゃとても嫁には行けないよ。」
 ボーディは、赤面して俯き加減になりながら言った。
「わ、私は別に嫁に行こうなどとは思っていない!・・・しかし、迷惑をかけた。・・・」
「ま、そのうちに覚えるだろ。しばらくは、みんなの師範役になれば良い。武術を教えるんだ。それなら得意だろう?一応はあたしと副船長が教えてあるが、まだまだなところがある。そうさねぇ、毎日、朝夕一時間くらい練習時間を取るか。それから、操舵室で案内を頼むよ。嵐とかシケとかさ、分かるんだろ?」

 操舵室で舵を握るのは、マグダレナと副船長のシャンメイ・リンだ。交代で船を進めているとのことだった。
「私のことは、サブキャップと呼んでね。」
 シャンメイは五十代前半くらいの、もの静かな女性だった。しかし武術の稽古では、かなりの腕を持っている。
「なかなかの腕ではないか。生半可ではない。どこで習った?」
「父は、私たちきょうだいに剣術の家庭教師をつけたの・・・。もうすぐ分かるから言うけど、次の寄港地はスノー・クリスタル。私の両親がそこに眠っています。」
「はて、そのような地名は聞いたことがないが・・・。」

 それは、ウユニのナーダマ港とカレナルド大陸の中間地点にある小さな無人島だった。あちこちに凍結した岩が散乱し、その隙間を粉雪が覆っている。植物は一切見当たらない。極南に位置するウユニが他の国と同じように生活できるのは、大陸中から噴き出している『法力』の影響と考えられているが、その一帯を離れた地は、やはりかなり寒い。すべてが雪と氷で覆われ、一切の生命体を拒む。

 上陸したシャンメイは、真っ直ぐ歩いて行った。アムリタとボーディは、その様子をなんとなく見ていた。
 やがて、彼女は一つの人工的な透明のモニュメントの前で立ち止まって座った。花を手向けて話しかける。
「お父様、お母様、シャンメイが参りました。お久しぶりでございます。・・・マコにいが亡くなったそうです。寂しくなりますね・・・。」
 彼女はその場に泣き伏した。雪の結晶の形をしたそのモニュメントには、二つの名前が彫られていた。
 ・・・ヴィクトル・ベッカー、マルカ・ベッカー、ここに眠る・・・

「シャンメイを見てるのかい?」
 アムリタとボーディの後ろからマグダレナの声が聞こえた。
「人様のことにはあまり首を突っ込むんじゃないよ。でも、あの子は毎年この時期にここに墓参りに来るんだ。あたしゃ、きっと命日に違いないと睨んでるんだがね。」
 アムリタが言った。
「私には、目で見える範囲であれば、ほとんどの人の心が分かります。キャプテンが考えている通りですよ。彼女は、ご両親の命日に合わせてここに来るのです。今年はそれに加えて、お兄様を亡くされたようですね・・・お辛いでしょう。」
 そう言っているうちに、彼女は自分の実の家族を思い出した。家族は、グラーヴェの一味によって殺害されたのだ。
「お父さん、お母さん、アグアお兄ちゃん・・・。」
 彼女も泣き出した。
「アムリタ様・・・。」
 ボーディが優しく包み込む。彼女の鎧にしがみついて、アムリタは泣いた。

 船に戻ってきたシャンメイは、元の穏やかな副船長に戻っていた。彼女は、あのモニュメントの前でだけ昔の自分に戻ると決めているのである。
「アムリタ、どうやら貴女には隠し事はできないようですね。もう私がこの船に乗った経緯も分かっているのでしょう?」
「はい。でも、貴女は今のままが一番いいと思ってらっしゃる。私がとやかく言うことはありません。」
「でも、お隣のボーディさんは知らないのでしょう?説明して差し上げますわ。」
 シャンメイは、静かに話し始めた・・・。

 私は科学技術立国アルリニアに生まれました。でも、実の両親のことは何も知らないの。シャンメイは、香り立つ梅っていう意味らしいけれど。
 一組の夫婦が孤児院にいた私を引き取ってくれた。そこにはもう、子供が五人いて、本当の家族のようになっていったわ。私の後から、もう一人ウユニ人が引き取られて、きょうだいは七人になった。賑やかで温かい家庭だった・・・。
 それだけ多くの子供を集めて、環境設計家の父が成そうとしたのは、人々の幸せと自然との共存。それぞれが十五歳になるまで、父は環境設計学をはじめとする全ての知識と、自分の身を守るための剣術を私たちに身につけさせた。そして、それぞれの母国に帰したの。環境設計家としてね。
 でも、科学技術立国では、環境設計学を軽んじた。人間の力でできないことはない、とでも思っているのね。私は国を出た。そこをキャプテン・マグダレナが拾ってくれたの。
 そして数年が経った頃、その両親・・・ベッカー夫妻がこの海域で遭難したことを知ったわ。あれは私が二十八の時だった。そして、きょうだいが話し合って、あの墓標を建てた。・・・

「待て。すると君にはウユニ人のきょうだいもいるというのか?」
 ボーディが尋ねた。
「えぇ、名前はムーム。今は環境局の長官を務めています。」
 二人はムームを知っている。
「あのムームが・・・。」
「ムーム長官が貴女の妹御なのか。」
「あなた方は妹をご存じなのですか?!」
 シャンメイも驚いたようだ。
「実は、私は皇帝に引き取られた者。これはウユニに仕える騎士なのです。私が国外に行くのに付き従ってくれているのです。」
「では、貴女はウユニの姫様!ご無礼仕りました。」
「いえ、私はただ引き取られただけです。いわば貴女と同じ立場なのかもしれませんね。・・・お兄様のこと、心よりお悔やみ申し上げます。
 それにしても、ご縁とは分からぬものですね。この船で、私は大恩あるバレンシアお姉様と、ムーム長官のお姉様のお二人に出会えたのですから。」

 実は亡きヴィクトル・ベッカーによるこの縁が、後々幾重にも結ばれていくことを、この時の三人は知る由もなかった。

二十.竜の親子

 船はカレナルド大陸の端にあるリャベの港に着いた。海洋警察が本部を置く港町ポルテアスルとは反対側にあって治安はあまり良くないが、毎月市が立つ、賑やかな街だ。
 マグダレナも、その海域ではここで商っている。交易品を売り買いして、その差額で暮らしているのだ。
 力持ちのボーディが荷下ろしを手伝う。アムリタも、テレキネシスで荷物を動かしていた。
「アムリタ、ボーディ、おかげで助かった。いつもの半分の時間で済んじまったよ。」
「そうか?役に立てて何よりだ。私はいろいろなものを壊してしまったからな。」
「あたしらはこうして暮らしてるんだ。遠くの珍しい物を運んできて売る。まー、言ってみりゃ手間賃だね。」

 ふと見ると、バレンシアが海岸に佇んで海の向こうを寂しそうに眺めている。
「バレンシアお姉様・・・。」
 アムリタが近づいて声をかけた。
「あぁ、アムリタね。この港もすっかり変わってしまった。橋だの桟橋だの倉庫だのが建ってしまって。昔は綺麗な水平線がいっぱいに広がっていたのに。」
「現実は変わっても、思い出は残っています。何らかの痕跡を見つけて懐かしむのも、たまには良いかもしれませんね。」
「痕跡・・・ね。アムリタ、貴女、本当にあの時の子なの?何だか私より年上の人みたいじゃない。」
 彼女は微笑みながら、まだ自分よりは背が低いアムリタの頭を撫でた。

「よぉ、姉ちゃん、寂しそうだね。遊ばない?」
 その時、船員らしき男が何人か近寄ってきた。
「悪いね。私は忙しいんだ。」
 バレンシアは断って通り過ぎようとした。だが、男たちは諦めない。
「そんなつれないこと言うなよ。」
 近寄ってきて、手を引っ張ろうとした。その時だ。
「止めなさい。さもないと怪我をしますよ。」
 アムリタが毅然とした態度で言った。
「あれぇ?今なんか言ったぞ、このガキ。」
「ウユニ人か。だが、まだ子供じゃねぇか。こいつも連れて行っちまえ。」
 どうやら良からぬ男たちのようだ。過去がフラッシュバックする。バレンシアは身震いした。私一人なら習い覚えた剣でなんとかなるかもしれないが、果たしてアムリタまで守りきれるかどうか・・・。
 しかしその不安に反して、アムリタがバレンシアを庇って男たちの前に立ちはだかった。
「そうですか・・・。では、力ずくでそこを通してもらいます。まだ力加減がわからないので、殺してしまうかもしれませんが、許して下さいね。」
 アムリタの全身から雷が放たれた。稲妻が幾筋もの閃光となって男たちの体を直撃する。
「ひ、ひいぃ・・・。」
 ある者は全身が痺れ、またある者は肌が焼けただれて気絶した。男たちが恐れ、悲鳴を上げて逃げていったあとを、アムリタはバレンシアを連れて進んだ。

 無事に船に乗り込んでから、バレンシアはアムリタに礼を言った。
「アムリタ、ありがとう。今度は貴女に助けられたわね。でも、あの時にはあの雷はできなかったのね。」
「はい。ウユニ人は、成長しないうちは心を読むことくらいしか出来ません。それが覚醒期を過ぎてから、それぞれに備わっていた特殊能力が使えるようになるのです。もしあの時、今の力が使えていたらと思うと・・・本当に悔いています。
 それに、あとから聞いた話では、捕まっていた女の人たちは、ウユニ人でも数少ない特殊能力を持たない人たちだけだったみたいです。・・・」
 アムリタは悲しげに俯いた。男たちは、抵抗できない者を選んで攫ったのだ。
「アムリタ、貴女は小さかった。仕方がなかったのよ。それより、今ここにいる貴女自身を大切にして頂戴。そのほうが私は嬉しいの。」
「バレンシアお姉様・・・。」
 アムリタはまた泣き出しそうになった。
「泣かないで。貴女はもう大人になったの。自分で立派に身を守れるじゃない。だから、もう泣かなくて良いのよ。」

 その日からアムリタは改めて特殊能力の練習を始めた。たとえ悪者であったとしても、こちらの技術不足で相手の命を奪うようなことがあってはならないと気づいたのだ。
 雷と炎を、自ら投げた小石に当てる。微妙に力加減を変えたり、幾つも同時に飛ばして狙ったりした。テレキネシスで空中に浮かせたりもした。
「ウユニ人ってのは、やっぱり凄いねぇ。」
 マグダレナが感心して言う。
「いや、アムリタ様は恐らくまだ伸びる。」
 ボーディは、彼女に秘められた力を感じ取っていた。アムリタはまだ飛ぶことを知らなかったが、背中に羽がある以上、もしかしたら空を飛ぶこともできるかもしれないのだ。ボーディ自身も、単独で、あるいは分身竜に乗って飛行することができる。
「アムリタ様、一度羽を試してみられては如何ですか?まだ空へはいらっしゃっていないでしょう?気持ちが良いですよ。」
「うーん、どうかしらねぇ・・・。」
 ところが、背中の羽は丸まっていて、自分の意志では広げることができなかった。
「私には無理かな・・・。」
 アムリタはそう言ったが、ボーディはそうは思わなかった。何かきっかけが必要なのかもしれないと考えたのだ。彼女は、しばらく様子を見ることにした。

 ルナ・ブランカ号はカレナルドを出て、オルニア大陸に向かった。その数日後のこと・・・。
 突如として雷雲が船の上空にかかった。その時は、マグダレナがアムリタの案内で舵を操っていた。
「おやぁ?暗雲がかかってしまったね。アムリタ、あんたは感じなかったのかい?」
 マグダレナが尋ねた。ウユニ人なら、雷や嵐が分かるという噂だった。
「これは、普通の雷雲ではありません。竜族の気配です。キャプテン、真正面を見て下さい。」
「ん?あの山がどうかしたかい?」
 前方、遥か遠くに仰ぎ見るような高い影が現れていた。
「あれは山ではなく、竜族の体です。」
「何だって?!」
 あのとてつもなく大きな影が生命体だというのか?・・・マグダレナがそう聞き返そうとした時、ボーディが奥からふらつきながら出てきた。目がうつろになり、まるで他の何者かに操られでもしているかのように、無言のまま甲板に出て行く。
「ボーディ?!」
 マグダレナが呆然としている中、アムリタは彼女を追いかけた。ボーディは竜族。あの竜に引き寄せられたとしても不思議ではない。
(お母様・・・。)
 ボーディではない別の声が聞こえる。普通の人間には聞こえないであろうそれは、きっと竜の声に違いない。そうか、あの竜は、ボーディの分身竜スヴァーハーのお母様なんだわ。そして、我が子を呼んでいる・・・。
 また別の声が聞こえる。今度はおそらく母竜の声なのだろう。
(娘よ、我が愛しき娘よ。・・・私にはおまえの顔が見えない・・・会いたい・・・。)
 竜はかなり遠くまで見通せる筈だ。何かがおかしいと思ったアムリタは叫んだ。
「スヴァーハー!ボーディから出て、私を乗せなさい!貴女のお母様とお話をさせて!」

 ボーディの体から分身竜スヴァーハーが抜け出た。ボーディはそのまま倒れ伏す。マグダレナが慌ててボーディの体を引き起こすが、ボーディはなおも眠ったままだ。
(姫様、お任せしてよろしいのですね?)
 スヴァーハーが尋ねる。
「できるだけのことはするわ。私を信じて。」
 アムリタは、スヴァーハーの背中に飛び乗った。仔竜は、そのまま高く高く空を上った。そして、ようやく母竜の鼻の先までたどり着いた。
(我が子スヴァーハーよ、そしてアムリタ姫様、よく来てくれました・・・。実は、三十年ほど前に、何かが喉に引っかかって取れなくなってしまったのです。そのせいで、私には遠くの物事が分からなくなってしまった。ウユニの貴女の声も姿も分からなくなってしまった。さぁ、もっとよく顔を見せておくれ。我が子スヴァーハーよ。・・・)
 アムリタが言った。
「ならば、母竜よ。私が貴女の中に入って、その刺さっている何かを取り去りましょう。貴女が困っているのなら、助けてあげたい。」
 母竜は、アムリタの方に顔を向けた。
(アムリタ様、私が怖くはないのですか?さらにこの身に入るなど・・・。)
「スヴァーハーのお母様を何故なにゆえ私が恐れることがありましょう。遠慮は要りません。口を開けて。」
 母竜が口を開き、アムリタはその中を奥へと進んだ。暗闇のはずが、その奥で微かに光る何かが見える。
 それは、一本の槍だった。黄金に光っている。アムリタは、それを引き抜こうとしたが、なかなか動かない。
「私がやらなくちゃ!ここには私しかいないんだ!助けたい!絶対に助ける!」
 何回目、いや何十回目だったろうか、槍が急にぐらつき、力余ったアムリタは弾みで槍と共に後ろにふっ飛んだ。
「ぬ、抜けたの?!」
 その手には確かに黄金の槍が握られていた。彼女は手から炎を出して、槍が刺さっていた傷口を焼いて止血してから外に出た。
 母竜は、たいそう喜び、彼女に礼を言った。
(アムリタ様、本当にありがとうございます。旅のご無事を祈ります。スヴァーハー、ボーディと共に、この心優しき姫様によくお仕えするのですよ。)
(はい。勿論です、お母様!)
 スヴァーハーが応えた。

 アムリタが帰ろうとしてまたスヴァーハーの背中に乗ろうとすると、母竜は言った。
(アムリタ様、飛行の際にはもはやその子に頼る必要はありません。貴女の美しい心がその翼を羽ばたかせてくれるはず。優しさこそが貴女の力の源なのです・・・。)
「え・・・?!」
 アムリタは驚いた。試しに跳び上がってみると、確かに体が軽い。もう少し力を入れて跳び上がる。体が宙に浮いた。背中に意識を向けて跳ぶと、それまでは動かせなかったはずの羽が意識的に羽ばたかせられるようになっていた。
「私、飛んでる・・・。」

 スヴァーハーが付き従って、一人と一体は船の甲板に舞い降りた。マグダレナが驚いた顔で見ている。スヴァーハーは、再びボーディの中に入った。ボーディは意識を取り戻し、その瞬間に事情を把握した。
「アムリタ様、どうもありがとうございました。これで母竜も元通りになりましょう。どうぞこの鏡でご自分のお姿をご覧下さい。」
 彼女は懐から鏡を取り出して、それを大きくした。アムリタが覗くと、そこには大きくて黄金色の翼を背負った自分が映っていた・・・。

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