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社会進出前夜のぼやき

こんばんは。
明日からいよいよ4月、「学生」という肩書に守られる期間があと1時間ほどで終了します。悲しい。

毎年4月1日は、twitterのトレンドに入る入社式、新社会人というワードを眺めては、既に社会進出を果たしている大人の方々の武勇伝を読んだり、

これから入社式に向かおうという新社会人の方々の心情を眺めるのが恒例だったのですが、ついに自分がtwitterの登場人物になる時が来てしまいました。そういえばもうtwitter改めXでしたね。

幸い第一志望の企業に採用していただいたので、これからは夢の実現に向かって努力あるのみなのですが、新たな環境に飛び込むうえで不安という感情はどうしても付きまとうものです。

理由としてはまず生活リズム。

大学生の間、というか4回生の1年間はほぼフリーターのような生活をしていたので、朝早く起きて丸一日働くのが1週間続くのかと考えると実現できるのか不安でたまりません。

授業をフルパワーで受けていた大学3回生からの社会人であれば、まだそのままステップアップできそうなものですが、4回生の堕落した生活からの新社会人はかなり体力的な厳しさを感じそうです。甘ったれるなというツッコミが聞こえてきそうですね。頑張ります。

不安要素その2は研修期間。
クラス分けされて1~2か月ほど研修が実施される訳ですが、なんといっても高校時代の集団生活でのトラウマは私の心の奥底に眠っており、それが呼び覚まされそうで怖い、という不安があります。

大学に入ってからは、クラス分けというものが存在せず、良くも悪くも仲良くする人を選ぶことができた(授業や団体では人を選ばず関わることはあった)ので、クラスという枠にとらわれず、自分の居心地のいい環境を作ることができたので、気持ち的にずいぶんと楽でした。

クラス制になると、その枠の中で、常に誰かと一緒にいることが正義で、一人でいるのは悪であるかのような感覚に自分自身が陥ってしまうことと、コミュ障が発揮されることによってどうやって仲良くなれば良いのか、初対面かつこれから少なくとも2か月は関係の続く人たちに対して、どのタイミングで自分自身というものを見せればよいのかが分からなくなってしまうことが不安要素としてあります。

なんだか上手く言語化できている気がしませんが、つまりはクラスという枠組みの中での生活と人間関係の構築にトラウマがあるので、似たような環境にもう一度戻されることで、過去の弱かった自分に逆戻りしてしまうのが怖いといったところでしょうか。

もう少し具体的に言語化できるようになったら追記したいと思います。
最近は本当に脳味噌を働かせていないので、こんなに言語化能力が低かったのかと驚くことが多いです、善処します。本を読もう。

不安とは少し違うけれど、多少なりプレッシャーもあります。
周囲の人と就活の話になった時に、「すごい」と言われることがあります。はじめは純粋に嬉しかったのですが、回数を重ねる毎に、徐々に嬉しさよりもプレッシャーが勝るようになってきました。

期待に応えられなかったらどうしよう、という不安につながっているのかもしれません。

肩書きでしか見られない人間にはなりたくないので、人間性磨きをしていくことと、そういう内面的な部分を見てくれる人たちを大事にしていきたいです。


そんなことをぼやいたとて、あと1時間弱後には学生という便利な身分は完全に卒業し、新社会人としての歩みを進めなければならないので、覚悟を決めて、社会で立派に働く大人の方々の一員となれるよう邁進したく存じます。


いつもnoteを書くときは、ネガティブな感情を克服して、ライティングスイッチが入ったポジティブ状態のときなことが多いのですが、たまには生きたネガティブ感情を吐き出すのもいいのではと思った次第です。気分が下がった方、申し訳ございません。

それから、私の書いた記事には度々高校時代のトラウマの話が登場しますが、実はそれについて深堀りした記事はないんです。なぜかというと当時の記憶が薄いからです。時間がかかる気はしますが、最近ふと重大な出来事を思い出したりなどしたので、そのうち気が向いたら書いてみることにします。


24卒勢のみなさま、適度に自分に鞭を打ち、甘やかしながら、社会人生活一緒に頑張りましょう。


おやすみなさい。

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