<陸自幹部の第1空挺団勤務記録> その2 |初の空挺団訓練検閲でとんでもない大失態をやらかした話
こんにちは。
元・国防男子/陸上自衛隊応援団/初級・中級幹部サポーターのMr.Kです。
幹部自衛官として13年間勤務し、主な経歴は🪂最精鋭部隊第1空挺団、🇺🇸米国陸軍留学、✏️陸自最高学府の指揮幕僚課程、🇺🇸在日米陸軍司令部、🇺🇳国連南スーダンミッション軍事司令部等で勤務して参りました。
現在は、民間企業の危機管理部門で海外セキュリティ担当として危険国の情勢分析、セキュリティ対策の立案など、陸自時代よりもよりリスクの高い仕事をしています。
今回の記事は前回の続きで、
僕が空挺団に配属されてから2ヶ月後に参加することになった『空挺団での訓練検閲』について書きたいと思います。
空挺団の訓練検閲とは、
空挺団長が検閲官となり、隷下部隊の訓練練度を点検することです。
当時は、2年に1回、各隷下部隊は空挺団の訓練検閲を受けることになっていました。
僕は、空挺団で初めてのこの訓練検閲の場で、
後世に名を残すような不名誉な大失態をしてしまったんです。^^;
⏩ 宮城県の王城寺原演習場での訓練検閲
早いもので、着隊からあっという間に2ヶ月が経過し、ついに訓練検閲の時期がやってきました。
そして、あの激烈な副中隊長は、米国留学中でテキサス州で楽しんでいる頃・・・
引き継ぎをしっかりやってもらえなかったことで、業務を徒に遅延させ、大変でした。
⏩ 駐屯地での空挺作戦準備
訓練検閲では、まず駐屯地内で『作戦準備』をします。
作戦準備期間では、与えられたシナリオに基づいて、作戦遂行のための任務分析から作戦計画作成までを実施し、それを隊員達に示達(じたつ)する。加えて、重物料梱包や降下のための訓練等を集中的にするんです。
作戦準備間、僕が初めて第1空挺団で勤務をして「凄い!」と思ったことは、空挺精神の
ということを徹底していることです。
どういうことかというと、
ということは、
戦闘損耗の発生率は、他部隊よりも高くなるんです。
つまり、死ぬ確率が高いんです。
そして、長距離を隠密潜入するため、途中ではぐれてしまう隊員や離脱してしまう隊員もいるかもしれない。
(もちろん、そのようなことが内容に確実に要所要所で人員の把握はしていくのですが)
そうなった隊員たちも任務を達成できるように、幹部、陸曹、陸士隊員関係なく、空挺団の作戦内容をしっかりと理解して、例え一人となっても目的地まで前進し、任務を遂行しなければならないということ。
それが、空挺団に配属したばかりの陸士隊員であっても同じことなんです。
他の一般部隊であれば、班長がいて分隊長がいて、上司が不在の場合や離脱した場合には、指揮は次級者が執り行うので、陸士隊員まで全体の作戦の内容や各部隊の任務まで徹底して教え込むことはありません。
自分の正面の任務がわかっていればそれで良しとする場合がほとんどです。
でも、空挺団の場合はシビアなんです。
陸士隊員であっても、何とか敵陣地まで潜入して作戦を遂行するように徹底されています。
空挺団の作戦準備では、
計画作成の他、降下前の事前訓練をしたり、
救急法や車両や補給品を航空機で投下するための『重物料梱包』というのをやります。
ちなみに、車両(高機動車)の重物料梱包は、こんな感じです。
このように車両を梱包してパラシュートを付けて輸送機に積載して投下するんです。
イカれているでしょ??^_^
ちょっとしたミスが重大な航空機事故につながったり、投下した車両が破損してしまうんです。
⏩ いよいよヘリからの空挺降下!
訓練検閲をするため千葉県の習志野演習場から宮城県の王城寺原演習場までは、車両で移動しました。
王城寺原演習場到着後、検閲の初日はもちろん『空挺降下』。
航空機からパラシュートで降下します。
空挺団の作戦には不可欠な作戦行動です。
王城寺原演習場は狭く、固定翼機からの降下はできないのでヘリからの降下となります。
降下をする際には、訓練規則上、空挺降下をできる『風速』が演習場毎に決まっているんです。
もちろん、実戦であれば風速など厳密に気にせず、ある程度の非戦闘損耗は覚悟の上、作戦をするのでしょうけど、今回は訓練検閲。
訓練規則を破って訓練をして、事故が起ころうものなら、後々大変なことになります。
⏩ まさかの空挺降下中止!急遽、ヘリボーン作戦へ
ヘリへの搭乗準備を終えて、駐機場で搭乗待機していた時のこと。
団本部から一本の無線連絡が入りました。
🔥 🔥 🔥 🔥 🔥
団本部:「05、こちら00」
「空挺降下中止!05はヘリボーン作戦へ変更せよ。」
K2尉:「05 了。ヘリボン作戦へ移行する。」
🔥 🔥 🔥 🔥 🔥
今回の訓練では、降下地域の風速が強かったため、急遽、団本部から無線を通じての命令で、空挺団の作戦が空挺降下から『ヘリボーン作戦』(写真のように航空機で部隊を輸送して目的地に降着する作戦)へ切り替えられました。
(??ん?ヘリボーン作戦?)
(そんなの一度もやったことないぞ。どうやって、何をやればいいの?)
ヘリボーン作戦をするとは思ってなかったし、そんな準備までは当然していませんでした。
戦術の教育では、机上では教育を受けていたけど、実際にヘリボーン作戦を指揮するのは初めて。
いきなりの大きな計画変更に面食らってしまいました!
もちろん、レンジャー課程を修了している隊員達は、何度もヘリボーンを経験をしているベテラン。
でも、レンジャー教育をまだ受けていなかった僕にとっては、この状況はちょっとキツイ・・・
とりあえず、中隊長からどのようなことをすればいいのかアドバイスを受けて、ヘリ降着後の部隊の展開・警戒の動きを予行しました。
(こんなもんでいいのかな??)
と不安を感じながらも、
隊員たちの力を借りながら『ヘリボン』を実行に移すことができました。
(心配するほどのことでもなかったかな・・・)
無事にヘリからの降着後に集結地まで集まり、100km行軍開始までの行動が終わりました。
⏩ 集結後、いよいよ100km行軍のスタート
これまで前の所属部隊では富士の御殿場演習場を主に使用していたため、地図が無くても地形はある程度頭に入っていましたが、今回の王城寺原演習場は初めて使用する演習場。
土地勘がなく、他の隊員と比べても地図判読能力は劣ってしまいます。
レンジャー課程を卒業したばかりの隊員を『コンパスマン』として部隊の少し前方を歩かせて、経路を間違わないように処置。
空挺団の凄いところは、定年間近のおじさん達でも100km行軍を歩ききること。
おじさん連中は、若い頃からかなり重いものを持って訓練をしているので、腰にヘルニアを持っていたり、膝を故障している隊員が多いんです。
でも、100km以上の距離を歩き切るんです。
⏩ 100km行軍中の中隊の先任上級曹長の話
『先任上級曹長』とは、中隊の陸曹・陸士をまとめる隊員。
椎間板ヘルニア持ちのため激痛に顔を歪めながら、僕に話しかけてくれました。
🔥 🔥 🔥 🔥 🔥
曹長:「小隊長、100km行軍きついでしょう?荷物も重いし・・・」
K2尉:「いえ、今のところはまだ大丈夫です。」
曹長:「わたしも、陸士の時から何十回と100km行軍を経験してきましたが、どんなに辛くても途中で絶対に止めないんです。」
「途中で止めたら、後で「あ〜、何であそこでもっと頑張れなかったんだろう」って絶対に後悔するんです。」
「一生後悔するんです。」
「だから、私はどんなに苦しくても100km行軍だけは絶対に最後まで歩くんです。」
🔥 🔥 🔥 🔥 🔥
椎間板ヘルニアを持ちながらも重い荷物を持って、痛みで顔を歪めながらも最後まで歩き切ろうとしているのに、健康で若い自分が脱落するわけにはいかない。
全員がレンジャー徽章を付けることが求められている部隊です。
陸曹隊員も荒くれ者が多い。
そんな中で、100kmすらも歩けないショボい初級幹部に部下隊員がついて来る訳がありません。
そのことは、僕も理解していました。
普段、強面であまりしゃべらない先任上級曹長から励まされ勇気を貰いました。
⏩ 100km行軍中、中隊長がまさかの離脱
そんな話をしながら歩いていると、中間地点の約50kmあたりのところで中隊長の様子に異変が・・・
体調が悪いのか、急に座り込んでしまいました。
(顔色が悪いけど、大丈夫だろうか・・)
暫く、部隊をストップさせて中隊長の状況を確認したところ、苦痛で顔を歪めながら腹部のあたりを押さえていました。
(この調子じゃあ、歩けそうにないな・・)
ーー嫌な予感・・・
(えーと、中隊長が歩けなくなったということは・・・)
(えっ、この状況はもしや。ひじょーに、まずいパターン???)
゚(;゚∀゚)=3ハァハァ
中隊長「すまない。じ後の中隊の指揮は、K2尉が執れ!お前ならできる。」
(出典:https://sumally.com/p/1923570)
「了解!!大丈夫です!後は、私に任せてください!」
とは気丈に返答したものの・・・・
中隊長の代わりが務まるのか、内心はかなり不安でした・・・
ーーそう言えば・・・
訓練検閲が始まる前、中隊長室で中隊長に呼び出されて言われた言葉を思い出しました。
(このことだったか!)
中隊長、このことを予想していたかのような事を言われていた。
⏩ ヤバイ!物料投下の時間までに間に合わない!
100kmの徒歩行進が終わった後は、『物料回収』というのがあります。
作戦準備間に梱包をした車両や補給品を航空機から投下された装備品を回収して『戦力化』するんです。
空挺団の演習では、作戦に必要なすべての装備品を航空機から投下することはないのですが、『設想(せっそう)』として航空機から物料投下したことと見做して、事前に投下予定地域に散りばめられた車両や装備品を回収するんです。
その回収時間までに目的地までに到着しなければ、自分たちの装備品や補給品がどこに落下したのかを見失ってしまうので、それを捜索するのに更に時間を要することになってしまい、後々の作戦行動に影響を及ぼしてしまいます。
だから、何としてでも物料投下の時間までに、物料投下地域に到着しなければならないんです。
しかし、途中で経路を間違ったり、中隊長の離脱があったため、計画していた時間よりも遅れてしまっていました。
このままでは、物料回収の時間に間に合わないのは明らか。
ベテランの上級陸曹から色々とアドバイスをもらいながら、中隊を2つに分けて、体力のある組を物料回収、遅れそうな者を後方から歩かせて、後に主力と合流させました。
もちろん、僕は立場上、先行する物料回収組で指揮を執らなければならないので先行組。
⏩ 空挺団の陸曹・陸士達の凄さを知るここで、空挺団の陸曹・陸士達の凄さを目の当たりにしました。
時間が迫っていたので、行軍は『強行軍』と呼ばれるかなりスピードのある行軍。レンジャー徽章を持っていた陸曹達は、地図を見ながら行進経路をどんどん進んでいくんです。
(速い・・・後ろに付いていくのがやっと。)
(;゚∀゚)=3ハァハァ
行進距離はすでに80kmを越えていたのに、道なき道を歩き出しのようなスピードで進んでいく。しかし、地図を読みながら、複雑な地形を。
正直、あまりのスピードに地図を見ながら歩く余裕はありませんでした。
只々、隊員を信じてついて行くだけ・・・
(スゲー!! これが、レンジャー課程を修了した陸曹達か・・・)
゚( ´ー`)フゥー...
このとき、部隊の陸曹達を本当に心強く思い尊敬しました!!
⏩ ところで物料回収ってどうやればいいの?
強行軍の結果、物料投下の時間には何とか間に合いそうになりました。
でも、当時僕は部隊に着隊したばかりだったので、物料回収で何をやっていいのかわからなかったんです。
物料梱包や物料投下に関する教育は、空挺教育隊で行われる『降下長課程』で学習するのですが、僕はまだそんな教育を受けていませんでした。
だから、このとき物料回収のイメージすら全く無かったんです。
しかし、中隊長に代わり、物料回収に関する中隊命令を下達し、隊員を指揮しなければなりませんでした。
とりあえず、隊員が動けるように先に歩いていた物料回収組に、回収する車両や補給品を振り分け、物料を回収する中隊命令を下達。
取り越し苦労でした・・・
隊員達は、すでに何度も経験しているためスムーズに回収してくれました。
隊員は何をすればいいのかをすべて理解しており、知らないのは僕だけでした・・
あとは、幹部として隊員を動かす命令を下達すれば、部隊は動く。
不明な点があれば、ちゃんと指摘して確認してくれる。
物料回収が無事に終わって次の作戦行動に移ろうとしたとき、中隊長の姿が!!!
行軍中に脱落してしまった中隊長が合流できることになったのです!
(あーー、中隊長!!!😭😭)
中隊長の姿を目にしたとき、先の見えない不安から解放され、安心感と心強さを感じました。 ゚ε-(´∀`*)ホッ
⏩ 先陣を切って敵陣地へ「自爆テロ!!」
実は、100kmを歩き終えた後の攻撃作戦において、後世に引き継がれるような大きなミスをやらかしてしまいました。
“小隊長の敵陣地への決死の突撃“
夜間、攻撃のための次の施設の移転先を偵察に行くため、陸曹隊員をドライバーにつけて小型車両で偵察へ行ったときのことでした。
『V3』という暗視装置を僕とドライバーが付けて車両で移動していました。
月齢が暗い時期だったので周りがよく見えなかったのですが、V3を付けていれば真っ暗な山の中でも前方がよく見えました。
でも、暗視装置を装着したままの不整地での車の運転は、酔って気持ち悪くなるんです。
🔥 🔥 🔥 🔥 🔥
S3曹:「小隊長、V3つけて運転してると気持ち悪くなるんっすよね。外して運転していいっすか?」
K2尉:「前方も微かに見えるし、じゃあ外そうか。」
🔥 🔥 🔥 🔥 🔥
僕もドライバーのS3曹も途中で暗視装置を外して運転をしてたんです。
そして、基本事項を蔑ろにしてしまったことに、天罰が下りました。
ガシャガシャガシャーン・・・・
ガリガリガリガリ・・・・
(タイヤに何かが絡まった音・・・)
(ん??どうした?どうした??)
(ひじょーに、嫌な予感がする・・・)
(゚A゚;)ゴクリ
「あー、小隊長、やばいっす!!鉄条網に車輪が絡まりました!」
ドライバーのS3曹が叫ぶ。
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
程なくして、鉄帽に赤いテープを巻いた隊員が3名くらい現れた。
「敵だ!」
(うわぁ〜、終わった・・・。)
゚(´・ω・`)ショボーン
大変なことをやらかしてしまったぁ!
有ろう事か、夜間暗い道を暗視装置を装着せずに移動していたことで、いつの間にか敵陣地迷い込んでしまい、そのまま車両で敵陣地に突っ込んでしまったのです。
自爆テロ・・・゚゚ (゜∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
敵に車両と無線機を没収され、暫く『拘束』されてしまいました。
🔥 🔥 🔥 🔥 🔥
敵役隊員:「いや〜、小隊長、やってしまいましたね・・😄😄」
敵役隊員:「あったかいコーヒーでも飲むっすか?」
🔥 🔥 🔥 🔥 🔥
敵役の隊員から笑顔で同情?
ヽ(・ω・)/ズコー
(検閲が終わるまで、このまま拘束されたままなのだろうか・・)
(小隊長として本当に情けない限り・・・)
はぁ・・・ ゚(;´д`)トホホ…
(中隊長、すみません。みんな、ごめん・・)
ーー翌朝
訓練統裁部のご厚意により、何とか敵に解放してもらい、部隊に戻ることができました。
中隊長からもお叱りを受け、隊員達にとっては「先陣を切って敵陣地に自爆テロをした伝説の小隊長」となり、次の人事異動まで言われ続けました😭
(;´д`)トホホ…
ーーそして、数日後
無線機を通じて、『状況終了』の喇叭の音が響き渡る。
(はぁ、やっと終わったー!)
まあ、大変な大失態を犯してしまったけど、なんとか空挺団での初めての訓練検閲の状況終了しました。
とてつもない充実感と開放感でした!
⏩ 大丈夫?ぶっつけ本番での至近距離射撃??
訓練検閲中に、検閲課目の副課目として『至近距離射撃』がありました。
上の写真のような射撃姿勢で、至近距離の的を射撃する訓練。
僕は、幹部候補生学校では『基本射撃』しかやっていないし、前にいた部隊は、旧式の64式小銃を使用していた部隊。
当然、至近距離射撃なんか一度もやったことはありません!
幹部候補生学校以来の89式小銃の射撃。
異動から検閲までに時間がなかったこともあり、実際に防弾チョッキを装着して、実弾を使用しての至近距離射撃は一度も訓練ができなかったんです。
つまり、ぶっつけ本番。
とりあえず、号令による射撃までの要領だけを教えてもらって、射撃予習だけをやって臨みました。
ぶっつけ本番で検閲本番の至近距離射撃なんて、今思えばかなりのチャレンジャーだったと思います😅。
ガンハンドリングがしっかりできていなかったため、横でガンハンドリングの要領をチェックしていた陸曹にこっ酷く怒られました。
横でワーワー言われていては、射撃に集中できる訳がありません!
当然、ほとんど的に命中することなく、終わってしまいました・・・
⏩ 検閲後の打ち上げで上級陸曹にシバカれる事件
訓練検閲が無事終了し、最終日の中隊全員での打ち上げ。
検閲後だったこともあり、みんな疲労困憊で、2時間くらいしてすぐに解散してしまいました。
その後、元気な上級陸曹達と7,8名で鍋を囲んで2次会をすることになりました。
僕も疲労困憊だったので本当は休みたかったが、誘われたので仕方ない。
そこで、酒の入った定年間近の上級陸曹の説教が始まりました。
実は、この陸曹とは着任以来あまり喋ったこともありませんでした。
トホホ・・・
🔥 🔥 🔥 🔥 🔥
陸曹:「小隊長、検閲のあのざまはなんだ?お?」
「小隊長なんだから、もっとしっかりやれよ!」
「あんなんじゃあ、誰もついて来ねえぞ!」
🔥 🔥 🔥 🔥 🔥
と、他の隊員のいる前で箸でバシバシ頭を叩かれながら説教を1時間くらいされたかな。 ゚(´・ω・`)ショボーン
自分では一生懸命やったつもりだけど、まだまだ空挺隊員としては及ばなかったようです。
色々な思いはあったけど、
説教をされているうちに、悔しさ、情けなさ、感謝、安堵・・・
色々な気持ちがこみ上げてきて、我慢をしていましたが、自然と目から涙がこぼれ落ちました。
でも、その説教中の上級曹長には検閲中、アドバイスをくれたりかなり助けられました。
きっと、幹部としてもっと成長してほしいという願いが込められているんだろうと思いながら、大人しく話を聴き続けました。
自衛隊は階級社会といっても、初級幹部の立場なんかこんなもの。
初級幹部としては、この上級陸曹って扱いにくい存在なんです。
年齢も経験も上級陸曹が上ですから。
こういう人たちをまとめて部隊を動かしていかないといけない。
でも、上級陸曹は、時にはすごく良い指導をしてくれて、味方につけると本当に心強い存在となります。
自衛隊を退職した今でも、僕をいつも奮い立たせてくれる言葉です。
この時受けた指導の一つ一つが今でも心にしっかりと刻まれていて、迷ったときや不安になった時の心の支えになっています。
今は亡き当時の中隊長、支えてくれた隊員達には感謝してもしきれません!
本当に、空挺団って熱い男たちが集まっていて、楽しいところなんです!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今日も皆様にとって良い一日となりますように!
元国防男子 Mr.K
↓ プロフィールはこちらから
貴重な時間を割いて私の記事をお読みいただき、心から感謝しております。 私の記事が少しでも皆様のお役に立てたら嬉しく思います。 もし、今後の創作活動をサポートしていただけると、さらに質の高いコンテンツを提供する糧となります。皆様のご支援が、私の次の一歩となります。