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<陸自幹部の第1空挺団勤務記録> その9 |2度目の空挺団訓練検閲に向けての万全の準備→行軍訓練やりすぎて100km行軍が余裕に!

こんにちは。

元・国防男子のMr.Kです。

今回から4回に分けて、僕が第1空挺団での勤務で経験した2回目の訓練検閲に関する記事を書きます。

今回は、「訓練検閲に向けた準備」について。

前回の訓練検閲から約2年後に実施された訓練検閲。新しい中隊長も着任し、やっと部隊として上手く機能し始めました。

しかし、新たな幹部の補充は無く、暫くは中隊長と僕の2人で中隊を回していかなければならなかったのです。

相変わらず幹部の数は不足していましたが、僕は前回の訓練検閲のリベンジ(不名誉な自爆テロ失敗)に燃え、検閲に向けて徹底的に部隊を練成しました。 

⏩ 次の訓練検閲課目は“防御”想定?

次の空挺団の訓練検閲が1年後に差し迫ったくらいの時期のこと。

「次の訓練検閲の課目は『防御』なので、しっかりと準備をしておくように。」と空挺団本部から指示があった。 

『防御』というのは、簡単に言うと、事前に陣地を構築して攻撃してくる敵を迎え撃つ戦術。

(えっ?空挺作戦で防御??攻撃じゃなくて?)

物量が圧倒的に不足する空挺作戦においては、陣地構築資材が殆ど確保できない。そのため、基本的に空挺作戦においては、防御陣地を構築しての戦闘はあまり考えられていなかった。

しかし、実戦ではどんな任務が付与されるかわからないため、防御訓練も含めて必要な訓練練度は維持しておかなければならない。

部隊の古手の陸曹に確認しても、空挺団として、これまで防御訓練をしたことがほとんど無かったようだ。僕の所属する中隊としても初の試みだった。 

⏩ 防御想定に向けて、ほぼ一からのスタート

空挺団で防御想定をやるにあたり一番きつかったのは、部隊でノウハウが全く無かったこと。

空挺団にずっといた上級陸曹に聞いても、やったのはずいぶん昔で、どのような陣地を構築したのかすらも覚えていなかった。

もちろん、中級陸曹や初級陸曹は、空挺団では『防御』訓練は、経験したことがなかったので、空挺団としてどのように陣地を構築すればいいのか誰もわからなかった。 

(空挺団が創設されて数十年経過しているのに、防御陣地構築のノウハウが全く無いってどういうこと??)

そして、僕自身も前の部隊では、攻撃想定はやったことがあるが、防御想定はやったことがなかった。

師旅団での陣地防御の場合、陸上自衛隊の教範にも陣地の設計図が記載されており、多少は修正が必要だと思うが、それに基づいて、大型のショベルカーなどの施設力を利用して構築できる。

でも、今回は、

ー 空挺作戦の特性上、物量が不足する中での作戦において、どうやって防御陣地を構築すればいいのか? ー

ここから始めれなけれならなかった。

陸上自衛隊の陣地構築の教範を読み、同期に電話して防御陣地に関する訓練資料をもらったりして、どうやって陣地構築を確立していくかを検討した。

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(陸上自衛隊公式HPより引用)

陸上自衛隊の教範に記載されている設計図は、大きな機械力を持った師団や旅団クラスのものばかり。教範に記載されている内容や同期から貰った資料をそのままは使うことはできなかった。

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(陸上自衛隊第1師団Facebookより引用) 

そして、上の写真のようなショベルでガリガリ穴を掘って貰えればかなり楽なのだが、そんな機械力も当てにできない。

こんな状況だったので、空挺団の特性に合った陣地を一から考察し、自分たちに合った陣地構築要領を確立しなければならなかった。

でも、陸上自衛隊の教範にも記載されていないことを「新たに創造する」という点では僕にとっても、部隊にとっても、とてもやり甲斐のある訓練だった。

⏩ 試行錯誤の連続

まずは、習志野駐屯地近傍にある習志野演習場で、各施設や車両を格納するための陣地構築を何度も試行錯誤し、限られた物量でできるだけ強度の高い陣地の設計図を確立する必要があった。

何度も、何度も試行錯誤をして、自分たちの陣地の『基準』をつくり、何度も改善しながら、精度を高め、隊員たちの練度も高めていった。

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 (陸上自衛隊第5旅団HPより引用)

⏩ 防御訓練を通じて伝えたかったこと

防御陣地構築ってとてもきつい!

土質によってもそのきつさは異なるが、車両や天幕、警戒人員などのための多数の陣地を掘らなければならないため、それだけでも疲労度が半端ない。

空挺団は機械力が不足しているので、陣地構築はスコップでの手掘りが基本。そして、土嚢(どのう)を大量に使用して、敵の砲弾に耐えることのできる陣地を構築しなければならない。 

空挺団の場合、2夜3日間のほぼ不眠不休の100km行軍後、すぐに手掘りで陣地構築しなければならない。そのあとは、防御戦闘に移行する。

 これ、本当にしびれます!!

 本当に、心が折れそうになります!!

疲労困憊の中、隊員たちの尻を叩いてドンドン穴を掘って、陣地を構築しなければならない。

 「小隊長、陣地構築終わりました!」という隊員に対して、

 「これで大丈夫だと思うか?」

「本当にこの陣地で敵の砲弾から身を守れるのか?」

ということを、問いただす。 

防御陣地に『完成』はない。作戦間、少しでも自分たちの生命を守るために、強化し続けなければならない。

防御陣地は、自分たちの命を守るための要塞。強化すれば強化するほど、自分たちの生存率は高くなる。

隊員たちは100km行軍間、殆ど寝ることなく歩き続けている。その後、スコップを持って、車両やテントが入るくらいの大きな穴を何個も掘り、作戦継続間、ずっと陣地を強化し続けなければならないため、体力的にも、尋常ではないくらい苦しいのはよくわかっている・・・

でも、そこで妥協させてはいけない。

例え訓練だとしても、陣地構築を妥協することは自分たちの『死』を意味することを隊員たちに感じてもらわなければならなかった。

陸上自衛隊は、海上自衛隊や航空自衛隊と比べて、国土防衛に関する実オペレーションの機会が圧倒的に少ない。

つまり、『緊張感』が全然違う。

海・空自衛隊は、領海・領空侵犯に対して常に侵犯国に対峙してオペレーションを実施しているが、陸上自衛隊のオペレーションといえば、国連PKOや大陸弾道弾対処のPAC–3の警護等のオペレーション。陸自の最大のオペレーションは、日本の国土に侵攻してくる敵国を排除すること。つまり、戦争状態を意味する。

現在の日本がそのような事態になる確率はかなり小さいため、陸上自衛隊でやっていることの殆どは、万が一の事態への準備。つまり、敵の侵攻を想定した訓練である。幸い、日本は平和なため、先の戦後から自衛隊が創設されてから、戦争は起こっていないため、今の陸上自衛官で戦争を経験した隊員は一人もいない。

『訓練』と思って訓練をしてしまった瞬間、「こんなもんでいいや」と途中で妥協してしまう場合もある。

よって、陸上自衛隊の訓練では、『訓練のための訓練』にならないように、リアリティのある訓練を計画し、統制しなければならないのだ。

想像を膨らませ、常に実戦を意識して訓練をしなければ、実相とかけ離れた訓練になってしまい、緊張感の無い訓練になってしまうからだ。

このことは、陸上自衛隊の永遠の課題であろう。

僕は、陣地防御での強固な陣地構築の大切さを教育するために、大東亜戦争時の『硫黄島の戦い』についての戦史教育をして、できるだけ『実戦』に近いイメージを与えながら、なんとか訓練検閲本番までに自分たちの防御陣地構築要領を確立し、その構築所要時間を含めたノウハウを作り上げることができた。

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⏩ 千葉の印旛沼や富士山で行軍訓練

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(陸上自衛隊公式HPより引用)

そして、空挺作戦で重要な戦術行動は、徒歩機動による敵の作戦地域への潜入。

でも、行軍は、単なる徒歩での作戦地域への移動に過ぎない。本当に重要な作戦は、行軍終了後からの攻撃・防御などの作戦行動。

空挺団の訓練検閲においては、 『行軍』が一番のネックとなる。行軍の出来がその後の作戦に大きく影響するからだ。

このため、行軍はできるだけ『良好な状態』、つまり、心身にできるだけダメージのない状態で歩き終わらなければならないのだ。

行軍中、部隊の中に落伍者を出してしまうと人数が少なくなり後の作戦に影響を及ぼしてしまう。そして、万が一、落伍者が出た場合で、その隊員を一緒に目的地まで連れていくと判断した場合、彼の持っていた装備品や荷物を分散させ、それらを他の隊員が追加で持つことになり、他の隊員の負担が大きくなる。

だから、僕は、部隊の『徒歩行進(行軍)能力』を特に重視し、行軍訓練は次の訓練検閲を想定して、検閲までに3回ほど計画して臨んだ。

⏩ 訓練検閲に向けた1回目の行軍訓練

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(出典:https://www.jalan.net/kankou/spt_12211cb3530116105/photo/?screenId=OUW2201)

新中隊長も着隊したことから、まずは習志野駐屯地から近場の千葉県の印旛沼(いんばぬま)の周りで行軍訓練を計画した。

距離は、30kmくらいから始めた。

たった30kmくらいであったが、負荷をかけるため荷物を重くしたが、行軍経路がアスファルトばかりで地面が硬かったこともあり、流石に足が痛くなった。でも、100kmを歩いている僕たちにとっては、このくらいの距離であれば楽勝で、周りの景色を楽しみながら行軍できた。

ここでの訓練を通じて、背嚢(はいのう。自衛隊で使用するリュックサックのこと)への荷物の入れ方や背嚢の背負い方等について調整し、少しでも楽に歩けるように研究した。 背嚢への荷物の入れ方や背負い方で、身体への負担度が大きく変わってくるからだ。

⏩ 訓練検閲に向けた2回目の行軍訓練

次は、静岡県の東富士演習場に行って50km行軍訓練から防御陣地構築までの一連の行動について、訓練検閲を想定した訓練をした。

このときの訓練は冬場の行軍だったので、いつもと状況が違っていた。

冬場の東富士演習場を夜通し行軍するのだ。演習場には雪がまだ残っていて、道路は凍結している。滑って転倒してしまう隊員が複数いた。

訓練時の夜間、月齢がかなり暗く、道路も道路沿いの高い木々に覆われているので、真っ暗。

周りが殆ど見えない状態での行軍。

隊員の鉄帽の後頭部に付けているケミカルライトの小さい明かりだけを頼りに前方の隊員に付いて歩いていく。

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(出典:http://sabikiman.blog.fc2.com/blog-entry-349.html)

作戦間は、基本的に懐中電灯は使用しない。

懐中電灯を使用する際には、赤や緑色の視認しにくい色を使用し、遮光をして光を漏れなくするのだ。 

そして、この『ケミカル』の光が、歩いている途中に眠気を誘う!

前の隊員達が歩くたびに、後頭部につけたケミカルが上下左右に揺れる。真っ暗闇で、黄色いホタルの光のようなものが前方を浮遊しているように見える。その幻想的な光を見ながら暗闇を歩いていると、催眠術にかけられたようにだんだん眠くなってくるのだ。

道路は凍結して滑るし、標高1000m以上の場所を歩いていた。

道路を外れてしまうと、所々にある急峻な崖から転落してしまう恐れがあるので、絶対に寝ることはできない。

必死に眠気を我慢しながら歩き続ける。 

そんな中、小隊長として一番重要なことは、休憩時に隊員の状態を確実に掌握すること。

各班長や最後の隊員には、自分の部下や部下が持っている武器を掌握するように指示をする。

そして、状況を報告させる。

中には、休憩中、疲労と睡魔のため小銃を置きっぱなしにして歩き始める隊員や、休憩中に寝てしまって置いて行かれる隊員がいるからだ。

このようなことは、絶対にあってはならないし、もし、銃を置いてきたとなると、訓練を中断して大捜索することになり、訓練どころではなくなってしまう。

冬場でとても寒かったため、歩いている間はそれほど苦痛ではなかった。寒くて歩きやすかったためか、自然と行軍のペースも上がった。休憩のときは汗でシャツが濡れしまっていたので、それが寒くて苦痛だった。

検閲本番は真夏だが、冬の厳しい気候の中で訓練するのはいい経験だった。

良い訓練ができた。

⏩ 訓練検閲に向けた3回目の行軍訓練へ

次の行軍訓練は、5月下旬の比較的暑い時期で距離は80km。

そして、検閲前の最後の訓練。

演習場内ばかり歩くのは飽きてしまうので、民有地や公道を使用した訓練も計画した。 公道で小銃を携行して訓練をする際は、警察への申請が必要となるため、事前に訓練地域の管轄の警察署に申請書を出してから訓練をする。

この春の時期は多くの部隊が訓練を計画しており、演習場を確保することが難しい。

訓練に先立って、富士学校で行われる東富士演習場の『演習場調整会議』に参加して、他部隊との訓練地域が競合しないように宿営場所や状況現示の時間などについて綿密に調整しなければならない。 

事前に演習場調整会議に参加をして訓練地域や宿泊地域を調整していたが、僕たちが宿営地として入る予定だった場所に他の部隊が既に展開していた。

大部隊がすでにテントを展張してしまっていたのだ。

(えー、何で?? )(; ・`д・´)

すぐに展開している部隊の担当者の3等陸佐様のところに行って、

(どうなってるんだ?)と確認する。

でも、2等陸尉という初級幹部の分際で、大部隊が既にテントを広げて大所帯を構えているところに、「ここは、演習場調整会議で既に俺たちが使うように調整している。テントを全て畳んで他のところへ行け!」と言いたかったが、さすがにそんなことは言えず、泣く泣く別の空き場所を探して中隊の宿営地を設営した。

幸先悪く、これだけで疲れてしまったが、何とか別の地域で部隊が入れそうな場所を選定し、宿営準備を終わらせて訓練を開始した。

⏩ 静岡の越前・黒岳を含む東富士演習場での行軍訓練

標高約1,500mの越前・黒岳を登って下山後、富士山の麓から標高2,000mくらいまで登るコースを計画した。かなり重い荷物を背負いながらの行軍のため、足腰に負担のかかるきついコース。

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(出典:http://view-web.com/walking/?p=396)

越前・黒岳は高低差が激しく、岩がゴツゴツしていて重量物を担いでの登山となり、足がかなり疲労する。

場所によっては、木の根っこに捕まりながら登らなければならない急峻な場所もあった。

今回のコースはかなり体力的にきついコースを計画したが、前回に50km行軍を経験していたこともあり、きついながらも訓練参加者全員が80kmを歩き切ることができた。 

このかなりきついコースを経験したことにより、自信を持って訓練検閲に臨むことができた。 

⏩ 空挺団にとっての100km行軍とは? 

なぜ、空挺団では演習で100km以上の行軍をするのか?

実は、空挺作戦上は100km以上も行軍をすることは、想定されていない。 

訓練では、隊員たちを疲労させるために100km行軍をする。

極限の状態まで追い込んだ訓練するから訓練の意味があるのだ。

そして、実戦ではそれくらいの疲労感、いやそれ以上の厳しさがあることも想定されている。 

空挺団のような殆どの隊員がレンジャーバッジを持っている部隊では、普通の部隊がやっているような40km行軍くらいでは楽勝だから訓練にならない。

それに、当然ながら、楽な訓練で得られる成果は少ない。

不思議なもので、いつも100kmくらい歩いていると40kmや50kmの行軍がものすごく短く、楽に思えるのだ。

厳しい訓練の中で、

極限の状態に追い込まれたときに自分がどう行動するのかを知ることや苦しい中で何を感じたかが重要なのだ。

 > 途中で力を抜いて楽してしまう人間なのか?

 > それとも、そこから更に頑張れる人間なのか?

 体力的、精神的に極限の状態では、自分の本性が出てしまうもの。

その中で、如何に自分の心に生じる甘えを排除して克己できるか。

その積み重ねにより人間として、そして陸上自衛官として大きく成長していくことができるのだと思う。

⏩ 最後に

僕にとって空挺団での2度目の訓練検閲に向けて、綿密に準備を進めることができた。

心掛けたことは、

 1.本番で隊員たちに失敗させないようにあらゆる事態を想定して全力で準備をすること。
 2.訓練中は一切妥協をしないこと。

もし訓練検閲本番で失敗してしまったら、原因は幹部自衛官としての僕、そして中隊長のマネジメント能力不足。個人や部隊の訓練練度を本番までにMAXとなるように持っていかなければならない。

そのためには僕一人の力では不十分で、隊員たちの協力が絶対的に必要。隊員たちとよくコミュニケーションをとりながら、沢山助けられながら検閲に向けた準備がしっかりとできたかな。

隊員たちの協力を得ながら同じベクトル方向へ向かわせるために、どのようにリーダーシップやコミュニケーションをとりながら、情熱を伝えていけばいいのかについて、この検閲への準備期間に身をもって学ぶことができた。

さあ、想定されるシナリオは訓練した。

後は本番の訓練検閲の時を待つのみ!

でも、想定外のことはいつでも起こりうるんですよね・・・

次回へ、つづく。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

今日も皆様にとって良い一日となりますように!

元国防男子 Mr.K


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