<陸自幹部の第1空挺団勤務記録> その12 |2回目の空挺団訓練検閲 - 波乱去ってまた波乱→荒天で隊員が死にかける→中隊長が団本部へ殴り込み→荒れに荒れた打ち上げ→悲惨で最高の訓練検閲終了!
こんにちは。
元・国防男子のMr.Kです。
前回の続きの記事です。
やっと100km行軍に突入
時14:55。
歩き出しのスタート地点を予定通りの1500に通過するために、中隊の行進隊形を取り始めた。
炎天下に4時間以上も晒されて、やっとこれから歩くことができる。
この訓練検閲のために、何度もきつい行軍訓練をやってきた。全員が100kmは余裕を持って歩けるほどの徒歩行進能力をつけてきたという、かなりの自信があった。
でも、問題は『水』。
炎天下で4時間近くも待機させられたことにより、自分を含め隊員たちの水の量は確実に減ってしまっている。
(大丈夫だろうか・・・・)
(途中でバテて離脱をしてしまう隊員はいないだろうか・・・)
一抹の不安はあったが、悩んでも仕方ない。
隊員や自分を信じて頑張るしかない。
万が一、隊員が途中で離脱するはめになった場合の処置等、不測事態時の対処行動も考えながら歩き始めた。
衝撃的な部下の一言
歩き始めて1回目の小休止。
行軍要領は部隊によって異なるが、僕の部隊では50分歩いて10分休憩のサイクル。
その一番最初の10分間での小休止での出来事。
とある班長がバツが悪そうに、小声で
「あの〜小隊長、ちょっといいですか?」
『実は、部隊に忘れてきてしまったものがありまして・・・』
( ゚∀゚)・∵. グハッ!!
「!?・・・・・・・・。」
「えっ!?何で??出発前にちゃんと隊容検査もやっただろ?」
「一体何を忘れたんだ?」
「◯◯器材の電源ケーブルです・・・」
「・・・・・・・・・・・・。」
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
「電源ケーブル」がなければ、最重要器材が動かない。
作戦間の有線(電話)通信が全くできない。
つまり、いくらこれから100kmを歩いて頑張ったとしても、その後の作戦ができないため、自分たちの任務が達成できないということ。
更に言えば、この訓練検閲をやる意味がなくなるということ。
それだけ重要な器材の電源ケーブルだった。
(一番忘れてはならないなモノを忘れてしまった・・・)
最悪の状況・・・
ここにきて、最大のピンチ!最大の苦難!!!
(終わった・・・あー、この訓練検閲終わったー。)
(これまで、ずっと訓練準備をしてきたのに・・・・)
このとき、他部隊で起こった過去のある出来事が頭を過った。重要な装備品を訓練検閲に持っていかず、検閲がやり直しになった事案だ。
陸上自衛隊では訓練検閲の前に『隊容検査』をする。
これから任務に向かう前に物心両面の準備ができているか確認するためだ。
その隊容検査で『化学防護衣』も点検したのだが、ある幹部がなぜか「今回の検閲は化学防護衣は不要。」と指示をしてしまった。
そして、訓練検閲という部隊にとって最重要訓練に部隊として化学防護衣を一着も訓練検閲の場の演習場に持って行かなかった。
そういうときに限って、
「状況ガス!」と訓練状況で敵からの科学剤攻撃を受け、化学防護衣を使用しなければならない状況が出されてしまった。この部隊は、化学防護衣を駐屯地のわざわざ武器庫に格納して訓練検閲に参加していたので、当然、この状況に対応できなかった。部隊は敵の化学剤攻撃により甚大な被害を受け、任務達成不可能となってしまった。
訓練の統裁部(訓練検閲全体を計画・統制している部門)からは、「何で重要な装備品を持ってきていないんだ?」ということになってしまい、この大失態に大激怒した検閲統裁官は、検閲訓練最後の講評で『不可』という評価をして、訓練検閲を1からやり直しする羽目になってしまった。
苦労して検閲のために様々な訓練や準備をしてきたにもかかわらず、ある幹部の指示により必要な物を故意に持ってこずに、状況に対応できなかったために検閲はやり直し。
もし、実戦であれば、部隊に甚大な損害をもたらすような事案。
普通に考えれば、やり直しは当然の大失態。
正しく、これと同じような状況になりかけていた。
そのような過去の事案を思い出しながら、
(この訓練検閲のために多くの隊員が動いてくれている。)
(そして、100km歩き終わってからの訓練が器材が無いことで無意味なものになってしまう。)
(あー、どうしようかな・・・器材が破損してしまって動かなくなったことにしようか・・・)
(中隊長に報告したら、ぶっ飛ばされるんだろうな・・・)
と悶々と考えていたとき、その班長は機転を利かせて、ある処置をしていた。
「小隊長、O2曹に電話をして電源ケーブルを演習場の物料回収地点近くまで持ってきてもらうように調整しました!!大丈夫です!!」
なんと、怪我で訓練検閲に参加できず、習志野駐屯地に残っている隊員に電話をして、電源ケーブルを御殿場演習場まで持ってきてもらうように調整を済ませていた。
「わおー、ブラボー!!」
と言いたいところだったが、これは、非常に良くないこと・・・
(でもな・・・・)
100kmを歩き終わるまで2夜3日もある。
今から準備をすれば、その重要機材の電源ケーブルは確実に間に合うが・・・
(でもな・・・・)
歩きながら、とてつもない葛藤に襲われた。
「正直に公表すべきか、隠し通すべきか・・・」
最後に腹をくくった。
(何かあったときの責任は、すべて俺が取ろう。)
そして、班長に伝えた。
「わかった。電源ケーブルを確保できたら報告してくれ。」
空挺団の演習は、日本全国の演習場で実施をするが、このときは幸い部隊から比較的近い東富士演習場での訓練検閲だったので、この『裏技』を使うことができた。
この後、大きな罪悪感と、電源ケーブルは本当に届くのだろうかとの不安を抱えながらの訓練をすることとなった。
100km行軍中熱射病になった隊員
夜中じゅう歩き続け、夜が明けて2日目の日中の出来事。
富士山の1200m付近を歩いているとき、1人の陸士隊員が体の不調を訴えた。
この隊員は、身長160cmで体重も軽く体の小さい隊員だった。
しかし、重い無線機を担いで歩いていた。
訓練検閲時は、まだ残暑が厳しい時期。
標高が高いため直射日光が刺すように痛い。
そして、ゴツゴツした石ばかりなので照り返しもきつかった。
水も歩き始める前に使っていたので、あまり飲めない状況だった。
(まずいな・・・)
(できれば、全員で完歩して次の戦闘行動につなげたいのだが・・・)
陸士隊員を一人置いていく訳にはいかない。
数名の隊員を後れた隊員に同行させなければならないため、その分の隊力も削がれてしまう。
その隊員達との通信の確保も難しくなってしまう。
想定はしていたけど、できるだけこの方法は取りたくなかった。
このとき、運良く、予定の行進時間よりも早く進んでいたので、少し長めの休憩を取ることにした。
彼の荷物を他の隊員に分配し、タオルに水を染み込ませ後頭部付近を冷やし続けた。
(部隊の徒歩機動力には自信がある。ここで少し遅れても、涼しくなった夜間に時間を取り戻せばいい。)
そう考えて、通常よりも長く休止を取った。
20分後、何とかこの陸士隊員を回復させることができ、 何とか歩き始めることができた。
(体が小さいのに結構重い荷物を持って歩いていたんだな。)
文句も言わずに黙々と頑張っていた。
陸士隊員は基本的に先輩に「できません。」とは言えない。
(もっと隊員一人ひとりの荷物の状況等を注意深くを見て、察してあげるべきだった。)と反省した。
標高1500mでのビバーク(大休止)
行軍開始から約70km地点まで来たとき、2時間の『大休止』を取った。
真夜中の1時頃で、登山道には富士山を登る人たちのライトの明かりが頂上まで連なっているのが見えた。
当然、登山をしている人たちは、僕たちが暗闇の中で行動していることには気づいていないだろう。
「あぁ、平和だな〜」と思いつつ、森の中に潜入して警戒態勢を取りながら2時間の休憩を取る。
富士の標高1,500m以上の場所ので休止だったので、夏でも寒い。
迷彩服や背嚢も汗でずぶ濡れ。
ポンチョをかぶって、光が外にもれないようにしてキャンプ用の小型のガスコンロに火をつけて暖を取る。
ポンチョを燃やさないように・・・
これが、至福のひととき。
でも、大休止中でもゆっくり休むことはできない。
休止中も団本部や上級部隊との通信を確保しなければならないのだ。
上級部隊に部隊の現在地を送るための無線アンテナを構成し、暗号化された電報を送受信する。
しっかりと食事をして、何とか1時間くらい寝ることができた。
これだけの短時間でもとても有り難い。
余談になるが、
食事については、数年前から『戦闘糧食2型』というのが出て、味や種類の改善はもちろん、なんと、加熱剤が付いてる。なので、冬場の行軍中にも暖かい糧食を食べることができるようになったのだ。
体力的に厳しい訓練中、食事は隊員たちの士気の源であり、唯一の楽しみ。
入隊当初の糧食は、まずくて喉を通らなかったが、糧食が改善されたのは本当にありがたかった。
また、陸上自衛隊では、根性で寝ないで仕事をすることが美徳とされていたが、(現在は改善されつつあるが、)
”寝れるときにはどこでも寝て、常に頭をクリアにしておくこと。特に状況判断が必要な幹部自衛官は。”
これまでの訓練を通じて学んだ大切なこと。
それから、特に難なく歩き続け、終わってみれば、予定より1時間くらい余裕を持って全員で完歩できた。
前回の訓練検閲からかなり力を入れて錬成してきた甲斐があった。
忘れてきたブツ(電源ケーブル)の行方は?
行軍終了後は、部隊が本格的な作戦を遂行するために、航空機から投下される装備品を回収して部隊を戦力化する。
戦力化は問題ないけど、”アレ”のことが気になって仕方ない。そう、例の忘れてきた最重要器材の電源ケーブル。
もし準備できていなければ、これからとんでもない地獄が待っている。
「◯◯班長。アレはどうなった?もちろん、用意できたよね?」
「小隊長、バッチリです!すでに回収しました!」
「ナぁーイス!!!」 (σ・∀・)σゲッツ!!
(O2曹、本当にありがとう!助かりました。)
後は、このことを墓場まで持っていくだけ (^o^)
(もう時効なので、ここで告白するけど)
これから防御作戦となるため、車両や器材などの装備品を防護するための『掩体(えんたい)』を構築する。
前回の記事でも書いたが、空挺団は機械力がないため、殆どが手掘り作業となる。それぞれの班長に選定した通信所の位置を示して、何度も訓練した掩体を構築させる。
2夜3日間殆ど寝ることなく歩き続けているので、みんなかなり疲れている。
でも、これからが踏ん張りどころ。
訓練と言えども、途中で妥協してしまったら、あとで絶対に後悔する。
それは、隊員たちが一番良く知っているはず。
陸上自衛隊の教範には記載されていないため、自分たちで何度も試行錯誤して自分達に最良の掩体を確立した。
事前の訓練通りやるだけ。
『防御陣地に完成はない。』
あとは、根性の問題。
隊員達は、疲労困憊の中、頑張って最後まで陣地を強化し続けた。
流石でした。
死の恐怖を感じた突然の嵐
防御作戦を開始して5日目。
昨日までの晴天とは打って変わって、突然の猛烈な大雨と落雷が発生。
富士地区は天気が変わりやすいため、大雨により、あっという間に鉄砲水が発生する。
数時間前に車両で通過していた道路に、ものすごい勢いの鉄砲水が流れている。その勢いは、小型車両くらいなら一気に押し流してしまうくらい強かった。人間だったら、死んでしまうくらいの激流だった。
いくら精鋭無比と言われている空挺隊員でもね。
鉄砲水のため先程まで使用していた道路が使用不能になり、車両での移動は制限された。
地図上のどの道が冠水して、どの道が使えるのかも検討がつかなくなった状況。
大雨や濃霧等の影響により通信も途切れているため、今の部隊の状況がどうなっているのか、よくわからない最悪な状況。
(離れた地域で活動している部隊は大丈夫だろうか・・・)
部隊の隊員を掌握しつつも、次々と出される訓練状況にも対応しなければならなかったので結構大変だった。
灼熱の猛暑から一転して、猛烈な嵐の中の訓練検閲。
(この状況、マジでやばくない?)
状況次第では、死人が出てもおかしくないくらいのものだった。
(まだ、訓練統裁部は検閲を続けさせるのか?)
(一体、いつ終わるんだ??)
受閲部隊の誰もがそう思っていたと思う。が、
それでも訓練検閲は終わらない。
流石は精鋭無比を掲げる空挺団の検閲。
大嵐ごときでは終わらない。
今回の訓練検閲を計画し、取りまとめている訓練幹部は、武闘派のイケイケドンドンの人だったし、嵐ごとき気合で克服せんかい!ってのが、空挺団。
予定通りのシナリオが終了するまでは続行される。
そして、数時間後・・・
ボロボロになりながら、時間はかなりかかったが、何とかシナリオに基づいた対処行動をすべて終了させることができ、訓練統裁部からの状況付与がすべて終了し、やっと訓練検閲終了。
部隊は壊滅状態だった。
「ヤッター、やっと終わったー!!」という解放感より、
「はぁ、激烈な訓練検閲だった・・・これからこの大嵐の中、器材などの撤収かぁ⤵⤵」ってのが、正直な気持ちだった。
資器材撤収中に起きた数々の災難
悲劇は、まだまだ続いた。
陸上自衛隊の訓練検閲は、状況終了後速やかに使用した資器材等を撤収する。
撤収中にも嵐は続いていたため、嵐の中での撤収となった。
そして、撤収時に惨状を目にした・・・
防御作戦だったので掩体の中に通信器材を分解して、掩体の中で組み立てて使用していたのだが、なんと!嵐のため雨水が掩体の中に流入して器材の殆どが水没・・・
プカプカと浮いていた。
絶句・・・
(どうすんの?これ。)
機能点検したところ、ほとんどが使用不能だった。
このことは部隊にとっては由々しきこと。
つまり、災害派遣等の実任務が付与されたときに、器材が使用できないために対応できないということ。
そして、部隊に帰ったら大量の報告書作成が待っている・・・
更に悲劇は続いた。
その1時間後くらいに、無線で連絡が入った。
「00、こちら50」
「有線(ワイヤー)撤収中に、T士長とY士長が落雷により感電」
有線撤収中に、隊員2名が落雷により感電したのだ。
命に別状は無く、数時間後に復活したが、ちょっと間違っていれば、死に至る危険な状態になっていたかもしれない。
この情報を無線で聞いた中隊長は、遂に堪忍袋の尾が切れた。
器材水没(損害額は億を超える)と自分の部下隊員2名が感電・・・
その怒りの矛先は、大嵐の中、訓練検閲を継続させた訓練統裁部へ。
そして、中隊長が発した言葉は、
「おい!K2尉、統裁部へ殴り込みに行って来い!」
「えっ、俺がすか??」 工エエェェ(´д`)ェェエエ工
(そんな無茶な・・・)
(たかが、2等陸尉ごときの階級で殴り込みに行っても相手にされるわけがない。)
と躊躇していると、
「おめー、行かねぇのかよ?」
「じゃあ、俺が代わりに行ってやるよ!」
と言って、統裁部へ行ってしまった。
物凄く、血気盛んな中隊長だったんです ^^;
その後どうなったのかは、敢えて聞いていません・・・
まあ、こういう激しい出来事は、普通の部隊ではあまりないのかもしれません。
今となってはいい経験をさせてもらったと思うが、当時は本当に大変だった・・・
空挺団って本当に面白いですよね!
荒れに荒れた検閲終了後の打ち上げ
そして、なんとか無事に撤収を完了して、訓練検閲終了後の恒例の打ち上げの宴会。
中隊長は相変わらずイラツイているようだ。
その場の長が機嫌が悪かったので、宴会はものすごく気まずい雰囲気だった。
(訓練検閲も無事終わったんだから、楽しく飲みましょうよ。)
と他の皆が思っていたはず。
飲み始めて30分後。
ついにしびれを切らした中隊長の陸士時代の先輩である上級曹長が宴会の席での中隊長の態度を直接指摘。
(中隊長は途中で幹部自衛官になったので、現在は階級が逆転している状態。しかし、基本的に、陸士時代の上下関係は微妙に継続する。)
「中隊長、酒の席でイライラしてるんじゃないよ。」
「隊員を激励すべき中隊長が宴会の席でそんなことでどうする。」
(うんうん!正論。正しくその通り!!だと思う。)
これに対して、中隊長がブチギレ!
その上級曹長に対して、立ち上がって
「なんだ、おメェ~!やんのか?」
「やるんならいつでもやったるどー!」
と臨戦態勢。
流石に中隊長の席の周りに座っていた隊員達が仲裁に入り、
その場は何とか収まった。
その後も、お通夜のような宴会が続いた。
一生の思い出に残る、最悪な宴会だった。
最後に
今回の訓練検閲が始まる前の準備から最後の打ち上げまで、僕の一生の思い出に残る演習でした。
幹部が中隊長と僕だけだったので、本当に大変だったけど、常識で考えたら無理だと思われることも、責任感を持って、周りの協力を得ながら取り組めば、どんなことでも乗り越えることができるということを経験できました。
この経験は、一生の財産です。
そして、リーダーたるもの、自分の感情に振り回されることなく、緊迫した状況下でも冷静に状況を把握・分析する能力や自分の言動が部隊の士気に与える影響を客観的に予測できる能力が必要なのだと学ばせていただきました。
タイトルでも【悲惨で最高の訓練検閲】と書きましたが、悲惨で苦しいと思う訓練ほど、その訓練から得られるものは大きいんですよね。
今回の訓練検閲は最高の訓練でした!(^o^)
空挺団最高です!!
おしまい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
今日も皆様にとって良い一日となりますように!
元国防男子 Mr.K
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