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<陸自幹部の第1空挺団勤務記録> その3 |恐ろしいほど数々の不運を乗り越えたら、いつの間にかブレイクスルーしていた

こんにちは。

元・国防男子/陸上自衛隊応援団/初級・中級幹部サポーターのMr.Kです。
幹部自衛官として13年間勤務し、主な経歴は🪂最精鋭部隊第1空挺団、🇺🇸米国陸軍留学、✏️陸自最高学府の指揮幕僚課程、🇺🇸在日米陸軍司令部、🇺🇳国連南スーダンミッション軍事司令部等で勤務して参りました。
現在は、民間企業の危機管理部門で海外セキュリティ担当として危険国の情勢分析、セキュリティ対策の立案など、陸自時代よりもよりリスクの高い仕事をしています。

今回は、当時に降りかかったとんでもない数々の『波乱』とそれを乗り越えた後の『ブレイクスルー』についての体験談についてお話ししたいと思います。

🔥 これから自衛官を目指す方や初級幹部の方が部隊等でリーダーシップを執っていく上での参考にしていただければ幸いです。

前回の記事では、僕が空挺団で初めて訓練検閲を受けたときの記事を書きました。前回の訓練検閲の記事を読んでいない人は、是非読んでみてくださいね。

⏩ 波乱その1 中隊長がまさかの入院

王城寺原演習場での空挺団訓練検閲が終了して数週間後・・・

検閲以来、中隊長は体調が優れなかったため、東京都世田谷区にある自衛隊中央病院(三宿駐屯地)に入院してしまいました。

ーー前回の記事で紹介しましたが、中隊長は訓練検閲で100km行軍中に50km過ぎたところあたりで倒れ込んでしまいました。

図3

そのとき、中隊長の体は病に侵されていたのです。

そうでなければ、空挺団で叩き上げの中隊長が行軍の途中で離脱するわけがありません!
途中離脱が、空挺団という組織でのリーダーシップにどれだけ影響するかということは一番よく理解されていたはず
です。

そんな体調の悪い中で、隊員に病気を打ち明けることもなく検閲に参加していたのです。

2年に1度、部隊の訓練練度を空挺団長に評価していただく訓練検閲。
部隊は、この訓練検閲を目標に2年間もの間、訓練を積み上げてきたのです。
だから、中隊長という部隊の指揮官という立場上、苦しくても途中で投げ出すことはできなかったのでしょう

ーー後日。

中隊長は『癌』だったということを中隊の先任上級曹長より告げられました。

発見されたときにはすでにかなり進行してしまっていたようです・・・

⏩ 空挺教育隊の『降下長課程(JM)』へ入校 

図2

中隊長が入院して不在でしたが、訓練検閲が終了した後、僕も空挺団の幹部として『降下長課程(Jump Master)』に入校することになりました。

空挺団の幹部自衛官は、この課程を修了していなければ、訓練計画を作ったり、指揮監督したりする業務ができません。

中隊に幹部が不足している状況でしたが、無理をして約1ヶ月間の教育に参加させていただきました。

教育期間は約1ヶ月。

教育は習志野駐屯地内で行われますが、部隊の業務から暫く離れる事になります

降下長課程の入校基準として降下を10回以上経験している必要がありました。

しかし、僕は着隊してすぐの入校だったため、基本降下課程の5回と予備員降下の1回の合計6回の降下回数しかないまま入校することになりました

しかも、前回降下をしたのは1年くらい前

これも結構無茶なことで、苦労したのは言うまでもありません!

経験は少なかったですが、幹部自衛官(2等陸尉)なので班長としての役割を与えられ10名の隊員をまとめなければならなりませんでした

班員の陸曹隊員は、レンジャー課程を修了したのち降下長課程に入校するので、集まった陸曹たちはレンジャー課程を修了した血気盛んな猛者ばかり。

そんな優秀な陸曹や他の幹部達と約1ヶ月の間、教育をともにしました。

ちなみに、『降下長課程(Jump Master)』では、
降下前に隊員の落下傘の装着要領を点検したり、
降下の際に航空機内で隊員を指揮したり、
航空機から投下するための車両や補給品の梱包要領を学習します。

降下長課程を卒業したら空挺降下や物料梱包のスペシャリストとなります。

降下指揮』という課目では、
空挺降下に関する諸規則から詳細に学び、航空自衛隊のロードマスターとの調整要領、降下前の降下準備要領、航空機内での指揮要領などについて学日ます。

重物料梱包』という課目では、
空挺団の装備する各種車両や補給品の梱包要領、航空自衛隊で航空機への搭載研修、御殿場演習場で実際の重物料投下を研修する。

🔥  🔥  🔥  🔥

物料梱包について少し紹介すると、
↓ このような『プラットホーム』と呼ばれる機材の上に車両を積載して梱包します。

画像1

地面に着地をした際に着地衝撃を吸収し、装備品の破損を防止するタイプです。

『重物料』はこんな感じで梱包します。

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軽物料』はこんな感じ。

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🔥  🔥  🔥  🔥

梱包は見ての通り、かなり複雑・・・

梱包要領は、各車両ごと異なるため複数のパターンがあります。

梱包要領に関する説明書があるので、それを確認しながらミスをしないように梱包しなければなりません。
梱包ミスをしてしまったら航空機事故に繋がるか、落下した後に物料が衝撃で破損する事になってしまいます

車両や補給品は人間と違ってとても重いので、一つの物料に複数の落下傘を付けて投下します。

航空機から投下された物料は、こんな感じで空に華ひらきます。

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富士の御殿場演習場等で投下する際は、凸凹した地隙により重物料が横転して車両が破損してしまうケースもあります

⏩ 波乱その2 つづいてM3尉も・・・

図4

僕が降下長課程入校中、中隊長は入院。

そして、幹部は部内出身(陸士からの叩き上げ)幹部のM3等陸尉だけ
僕が降下長課程で中隊に不在間の約1ヶ月、中隊にいる幹部はM3尉のみ。

彼は空挺団で15年くらい勤務していたので、ベテランで勤務要領もわかっているし、問題なく業務を遂行しているものだと思っていました

しかし、僕が不在の約1ヶ月の間で、M3尉は『うつ病』になってしまったのです!!

彼は、本当に心優しい。
いつも穏やかで、ニコニコしていて、怒った姿を見たことがなく、仕事帰りによく夕食を共にした仲。
僕よりも年齢は7歳年上で部隊経験も豊富でしたが、偉ぶることもなくしっかりと階級を尊重して扱ってくれました。

幹部として空挺団で右も左も分からなかった僕を励まし、多くの事を教えてくれた心強い存在でした。

彼は、陸士の頃からずっと空挺団勤務だったので勝手に大丈夫だと思っていたのだが、実はそんなことはなかったのです。

中隊長が闘病で大変な状態なので、2人で中隊を支えていこうと話していたのに・・・

僕が降下長課程に入校中、部隊を彼に任せっきりにしてたから・・・

責任を感じました。

⏩ 陸自内でよくある『しがらみ』

部内(叩き上げ)幹部は、立場上、人間関係が大きな問題となります。

幹部自衛官となって他部隊に転属すれば問題ありませんが、幹部となって同じ部隊に留まる場合は、『しがらみ』が付き纏います!

幹部になれば陸士や陸曹時代の先輩との立場が逆転します。
これまで指導をしていた先輩が今度は指導される方になってしまうのです。

もちろん、このような事象はどこの民間企業でもあると思います。
能力がある人が、入社が早い先輩社員よりも上の立場になる。

ごくごく自然なことです。

ですが、かつての彼の先輩たちは、このことが面白くなかったのです。

「何で俺があいつの言うことを聞かないといけないんだ?」

と言うことになってしまうんです。

画像9

後で聞いた話でしたが、

訓練に関して、空挺団本部からの指導と部下隊員からの突き上げの板挟みにあってしまっていたらしいんです。

幹部自衛官として勤務していると、良くあることです。

彼は優しすぎる性格のため、
団本部からの指示事項について、
かつての先輩達に「やれ!」とも言えず、
団本部の階級が上位の幹部にも「できません!」と言えず、
悩んでしまったのです。

(あぁ、何でもっと早く気づいてあげれなかったんだろう・・・)

サポートしてあげられなかったことに申し訳ない気持ちになりました。

⏩ 空挺式?うつ病隊員に対する指導が凄すぎた!

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中隊の先任上級曹長は、M3尉が陸士の頃から彼を指導してきました。

ちなみに、『先任上級曹長』という立場は、その部隊で陸曹・陸士隊員のトップで、曹士隊員達をまとめる立場です。

自衛隊の階級的には 先任上級曹長 < M3尉
実質的には 先任上級曹長 > M3尉

という構図になってました。

 🪂 このままでは、経験の浅いK2尉が全ての幹部業務をやらざるを得なくなってしまい、かなりの負担がかかってしまう・・・
 
🪂 そして、また幹部が潰れてしまう・・・

先任上級曹長はそのような不安を抱えていたのでしょう。

先任上級曹長は、かつての部下で、うつ病になったM3尉を呼び出してとんでもない言葉で一喝しました。

「M、いい加減に目を覚ませぇー!!」

K2尉:( ゚∀゚)・∵. グハッ!!

幹部室の隣の事務室から先任上級曹長の大きな怒鳴り声が庁舎中に響き渡りました!

K2尉:(えぇー!!!) 工エエェェ(´д`)ェェエエ工 

一瞬、耳を疑ってしまいました。

K2尉:(先任、さすがにその指導はちょっと・・・)

うつ病の隊員に対して「いい加減に目を覚ませ!」とは・・・・

通常では考えられない、常軌を逸した指導

流石、空挺団で30年以上も勤務してきた人。

うつ病の隊員に対する指導もぶっ飛んでいました。

 (;゚∀゚)=3ハァハァ

⏩ そして幹部は一人しかいなくなった

先任上級曹長の激烈指導がかなり堪えたのか、初期の頃は病院に通院しながら出勤していましたが、とうとう部隊に顔を出せなくなってしまいました。

 ⏬ 中隊長は、ガンが見つかり自衛隊中央病院で療養中。
 ⏬ 副中隊長は、米国留学中。
 ⏬ 部内幹部は、うつ病で自宅療養中。

中隊で幹部は僕だけという最悪な状態になってしまいました!

僕が、配属されて約4ヶ月が過ぎました。

⏬ そのうちの1ヶ月は降下長課程に参加していたため、実質、この部隊での経験はまだ約4ヶ月。
⏬ 部下、約90名。
⏬ 副中隊長からの業務上の引き継ぎ事項は皆無。過去のデータも残してくれていない・・・

2等陸尉に昇任して間もない未熟な僕にとっては、中隊のすべての幹部業務を行い約90名の隊員を運用することは荷が重いのは明らか。

 ( ゚∀゚)・∵. グハッ!!

ここに来て、副中隊長から業務が引き継ぎがされなかった事がじわじわと効いてきました・・・

やるべき事は山程あるけど、毎日、中隊長代行として何をすればいいのか?
何から手を付けて行けばいいのか?

路頭に迷いそうになりました。 (´ .  . `)

でも、僕が路頭に迷ってしまったら中隊は機能しなくなってしまう。
幹部一人でもやるべきことは、やるしかない・・・

背水の陣で臨む覚悟ができました。

⏩ 今日から俺が中隊長や!

図7

僕は、知識も能力も未熟で部隊を支えていく力は不足していました。

だから、中隊を機能させていくためには、どうしても隊員達の協力が必要でした。

ーーどうすれば隊員達の力を最大限に活用して、部隊を効率的に運用できるか・・・

まずは、中隊の主要メンバーを集めて、中隊としてこれからどうやってやっていくのかを話し合うことから始めました。

中隊がこういう状態だから、中隊長の代わりとして俺がしっかりと指揮を執っていくので、協力して頑張って行こうと伝えました。

そして、僕個人としては、自分自身に2つの目標を心に決めました。

🌈 上司や隊員達の前では『中隊長』として振る舞うこと。
🌈 一人でもやるべき幹部業務は必ず行うこと。

実は、初級幹部の僕が『中隊長』のように振る舞えるようになったのは、上級陸曹のある指導のおかげだったんです。

幹部自衛官が、部下隊員の前で話すときに敬語を使って話そうものなら上級陸曹から怒号が飛んでくるんです。

上級陸曹:「何で、俺たちに敬語を使ってんだよー。」
上級陸曹:「そんなんじゃ、誰も付いて来ねーぞ!」
上級陸曹:「「やってください」じゃなくて、「やれ」って言うんだよ!」

でも、このアドバイスは僕にとってはありがたかったんです。

初めはイラっとしましたが、全隊員の前でそう言われることで、全員に対して堂々と命令できる環境ができました。

言わば、上級曹長から「隊員の前で話すときは、命令口調で話せ」とのお墨付きをいただいたのです。だから、他の隊員達もそれに対して文句を言うなと。

空挺団では、誰も経験豊富な上級曹長には逆らえません!

『上級曹長は絶対的な存在』

これがきっかけで隊員達の前では、空挺団の幹部らしく振る舞えるようになったのです

⏩ 激動の日々がスタート!

ほぼ毎日部隊に宿泊睡眠時間約3時間の生活が始まりました。

実は、幹部自衛官は『降下長課程』を修了したら、次は『空挺レンジャー課程』に入校しなければならないので、その準備も並行してやらなければなりませんでした。

このため、23時前に帰る時や休日には、できる限りトレーニングジムに通いました。

 🌈 自宅に帰る時、就寝はいつも午前2時頃。
 🌈 起床は毎朝5時で、部隊まで走って通勤。
 🌈 駐屯地の起床ラッパが鳴るまでには駐屯地に到着し、朝の6時から仕事を開始。

部隊に泊まるときは、中隊長室にあったソファーの上で、中隊長が早く快復してくれることを祈りながら就寝していました。

今考えても、かなりハードな生活をしていました・・・

⏩ これぞ、ブレイクスルー!

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ハードでしたが、これまでの人生の中で一番充実していた日々でした。

そして、自分自身の成長を一番感じることができた時期でもありました!

🌈 毎日、朝夕に隊員達の前に立ち敬礼を受けます。
🌈 2等陸尉の初級幹部でしたが、毎週の定例会議で2等陸佐の大隊長に混じって空挺団長に報告。
🌈 駐屯地朝礼の時など、空挺団全員が集まるときには他の2等陸佐の部隊長と同列。

自分が主体的に行うことで、

🔥 仕事や規則を覚えることができました。
🔥 資料の作り込みも上達しました。
🔥 名前もどんどん覚えてもらえました。
🔥 自分が中心となり、自分の判断で部隊を動かすことができるようになりました。
🔥 『中隊長』として勤務する中で、部隊を指揮・統率するという自覚が芽生えました。
🔥 部隊の『重み』を肌で感じることができました。

中隊長の代わりとしての役割もあったので、隊員との家族とも交流したり、隊員から誘われた飲み会には忙しくても極力参加ました。

ーーそして、

孤軍奮闘してうちに、隊員たちの僕に対する態度が大きく変わってきたのを感じ始めました。

🌈 部下が班で飲み会をやるときには、ゲストとして誘ってくれるようになりました。
🌈 上級陸曹も飲み会に誘ってくれるようになりました。
🌈 外出から帰ってきた隊員が、いつも事務所で仕事をしている僕に差し入れを買ってきてくれるようになりました。そして、声を掛けてくれるようになりました。
🌈 隊員の実家からお歳暮が届くようになりました。
🌈 僕が指示をすることには、文句を言わずに行動してくれるようになりました。そして、それをサポートしてくれる隊員が現れ始めました。

⏩ Mr.Kのリーダーシップ論の確立

図6

僕が着隊当初は、まだまだ未熟な幹部で隊員達から馬鹿にされていたと思います。隊員達の殆どは、レンジャーを卒業した猛者たちで、僕とは経験した修羅場の数が違うんです。

でも、一生懸命やっている姿を見てくれて仲間として、『中隊長』として僕を受け入れてくれるようになったのです!

これがリーダーシップか!

幹部候補生学校からずっと勉強していた『リーダーシップ』について、どう行動し、振る舞えば隊員が付いて来てくれるのかを体感でき、自分なりのリーダーシップをとっていくための方法を確立できた瞬間でした。

そして、この2等陸尉という初級幹部時代に、陸上自衛隊最精鋭部隊でのこのような稀有な経験を通じて自分自身に対してかなりの『自信』を持つことができたのは言うまでもありません。

次回へつづく。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

今日も皆様にとって良い一日となりますように!

元国防男子 Mr.K


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