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昔の大和なでしこのライフスタイル

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昔の日本女性のライフスタイルを知って、明日を生きる自信をちょっとだけ増やすマガジンです。推し活・婚活事情・生涯独身謳歌・3色メイク術など、昔の大和なでしこは意外と人生を楽しんでま…
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#昔の日本人

#4 赤白黒の3色で勝負!昔の乙女のメイク術

▼前回はコチラ ▼最初から読みたい方はコチラ 番外編:スキンケアもしてたよいくらメイクしても肌がボロボロだったら美人にはなれません。 昔の乙女もスキンケアをがんばってました。 洗顔:ぬかを袋に入れて、ぬすま湯にひたして絞って顔に塗って洗う。 化粧水:ノイバラの花から作った蒸留水(ローズウォーター)を顔に塗った。肌の殺菌・鎮静作用あり。 パック:卵の白身を使った。 ローズウォーターをつかって保湿してたなんて美意識高いですね! 明治時代になると、欧米文化が入ってきた

#3 赤白黒の3色で勝負!昔の乙女のメイク術

▼前回はコチラ ▼最初から読みたい方はコチラ 黒のお化粧黒髪 眉墨 お歯黒 ↑江戸後期から明治時代のメイク本。 体系ごとの着こなし術だったり、髪や体のケア方法が載っている。 100年くらい刊行された大ベストセラー。 髪の「黒」(ヘアメイク)「髪は女の命」と言われたように、つややかな黒髪は日本女性の魅力の一つ。 平安時代では長ければ長いほど美人とされていたので、生まれてからほとんど髪は切らずに伸ばし続けて、自分の身長よりも長い2メートルくらいの髪の人が多かったよう

#2 赤白黒の3色で勝負!昔の乙女のメイク術

▼前回はコチラ 「白」のメイク白粉 いつの時代も共通する美人の条件は「美白」です。 (一時期、一部の女子高生の間でガングロメイクが流行りましたが、それをのぞけば、この国の美女の条件は色白です) 今は肌の色に近いクリーム色のファンデーションが手に入るので、自然な色にメイク出来ますが、昔の肌のメイクといえば、白粉です。 白粉ってどこに塗るの? 白粉は粉末状になっていて、水で溶いてから使います。 顔だけでなく、首や衿足、肩、 胸元まで刷毛を使って塗ることもありました。

#1 赤白黒の3色で勝負!昔の乙女のメイク術

皆様、こんにちは。 ごきげんいかがですか。 マリナデシコです。 大和なでしこの皆様、毎日メイクお疲れ様です! 大和男子の皆様には、想像するのは難しいかもしれませんが、世の乙女は殿方に会う前に、あれこれと準備が大変なのです。それはもう面倒なのです。 お顔にあれこれ塗って保湿して、ファンデーションで色艶を良くして、ポイントメイクをして、ヘアセットもして……などなど、やるべきことがたくさんあるのです。 私はシミとソバカスが多いので、これらをコンシーラーで隠す作業に苦労してま

#3 安心して!昔から大和撫子は「推し」に狂ってるよ!

▼前回はコチラ 前回は二次元に「推し」のいる昔の乙女でしたが、今回は三次元に「推し」のいる昔の乙女を見てみましょう。 今のお芝居やドラマのような“三次元推し”のパイセンたち👧🏻「アイドルが好き!」 👧🏻「舞台やミュージカルが好き!」 👧🏻「アイドル(役者さん)と結婚できたら良いのになー」 超絶かっこいい男性が、素敵な歌詞(または台詞)と甘い表情を向けてくることに、ときめかない乙女なんていますか!? いませんよね!! 鎌倉~戦国時代の血なまぐさい闘いが終わり、平和になっ

#2 安心して!昔から大和撫子は”推し”に狂ってるよ!

▼前回はコチラ 等身大の仏像をつくり、床におでこをつけて「『源氏物語』を全巻読ませて!」とお願いする狂気の少女時代を過ごした、藤原孝標女パイセン。 それから3年後、むすめパイセンのお願いが仏様に届いたのか、お父さんの任期が終わったので、京都に帰ることになりました。 京都の家に到着して早速、むすめパイセンはお母さんに物語をねだります。 お母さんは宮仕え(天皇や皇后にお仕えする超エリートOLさん)をしている親せきに手紙を書いてくれて、むすめパイセンは念願の物語を手に入れたの

#1 安心して!昔から大和撫子は「推し」に狂ってるよ!

皆様、こんにちは。 ごきげんいかがですか。 マリナデシコです。 突然ですが、みなさま「推し」はいますか? 「います!」とお答えのあなた、素晴らしいです。 あなたこそ、日本が誇る大和撫子! これからも、その調子で推しに狂っていきましょう! 「いないなー」とお答えのあなた、この国に生まれて“推し”がいないのは大変めずらしいです。 でも、大丈夫です! 今、「推し」がいないということは、これから見つかるってことですから! なぜなら、この国の乙女の大半は、200年前、いえ、も

#3 きみは強し恋せよ乙女 おそるべし恋のチカラ

▼前回はコチラ ▼最初から読みたい方はコチラ 恋する乙女は美しい。そして、強い。 そんな美しくも強い、恋する大和なでしこのエピソードを3つ選んでみました。 (3)好きな人にもう一度会いたいから江戸中を焼き払う放火魔【八百屋お七】260年続いた江戸時代で、火炙りの刑にされた唯一の女性、それが八百屋お七です。 清姫と違って実在した乙女で、記録には「品川で火炙りになった」とだけ残っているんですけど、当時の人たちの噂話に尾ひれがついて、色々と脚色されてお話が出来ました。 こ

#1 きみは強し恋せよ乙女 おそるべし恋のチカラ

皆様、こんにちは。 ごきげんいかがですか。 マリナデシコです。 今から100年くらい前の大正時代に流行した歌「ゴンドラの唄」の1番です。 youtubeで聴いてみると「曲調がどうしても古いな~」と思っちゃうんですけど、歌詞は素敵ですよね! 特に最初の「いのち短し 恋せよ乙女」は声に出して読みたい日本語! ちょっと前に流行った恋愛小説『夜は短し歩けよ乙女』のタイトル元ネタにもなってますね。 100年経っても耳に残る歌詞を作詞した吉井勇先生すごい! 大正時代は平均寿命が4

#3 乙女の好きなタイプは昔から 優しい+イケメン+●●

▼前回はコチラ 3:助六義経から700年くらい飛ばして、江戸時代の歌舞伎からエントリー。 助六寿司の名前の由来になった助六です。 助六さんの華麗なるプロフィール チャラ男と思いきや、実は武士の息子(権力・セレブ) ナンバーワン花魁おいらんが惚れるほどかっこいい(イケメン) 超おしゃれで粋(ファッションセンス) 女性に優しい(優しさ) 江戸時代の吉原といえば、江戸幕府公認の歓楽街。 体を売る遊女と、彼女たちを買いにくる男たちの街でした。 そこでのナンバーワンを花

#2 乙女の好きなタイプは昔から 優しい+イケメン+●●

▼前回はコチラ 2:源義経光源氏から約100年後、鎌倉時代からは源義経がエントリーです。 同じ「源氏」がつく名前ですけど、光源氏と源義経は関係ないです。 義経は光源氏と違って、実在の人物なんですけど、「義経記」という彼を主人公にした創作がスーパーイケメン過ぎて、そちらのイメージが強いので、ピックアップしました。 源義経さんの華麗なるプロフィール 武士集団「源氏」のリーダーの息子(権力・セレブ) 背は低いけど、女性のように美しい(イケメン) 天狗と修行したので身軽

#1 乙女の好きなタイプは昔から 優しい+イケメン+●●

皆様、こんにちは。 ごきげんいかがですか。 マリナデシコです。 女性が「好きなタイプは?」と聞かれた場合、「優しい人」と答える人が多いと思います。 誰だって意地悪な人よりも優しい人がいいですよねー。 しかし、これは半分正解で半分不正解なのです! 「そうか! あの子は優しい人が好きなのか! よーし! 優しくするぞ!」 と馬鹿正直に信じて、女性に優しく接したのに、他の男に取られて、悔し涙で枕を濡らした男性も数知れず。 しまいには、「優しすぎて物足りない」なんて言われてしま

#2 政略結婚だけじゃない!お江戸の婚活事情

▼前回はコチラ お江戸の婚活③第一印象が大事!【お見合い】事前に紹介者から相手のスペックは聞かされているとは思いますが、遠くからこっそり見て、その人の何がわかるんでしょうか? 現代のお見合いみたいに顔を合わせて、「あの……ご趣味は?」と質問した方が早そうですけど。 現代の結婚相談所やマッチングアプリに似てますね。 これが一番、現代の婚活に近いのかも? お江戸の婚活④気持ちが大事!【くっつきあい】これが一番幸せそうですが、現代人には難しくなりつつある婚活ですね。 武家