[叱らない]じゃなくて[叱れない]育児
「子育てに正解はない」とよく聞くけれど、それってなんて曖昧なんだろう。
妊娠中の過ごし方から出産後の母乳やミルクの量、離乳食の進め方、生活リズム、与える絵本やおもちゃなどの遊び、しつけや教育、習いごと、進学先や家庭学習、食生活まで挙げればキリがない。
そしてこれら一つ一つの選択と判断がほぼ養育者によるものだ。
何をもってそれを良しとし与えるのか、結局は(主に)たった2人の経験と価値観によって決まる。
これを曖昧だと呼ばずして何と呼ぶのだろう。
私は自分に自信がない。
母親として当たり前のことすら出来ず、いつまで経っても自分自身を認められない。
それ故、ただでさえ曖昧でふわふわした育児というものをしっかりと自分の言葉で表し、家庭の基盤を作ることができない。
もっと単純な言い方をすれば、私は子供達をいつ叱るべきなのかがいまいち分からないのだ。
もちろん生死に関わることや人に迷惑をかけることは厳しく叱っている(つもり)。
でもそれ以外のお行儀が悪いだとか基準が曖昧なものになると途端に分からなくなってしまう。
例えば、テーブルに足を上げてはいけないというのは分かる。
では、食事中にお手洗いに行くのは?
ダメだと言う人もいるだろうし、気にしない人もいるだろう。
そういう己の価値観でしか測れない細かいことを子供に教えるのはとても難しい。
家庭ごとにルールを作ればいいのかもしれないが、大人が考えもしないことをしでかすのが子供で、すべての行動をマルバツ化するのはとてもじゃないけど現実的じゃない。
そして私は自分のことを信じていない。
だから私の価値観を子供に押し付けることに抵抗がある。
何かを注意するときは、なんで?と聞かれても答えられるものだけ注意するようにしているけど、言葉を選んだり分かりやすく伝えようとして咄嗟に出てこないこともある。
そんなとき、これは注意するべきことだっただろうか?と思ってしまうのだ。
私と違って旦那は、ダメだと思えばハッキリと叱るし泣かれても暴れられても譲らない。
感情だけで叱ることもないし、叱る基準も明確に持っているように見える。
私からするとちょっと厳しすぎじゃないかと思うこともあるけど、子供達を本当に可愛がっているので子供達もパパが大好きだ。
そしてパパの言うことを面白いくらいよく聞く。
私が何十回言ってもやらないことでも、旦那の姿が見えた瞬間パパッと動くので思わず笑ってしまう。
母としての威厳なんてゼロに等しいし笑っている場合ではないのかもしれないけど。
私は子供達に多くは望んでいない。
ただ、健康で毎日楽しく過ごしてほしい。強くて優しい子になってほしい。
勉強が出来なくたって運動が出来なくたって、
オムツがなかなか外れなくてもみんなと同じことが出来なくても、
そんなことは大きな問題ではない。
だからしつけの部分は旦那にお任せして、私はいつだって子供達が自然体でいられるように安心できる基地になろうと思う。
子供達がもう少し大きくなって我が家の基準がハッキリしてきたら、私も叱れるようになるんじゃないかな。
そのときにはきっちり言うこと聞いてもらわないとね。
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