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5ヶ月と5年、その長さ。

---約5年、何のためにラジオパーソナリティをやってきたのか。

 この9月でまる5年、今ここにきて道に迷ったようだ。会社に対して雇ってくれた恩義があるのは前提として思うことがある。

パーソナリティの仕事は栃木市の魅力や加盟店の大切な情報を伝えるA面の仕事の他にB面がある。B面はおそらく内面的理由そのものだと思う。

私のB面は生きててもつまらなかった中高生時代にラジオに出会ったことが、人生に大きく影響していた。

深夜に受験勉強やら課題をやりながら聴いていたラジオからいろんな音楽を教えてもらった。
それでいつのまにかほんの少し音楽に詳しく、そして音楽がより好きになった。

音楽があったから、あの頃と同じように流れている時間を楽しく過ごせるということ。
それは言える。

少なからず、同じことはできなくても、
自分もそういう空白を埋められるような音楽を届ける側でいたいという志しでやってきたんだと思う。

音楽の専門家でもないけど、こんな曲あるんだとか流行り廃り関係ない音楽に関心を持ってもらうことがやりがいの一つだと思ってた。 

 ただ先日、リスナーからのメッセージに「もっと⚪︎⚪︎さんみたいに意外性のある選曲をしたらどうなのか」と言う内容があった。

そのメッセージから、私の心が受け取けとったのは、虚無だった。

週に5日、数時間、実に個人的な事を世の中に向かって話している私の何を理解してくれていたのだろうか?自分がやってきたことはなんだったのか?という虚無感だった。

ここで言う意外性の意味さえ私は理解できなかった。 

この5年間はなんだったのか?
そんな度々折れそうになる気分を助けてくれる救いの言葉もあった。そういう奇跡に出会えた事、その言葉一つ一つは心に刻んで大切にしたい。

やってきて良かったこともあったんだと自分を肯定したい。

自己肯定感って充電式だな。
積み重ねて育まれるので、時々疲れるとメモリが減ってる。充電が必要だ。

喜びはあれど、自分がやってきたことの無意味さを確認する時間はなるべく減らしたい。
出演は減らしたいという思いもあった。短く濃厚にしたいと。

疑問を持ったのは本当に良い機会だったと思う。

嫌な事を言われて自分の考えを再認識するスイッチを押してスッキリしているところもあるし、クレームの全てを否定するつもりはない。

一度始めた事は納得いくまで続けたい。
先の事はわからないけど、ラジオの仕事を通して納得できる人生を歩みたいとは思ってる。

だが、メッセージを送ってくれる人もそうでない人も嫌味を書いてくる人もおじさん構文の人も
それぞれの気持ちの部分は大事にできるそんな余裕がほしいと思った。

長くなってしまったな。

そんなわけで最後まで読んでくれた人、
今まで見守ってくれた人、ありがとう。

漸くこの悪夢の5ヶ月で失った自分を取り戻し始めた。
それで目が覚めて、まだラジオやらせてもらいたいなと思った。

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