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【『タクシー会社?ふざけるな』父の一言が私を変えた】

「ふざけるな」
2020年3月、大学3年生だった私は、準備に準備を重ね緊張の中で選考を受けた念願の会社の内々定をもらい、嬉々として父にその報告をしていた。その時返ってきたのがこの言葉だ。
どうしてこんなことを言われるんだろう。
そんなことを言う父ではないはずだった。今まで進学先に合格した時は喜んでくれた。就活中も頑張れよと声をかけてくれた。そんな父が日本交通というタクシー会社に内定したことに対してだけはその一言で反対したのだ。
悲しかった。怒りがこみ上げた。父の考えもわかる。当時の私は免許を持っていなかったし、運転したことのないお前にタクシーは無理だと言いたかったのだろう。でも、その時自分の中でふつふつと沸き上がったのは、やってやろうという気持ちだった。自分で決めたからには自分で道を切り開いてやる。翌日には気持ちを切り替え、合宿免許を申し込んでいた。緊急事態宣言が発令された4月以降は、教習所がストップするという逆境の中であっても、自分の選択を正解にしていく時間になった。

そもそも、なぜ免許も持っていない私が、タクシーという仕事を選んだのか。それは日本交通という会社との出逢いにさかのぼる。


《直接人と関わってその人を笑顔にしたい。自分の軸が出来るまで》
3歳で両親が離婚し父親に引き取られるものの、父が劣悪な仕事環境と育児の両立でノイローゼになり、程なくして祖父母の実家に父と居候生活が始まった。祖母は私にとっての第二の母であり、尊敬する女性であり、今の私を作ってくれた大きな存在。私が12歳の時に末期癌になり闘病生活の1年後亡くなってしまった。まだ66歳だった。
幼いころ、なかなか寝付けずべそかく私に、祖母は海外の映画や旅や美術に関するテレビをよく観せてくれた。特にオードリー・ヘップバーンの【ローマの休日】はお気に入りで何度も観ていた。同時に小学校に入学してからユニセフの募金活動を通して世界には貧困や紛争、難民問題があることを知り、どうして世界はこんなにも美しいところがあるのに不平等なままなんだろう?と疑問を持った。だからこそ大人になったらまだ見ぬ世界へ行って、現地に触れて、皆とお互い平等に接して、直接その人のためにできることを通して笑顔にしたいと漠然と《将来のなりたい像》が形成されていった。


それから地元の国際高校に進学し、指定校推薦で法政大学に入学した。入学前後のギャップで最初はブルーになるものの、企画プロジェクトの課外活動団体と出逢い、大学生活で頑張りたいことを見つけられてからは心から楽しかった。そこから学生団体のモデルショーや短期留学、大使館のボランティアなど経験が自分を作ってくれると信じてなんでも気になったら挑戦していた。いくつか企画を作り、課外活動団体のリーダーとして活動していく中で沢山の人の『ありがとう』に触れた。そして自分の中で
『将来自分は直接人と関わってその人に何かサービスを提供することで笑顔にする仕事をしていきたい。』
と確信を得た。自分はその軸をそのまま就職活動における軸として業界は絞らず見ていった。


《就活でのギャップ》
もともと国際にも興味があったし、海外へ行くことにも興味あるし、逆にインバウンドもこれから需要があるぞと感じていた。だったら海外から来る方々にもっと日本の魅力を伝え、東京は地下鉄などインフラも複雑だからこそその悩みを解消していけるようなことがしたいと考えるようになった。観光系のインターンシップに行くものの、人と関わらずひたすら事務作業をする就業体験を通し、これって本当に自分がしたいことなの?と疑問に思ったため、業界問わずインターンシップへ行って少しでも肌感で働く感触を得るようにした。
そこでたまたま【観光】や【人】というキーワードで出逢ったのが日本交通だった。


《日本交通との出逢い》
大学の期末試験期間中に行った日本交通のインターンシップ。移動や待ち時間はテスト勉強をしていた。老舗企業だねと父が言っていたその会社はタクシー会社だった。
インターンシップの内容は観光プランを立てるもの。EDSの東京観光タクシー現役乗務員さんが待ち時間でも地図を見て勉強している姿がかっこよかった。インターンシップは、もとから街歩きも好きで企画プロジェクトの活動をしているのもあって、楽しかった。


『へえ、タクシー業界でも観光や企画の仕事出来るんだ。』
と意外性を感じ、
『さてアルバイトに行かなきゃ。』
と帰る準備をしていたとき、ある女性の人事が声を掛けてくださった。


「横溝ちゃんのこと、実は観察してました!」
とフィードバックのメモを渡してくださった。そして私に投げかけた言葉が
「横溝ちゃん、年上好きでしょ?」


びっくりした。当たってる。
というよりなんでそんなプライベートなことをこの短時間で見抜いたの?しかも話してもないのに。


「横溝ちゃんは人に対する肯定力が強みであるけど、協調だけではどうにもならないときって結構自分を押し殺しちゃわない?もっと自分を出して、楽になっていいんだよ」


胸のつかえがとれたようで涙がぶわっと溢れ出た。なんでわかるの。今までの小中高時代や大学での課外活動の団体のリーダーとして活動していた時感じていた自分の弱さだった。それをもっと素直になっていいと言ってくれたようで救われた気がした。
この会社では嘘はつけない。人を会社のねじではなくて【人間】として見てくれる。だからこそありのまま見てほしい。そう強く思った。


就職活動始めてからずっと日本の就活が大嫌いだった。みんな同じ髪型服装で個性も見えず、適性検査で人と出逢う前から判断する無機質なものがどうしても好きになれなかった。頭では理解しようとも、自分の心が正直に反応していた。だからこそ就活生としてではなく人として向き合ってくれた会社に信頼感を感じた。そしてこんな人たちと共に成長したいと思えるようになった。

日本交通の選考では殆ど毎回泣いた。感動して。今でもしっかり覚えているのが当時新卒採用担当のリーダーだった人事との面接。その人の顔を見て涙が出てきた。なんでだろう?慈愛と鋭さを兼ね備えた眼差しだった。


「君はクラスでどうしても目立ってしまう女王様タイプだね。お姫様なんかじゃない。」


そう言われてびっくりするし、話の展開も面接というより人生相談みたいで心をすっかり許せたからこそ、今までの自分の人生や考えを素直に言えた。最後に、
「君はここに来るまでどう感じていた?」


その質問に正直に私は答えた。
「空を見るのが好きなんですけど、梅の蕾が膨らんでいるのを見て、ああ、もうすぐで春が来ると感じました。」


面接というより詩的表現をしてしまった自分にその人はこう返してくださった。
「それが君だ。」


《周囲の反対》
就活を最終的に終わらせるまでは日本交通かベンチャー企業かで揺れていた。でも私がこの仕事を選んだ理由として決定的なものがある。
『ここではきっと面白いことが出来る。』
ある種の直観だ。自分は感情が意思決定に重きを置くものの、他にも直観や感覚といったものが働いている。欠けているのは冷静な思考力。スーパーポジティブな時もあればスーパーネガティブな時もある。だけれどこれが自分と割り切っているのはこれからもそうかもしれない。
日本交通は若手がどんどん文化を創造していって事業も新しいことにチャレンジしていこうというベンチャー気質もありつつ、創業90年以上の老舗企業。土台が違う。そのブランドを構築していった先人たちが残した核である『後世に徳を残そう』は絶対失われないと思う。それなのにその大事な環境下でバッターボックスに立ち、自分でボール(チャンス)を取りに行けというスタンスが、自分のやってみたいという心に響いたのが決め手となった。

しかし実際に自分の見た景色と社会的にはギャップがあった。
【タクシーなんて】というステレオタイプ。
日本交通からの内定は父だけでなく周囲からのリアクションはよくないものばかりだった。


「もったいないね。」
「え、そこ行くの?」


と言われ続けて自分の選んだ道は間違っているのかなと悩んだ。それでも意思を曲げなかったのはやっぱりここがいいと自分で決め込んでいたからだと思う。
運転手というより助手席の人というイメージも強く、マリナって感じしないよねが多くの感想だった。その中で唯一肯定的に捉えてくれたのが大学の職員さんだった。


「マリナちゃんの運転するタクシーなら乗ってみたいわ。新卒で女性だからこそ意外性もあるし、何よりも安心する。」


この言葉をもらったとき、自分だからこそこの道に進むことは社会へ向けてメッセージを発しているんだと気づかされた。確かに働き方も自分がまだ経験したことのないものだけれど、意思がある限りきっとこの選択をしてもまたきっと面白いことが出来るんじゃないか。それがどんな形でも、部署に行ってもやれると信じている。


《実際選んでみて》
合宿免許でも仕事で免許必須というのも周りから好機の目で見られたけどもう慣れた。あまり多くの人が知らない世界へ飛び込むと決めたのは自分。
国の法律上二種免許取得まで時間を要するため最初に配属されたのは新卒採用担当だった。この知らせが嬉しかった。なぜなら新卒採用担当との出逢いが無ければ日本交通にそこまで深く惹かれていなかったと正直思うからだ。きっかけを与えてくれた部署に自分も携われるのが嬉しかった。けれど入社当時は一気に不安になった。学生さんと向き合うとき、現場を知らない自分に一体何ができる?と無力に感じたから。
でもその時また救ってくれたのが日本交通の《人》だった。


「横溝ちゃんは横溝ちゃんだし、自分のペースで強みを作っていけばいいんだよ。だから泣かないの。」
「焦るなよ。」


これらの言葉に励まされて、同期にも恵まれて、いつの間にか任されることも、挑戦させていただくことも出てきて仕事の幅《できること》が増えていった。いつしかあんなに不思議がっていた大学の友達もInstagramの投稿を見て、
『なんであんな楽しそうに仕事してるの?』
と興味を持ってくれるようになった。環境に恵まれたんだと思うのと同時に、今起きていることは自分のやったことの結果であり、何事も自責だということも学ばせていただいていると感じている。そしてあの時厳しい言葉を掛けた父にも、全力で坂を走っている動画を通して楽しそうに仕事する私を見てほしい。これからも挑戦していっていい意味で期待を裏切りたい。
※【全力坂】…テレビ朝日で放送されている東京の数ある坂をアイドルや女優など売り出し中の女性タレントが全力で駆け上がる番組。そのパロディとして公式Instagramで投稿中。

https://www.instagram.com/reel/CYBcx2hKAyW/


《これから》
この仕事を選んだ理由は沢山あるけれど、決め手だった【この会社ではきっと面白いことが出来る】という予感を本物にしていくのがこれからの課題だと思う。
やってみたいのは入社前に人事にプレゼンした企画があって、それが『空を飛ぶタクシー』
内容としてはただ空を飛ぶというよりも世界中の人と仲良くなれるようなタクシー。大使館などとコラボして社会貢献に関する企画をしたい。それが今この仕事で成し遂げたいこと。
まだ新社会人としてキャリアも積んでいるわけではないけれど、いつも学生さんにお伝えしているのは、


『何かの基準に合わせなくていい。大事なのは自分の軸であるからありのままでいること。』

就職活動で求められる人物像とか気にするけれど自分を押し殺す必要はなく、寧ろ自分と価値観が共感できるところへ向かうのが無理なく自分を発揮していく就職活動であり仕事を選ぶプロセスだと考えている。
やる前から向いてないとかではなくてまずその世界に飛び込んでいく。それは自由であり責任の一緒にくっついてくる。だから自分で正解にしていけばいい。
私の敬愛するオードリー・ヘップバーンが残した”Nothing is impossible. The word itself says I’m possible”のように、望んで、行動に起こせばきっと道は開けると信じている。


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