第三次ベビーブームはなぜ起こらなかったのか

あけましておめでとうございます。
2019年は「出生数86万人に急減、初の90万人割れ」といったニュースが話題になりました。

ところで少子化っていつからどのように起きているのだろう、と疑問に思ったのでそのリサーチの結果をここに残します。

第一次ベビーブーム

少子化の流れを語るには、まず第二次世界大戦後に第一次ベビーブームが起こったところから。

第一次ベビーブームとは、子どもが爆発的にたくさん生まれた1947~1949年頃のことをさします。

当時年間210万人生まれるのが普通だったところ、この期間は平均年270万人生まれています。出生率にして4.32。いまの出生率が1.42ですから、すごいですね。

これは若者が戦争から帰ってきて、戦争が終わったことにより人々が安堵したから起こったのでは、と言われています。

その後1950年後半から神武景気を経て高度経済成長期になります。
1960年には池田勇人内閣が「所得倍増計画」を打ち出し、その後10年間かけて経済の成長を計りました。
時代の背景もありますが、国民1人当たりの消費支出は10年で2.3倍に拡大しています。

ひのえうま

1966年は「ひのえうま」と呼ばれる年でした。これは干支の関係上60年に一度巡ってくる年なんですが、この年に生まれた女性は気性が荒いという迷信があり、多くの人が出産を控えました。

(ちなみにこの迷信というのは江戸時代に恋い焦がれた女の子が彼の家に放火した、その女の子がひのえうま年生まれだった、というところから来ています。)

その証拠に、この年の出生率はなんと1.58
前後の年は2.14ぐらいなので、グラフで見てもボコッと凹みがあり、いかに低いかわかりますね。

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第二次ベビーブーム

1971年には第二次ベビーブームが起こります。これは第一次ベビーブームで生まれた子どもたちが大人になり、子どもを産んだ事により起きた現象です。

この2回にわたるブームの間は約25年でした。

当たり前ですが、人は親がいて産まれ育ち、大きくなって自分もまた子どもを産む、このサイクルで世代を作っていきます。親側の母数が多ければ、生まれてくる子ども側の数も増えるのは自然な事ですね。

それから、この時期所得倍増計画により経済的に安定した家庭が増えていたこともベビーブームの発生に関係していると思います。

このあたりから国は人口が増えすぎている、抑制しようという方向に動きます。いまでは信じられないですね、でも当時は資源の不足などを心配していました。

1974年には厚生労働省の諮問機関である人口問題審議会にて「出生抑制により一層の努力を注ぐ」と述べられている他、日本人口会議では「子どもは2人まで」といった趣旨の宣言まで採択されています。

出生率の低下「1.57ショック」

1986年、ちょうどバブルが始まった時期に「男女雇用機会均等法」が施行されました。ここから女性の社会進出が加速していきます。

経済的には順調に伸びていき、出生率も低下の一途をたどっています。

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そして1989年、ついに出生率が1.57を記録します。なんとひのえうまで記録した出生率1.58を下回ってしまいました。

第三次ベビーブームはなぜ起きなかったのか

さすがに出生率が低下しすぎたため、政府は内閣内政審議室に「健やかに子供を生み育てる環境づくりに関する関係省庁連絡会議」を設置します。

実際に、上記の会議から1991年に出された報告書を一部みてみたいと思います。

家庭生活と職業生活の両立という課題に対して、

家事・育児については,固定的な男女の役割意識から,女性に過重の責任がかかっていることから,男性も女性と共に家事・育児に参加できる環境づくりに努める。そのためには,企業等に対し,労働時間の短縮をはじめとして,男性の家庭生活への参加を容易にするフレックスタイム制,在宅勤務等の勤務形態についての配慮を求めていくこととする。また,学校教育や社会教育その他種々の啓発活動を通じて,家庭生活へ男女が共同参加するという意識の形成を図る。

と書かれています。

他にも子育て支援、経済的負担軽減、妊娠出産の相談場所確保などに言及されており、今出されても遜色ない内容になっています。

つまり、1991年の時点で少子化の本質的な課題及びその対策は考えられていたということです。

さらに、1992年の国民生活白書には初めて「少子社会」という言葉が取り上げられ、1994年には「エンゼルプラン」と呼ばれる少子化対策の基本方針が打ち出されます。

こうした対策が功を奏せば、第二次ベビーブームが子どもを産むと予測されていた25年後の1996年、この時期に第三次ベビーブームがあったはずでした。

しかし、第三次ベビーブームは結局起きませんでした。
なぜ第三次ベビーブームは起きなかったのでしょうか。

非正規雇用の拡大

1990年後半、若者をとりまく雇用情勢が激変します。
バブル崩壊から立ち直れず経済状況は悪化、大企業の経営破綻が相次ぎました。その結果企業は正規雇用を控え、多くの若者が賃金の低い非正規雇用での就職を余儀なくされました。

ちょうど第三次ベビーブームを生み出すはずの世代が非正規雇用に苦しんでいたのです。

経済的に自分一人生きるので精一杯の時代に、子どもをもつことはなかなか考えられませんでした。

女性の社会進出

女性の社会進出の動きも影響しました。

1986年に「男女雇用機会均等法」が施行され、1990年後半は女性が積極的に社会に出ようという機運が高まっていた時期でした。

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これを担当していたのは当時の労働省でしたが、そんな中で少子化対策は「女性にまた家庭に戻れというのか」と省内の女性から強く反発を受けました。

並行する高齢化

そしてこの時期、少子化よりも加速度的に進む高齢化の対応に国は追われていました。

厚生労働省は当時「介護保険制度」をいかにスムーズに導入できるかに注力しており、予算もそちらに割かれていました。

実際の数値で比較すると、2000年度の介護保険助成費は約1兆10億円、それに対し新エンゼルプラン(「少子化対策推進基本方針」に基づく重点施策の具体的実施計画)は約8,936億円でした。

まとめ

日本の少子高齢化には大きく3つのことが起因しているとわかりました。

①第三次ベビーブームを起こすはずの世代に非正規雇用が広がった
②女性の社会進出と時期が被っていた
③高齢化による介護等の問題が優先された

これらの課題の多くは解決されないまま、男性育休の取得率が低い事、産後仕事復帰を望むが思うように復帰できない事、育児と介護が同時に降りかかるダブルケア、などなど、現在にも残っています。

これらの課題を解決するために、私はbabytechに取り組んでいきます。(ここに関してはまた別の機会にお話します!)

読んでいただきありがとうございました!


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