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幸せとは、自分にとっての心地よさを叶えてあげること

自分と向き合う時間は、大切な時間のはずなのに意外と確保できないものである。

みんな、さまざまな悩みを抱えて生きている。彼氏とうまくいってないとか、仕事で失敗してしまったとか、親から早く結婚しろって催促されるとか、忙しすぎて恋をしてないとか。
私の歳の子はみんな、どんどん過ぎていく毎日について行くのが必死で、自分の幸せや、自分の生き方を考え直したり、見直したり、振り返ったりする時間がほとんど取れない。

それでもふとした瞬間にひとりになったとき、忙しさにかまけて考えていなかったこととか、考えることを億劫に思っていたことが急に差し迫ってきて、寂しくなったり、焦ったりしてしまう。

二十代なんて、まだ何も考えずにただ遊んでればいいのよ!なんて会社の先輩には言われるけど、実際焦る。そんなこと言う先輩に限って新婚だったり、仕事が軌道に乗っていたりする。文句を言いつつもうまくいっている女友達も、ハッピーエンドなドラマも、鳴らない電話も、社会も仕事も、花粉症も、全部私にストレスを与えている。

結婚できなかったらどうしよう、今の仕事向いてないのかな、転職した方がいいのかな、彼氏についていった方がいいのかな、もしかしてもっといい人あらわれるのかな…いろんなことを考えながら生きているけど、結局幸せって何なのか、どうしたら幸せになれるのか分からない。

でも、幸せのかたちっていうのはきっと、人によって全部違うんだろうと思う。幸せのかたちが人によってどんなに違っても、自分自身が自立していないと誰のことも幸せにはできないし、自分も幸せになれない。そんなこと言ったって、自立って何?って思うのだけど…

私は、自分ひとりでも、自分の好きなことを知っていることなのではないかと思う。自分のことはちゃんと自分で理解してあげなくちゃいけない。

どうしたらわたしはリラックスできるの?
誰になら本音をさらけ出せる?
何を食べたら元気になるの?
どうしたらリラックスできるの?
自分が今本当にしたいことはなんだろう…?

常に自分を見つめて、本当にしたいこと、やりたいことを考えたら、自分が幸せだと思える瞬間が増えていく気がする。そして、これが「自分らしく生きる」ってことなのかな、と思う。

ひとりで居る時間を有意義に過ごすことだけが、幸せに繋がるとは思わない。誰かと出会う努力や、嫌なこと、苦手なことに挑戦することも必要かもしれない。

でも、寂しい切ないと言って、それだけで時間が過ぎるのを待つよりも、自分の好きなことをして、自分ひとりでも幸せだと思えることがあった方が楽しい。そう思える方が笑顔も増えて、笑顔が多い人はキレイだから。女の子は、周りが考えているよりももっとたくさん、いろんなことに刺激を受けて、思い悩んでいるのだけど、それだけじゃなくて、自分の好きなことして生きて、その過程で幸せをちょっとずつ拾っていけばいい。

楽しみ方を知っている人の前には、きっと幸せがあると信じて。

***

2012年の今ごろの季節に書いた文章が出てきた。
今から6年前…わたしは社会人1年目。
書いていることは、今のわたしの考えと一致する。

自分のやりたいことをなによりも優先させてしまうのは、わたしのクセであり悪いところでもある。だけど意外とそれができない人が多いと気付いたのがこの頃。働きたくない場所で働いている友達が多かったし、仕事を辞める人も何人もいた。

わたしは、やりたいことしかやってきていない。図書館で働いてみたかったし、冊子をゼロから考えて作ったり、取材したり、文章を書いて暮らしてみたかった。これまでの6年間と半年で、それがすべて叶っているのは、本当にありがたいことである。

さて、これからわたしはなにがしたいだろう。
ゴロゴロしたり、漫画を読んだり、甘いものを食べたり、そういう好きなことでたくさん充電しながら、きっとまたたくさん文章を書いていくんだろうと思う。


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