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うらやましいと思うならそちら側に行く、けど

 うらやましいと思うならそちら側に行く、というのが高校時代からの私のポリシーで、自分が生きやすくなるために重要なことだと思っている。

 例えば、きれいな人がうらやましければお金(たくさん)と労力を使って努力すればいいし、お料理が上手にできてうらやましいなと思えば手間を惜しまず練習すればいいので、そうしてきた。

 うらやましいと思っていたそちら側にいざ行ってみると、「なんだこんなもんなのか」と思うことばかりで、トゲトゲしていた生活も性格も少しは穏やかになった。何かをうらやましく思う気持ちが解消されると、気持ちが楽になっていく。

 知性や仕事の能力といったものは別だ。ずっと努力し続けるべきで終わりがなく、うらやましいなどと言っていられないから。

 それ以外に唯一、まだうらやましいと思うことがある。それは、海外旅行にばかり行っているかつての同級生のこと。うらやましいのに、旅行に行きたいとは思わないので困っている。

 読書以上の旅はないと思っている節が私にはあり、規格外のインドアなので、ゆっくりするための旅行でないと遠出はしない。
 たぶん、彼女の生まれながらに持つ豊かさや、海外旅行にたくさん行ってしまえる気力がうらやましいのだ。旅行好きの人は「気力とかじゃなく好きで行きたいから行っている」と口を揃えて言うので、本当に驚異的だなと思う。それは気力に他ならない。

 偏った考えだが、旅に出るよりも桐野夏生さんの小説を読んだ方がはるかに深い旅をできる。あの容赦のないディストピア、現実の悪。『グロテスク』『バラカ』『夜また夜の深い夜』『インドラネット』など、読後「この世界を知らずに生きていたかもしれないなんて」と、桐野さんを読んでいない世界線の自分を思って半ば絶望的な心持ちになる。

 桐野さんの小説に出会わなければ、私は旅をしていたのかもしれない。
 その同級生は、桐野さんを読んだことがあっても旅行をするだろうけど。

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