精神病の人間が発する言葉の重さとは?

私は普段、他人と会話しない。

夫とは会話するが、仕事ではチャットで事足りている。
もしかしたら、このような状態は『社会から隔絶されている』と言えるのかもしれない。

私はそれで良いと思っていたし、精神状態が落ち着いているので問題ないのだろう。
だが、GWで義実家ファミリーと交流したことをきっかけに、『他人と話すこと』にモヤモヤとした想いが浮かんできた。

言葉には責任が伴う

『モヤモヤ』の正体。
それは、『言葉には責任が伴っている』という実感だ。

そもそも、なぜ人は『話す』のか?

なぜ人は話すのか。
答えは簡単だ。意思疎通をするためである。

人間の声を発する機能は、複雑な言語を操るために進化してきたし、脳は言語で思考するために発達してきた。

だから、人間は意思疎通をするための他者がいるという前提で進化してきたことになる。

意思疎通をしたくない人間だっているんだぞ

意思疎通は人間の大前提、ということはわかった。
でも、他者との意思疎通を拒む…というか嫌がる人間だっているのではないか?

答えは、いる。
その理由は、私というクソコミュ障人間の存在だ。

いや、本音では私だってみんなと仲良しこよししたい。
飲み会で楽しく飲みたいし、地域のサークル的なものやインタビューの仕事もしてみたい。

でも、できない。
他者が怖いからだ。

他者と会話して共通の理解を深めていくのが「会話」だと思うが、それが恐ろしいのである。

なぜか。
私は、精神病だからだ。

精神病の人間の言葉は重い

精神病を患っている、と聞いて、どんなイメージをするだろうか。
頭がおかしい?何をしでかすかわからない?暗い過去を持っている?
どれにせよ、暗く重いイメージではないだろうか。
(少なくとも明るいイメージではないだろう)

人は、明るい人を好むものだ。
暗い人の周りには集まらないし、なんなら排斥しようとする場合もある。

私は、それが怖い。
だから無口になってしまったのだ。


でも、身内相手にはよく喋る。
そんなもんである。

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