見出し画像

【本】落合陽一「忘れる読書」2023.1.2


忘れる読書

書評、というほどのものではない。読書感想文にも達していないが、読んだ本の備忘録。
「忘れる読書」は落合陽一氏が過去に(今でも繰り返し)読んだ本27冊を紹介しつつ、どのような視点で読んでいるのか、どう向き合っているのかを書いた本。
内容がものすごく濃いため、簡単な要約ができるものではない。
なので、印象に残った部分を抜き書きし、なぜ印象に残ったのかを書いてみる。
印象に残った部分は当然複数カ所(何なら全部)あるため、後でどんどん書き足すかもです。

「思考のフレームを増やす読書」


落合氏は少し前に友人に誘われて、フェラーリのパーティに出席した。10分間だけの短い間だったが、その時展示されていた特別仕様のフェラーリのフォルムを、後日何一つ思い出せなかった。
それについて、落合氏は、実物を見たのに、形を何一つおぼえていないというのは致命的。これは、その名車じたいに自分が疎いからビジュアルを通して物語が見えてこない、つまり「自分の中に問いがなかったからこそ、見たものの良さがわからないし、記憶に残らなかった」と言って猛省します。
遊びこそ、「コンテクスト(文脈)」を理解している方がいいし、文脈をあらかじめ意識してから遊ぶ方がはるかに楽しい。いくつの「問い」を持てるかどうかが、創造性を左右する、とあります。

続けて、そうした「問い」は、「自分はこれが好きだ!」という「嗜好」や、いくつもの文脈をつなぐ思考フレーム、つまり「独自の考え」といったものからしか生まれない。
そして、今後どんな素養を培えば「持続可能な教養」を備えることができるか、と問われれば、「自分で物事をフレーミングできる力」だと答える、と。
この力を増やすのに良い作用を及ぼすのが「読書」だと。

ここでやっと「読書の効用」が出てきましたね。

ほぼ、引用になってしまいましたが、私は仕事柄取材を良くするので、取材対象(ものでも、人でも、何でも)の予習をし、質問をいくつも考えます。
独自の考えまではなかなか到達できないですが、やっぱり、自分ならではのものごとの見方、考え方を取材当日にいろいろと質問して文章を組み立てます。
だから、落合氏が書いていることはなんとなく肌感としてわかるなぁ、と思いました。

「分からない」を「分からないままにしない」

それで思い出したのが、先日、うちが運営をお手伝いしている県のイベントで講師をしていただいた、アル・ケッチァーノの奥田シェフ。
山形県庄内の食にこだわり、ガストロノミーを地で行っているすごい方です。講演前に食事をご一緒する中で、いろんなお話をされていたのですが(例えば、なんでサザンの曲に人はキュンとするのか、ミスチルの桜井さんの人気はどこから来るのか、家康は何で天下を取れたのかetc.、もちろん、庄内の食がなぜ豊なのかについても)、話を聞いていて思ったのが、奥田シェフは、「分からない」を「分からないままにしない」。
多くの人は、サザンの曲を聞いて「やっぱりいいよね~」とか、「桜井さんの声がなんとなく好き」で終わってしまうところを、奥田シェフは自分なりの分析と解析をして、「好き」の正体を言語化する。
庄内の食に関しても、海で採れるこの魚がなぜおいしいか、を流れる川や海底の地形などの気候風土、地質から一つ一つ丁寧に紐解いて言語化、体系化している。あれは、すごいな~、と思いました。

その後。この本を読み、奥田さんのやり方、これが「自分で物事をフレーミングできる力」なんだなぁ、と思った次第です。

幾層にもまたがる知識の地層から

もう一人、こうした思考をされていたんだなぁ、と思い出されるのが、作家の丸谷才一氏。大学でイギリス文学を専攻し、英語教師などを経て作家になるのですが、この方のエッセイが好きでいろいろ読みました。 
その中で、思ってもみない者同士をくっつける(具体例が今はパッと浮かばないんだけど)のがとても上手で、読んでいてこちらがハッとすることがしばしばでした。
これも、幾層にもまたがる知識の地層から、自分なりのフレームを探し当てているんだ、と思った次第。

思考のフレームを増やす、ということから奇しくも庄内出身の著名人お二人を連想しました。これも、面白い偶然。

読書で知識を増やして、それがうまいことハレーションを起こして、新しい発見や価値を創造することができる、そんな風になりたいし、そうなるには「読書」は欠かせない手段なのでしょうね。頑張るぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?