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【介護事例】EP2:認知症ぽくないF子さん92歳

出会えた素敵な方々とのエピソード集

私が人生で初めて出会った認知症ありのF子さん

【有料老人ホームで出会ったF子さん】

仮名・F子さん
年齢・92歳 (出会った当時)
要介護・3
既往歴・アルツハイマー型認知症
ADL・手引きにて歩行可
  ・会話はできるが不明瞭なことが多い。
排泄・日中 トイレ介助リハパン
  ・夜間 テープ式オムツ
嚥下・通常食→ギザミ食
  ・日中傾眠が強くなり、安全の為ギザミ食に
家族・娘2人。
  ・娘夫婦の姑さんも同じホームにいる。
環境・ベッド横に離床センサー(マット)あり。

F子さんプロフィール

F子さんは10室ある2階フロアのお部屋。
(全個室)
認知症の方、介助が必要な方のフロアである。

介護未経験で入社した私。
最初の3ヶ月間は2階のフロアオンリーのシフト、「日勤A」というシフトに入っていた。
この2階フロアのみ、「日勤C」というシフトと日中は常に2人体制。
そのため、大抵未経験者はこのシフトから入る。
つまり3ヶ月間、F子さんに毎日会うことになる。

このかわいいF子さん。
認知症ではあるんだけど、良い意味で認知症ではないのでは?と思えるようなこともあった。
「本当は認知症ではない」と噂されたほど。

普段は会話のキャッチボールはできないことが多い。
しかしふとした瞬間、我に戻ったかのように沢山話しかけて来たりする。
その話は何の話しているのか、正直全く理解できない。
とりあえず傾聴して頷く。

F子さんは認知症だが、周りを観察する能力が長けていて、スタッフの特性を見抜いていた。

「はいのはい」

F子さん、短い会話ならできる時がある。
正確に言えば、私が一方的に話しかけた言葉に短く反応してくれる1ターンのみの対応。
例えば、

私「天気いいですね〜」
F「そうね〜」(ニコニコ☺️)

それ以上は何も言ってこないし、私が話を続けても無言だったりする。
言葉はそれ以上発しないけど、表情はニコニコでその笑顔がたまらなくかわいい。
この笑顔と声の綺麗さに、介護職からの人気が高く、アイドル的存在だった。

そして、F子さんの口癖が2つ。
1つ目は、

「はいのはい」

例えば、
私「トイレ行きませんか?」
F「はいのはい」

何度も言うが、F子さんの声が綺麗な高めの声。
そんな音色で発する「はいのはい」が素敵なのである。

そして、2つ目は、

「はいのはーいのおはいのはい」

「はいのはい」の進化ver.である笑

手引き歩行で歩く時は、
「はいのはーいのおはいのはい」と笑顔でリズミカルに口ずさんでいる。

本当に歩いているだけで楽しいし、ワクワクさせてくれるおまじないみたいな言葉。

普段発言少なめのF子さんだが、表情やこのリズミカルな言葉、滲み出る人柄で他のご入居者様だけでなく、私達介護職を自然と笑顔にしている。

「将来認知症になんか絶対なりたくない」
「認知症になったらどうしよう」
って正直思っていた。
そりゃなりたくてなる人はいないのに。
介護初任者研修で認知症を学んだつもりだった。

でもF子さんと出会ってから、認知症に対するイメージがガラッと変わった。
認知症になっても、人柄は必ず滲み出る。

私の事、把握してくれてるの?


F子さん。認知症。
私のことを理解しているのかもわからない。
言葉も「はいのはい」以外、基本ほとんどない。
これは私だけでなく、他のスタッフやご家族様が話しかけても同じ反応。

そんなF子さん、
私がめげそうになった時に、サプライズ的な事をしてくれる。

1つ目。
毎日同じシフトだから同じ時間に出勤し、同じ時間に去っていく私。
ある日、本当に忙しく、夕方には私は疲れ切っていた。
F子さん、話しかけても反応はないがいつも笑顔。
そんな笑顔を見て、思わず私は本音を言ってしまったことがある。

私「F子さん、今日私ね、超絶忙しくて少し疲れちゃったんです。テヘヘ😆」
と笑顔で話しかけた。

F子さん、反応はなしだが笑顔☺️

夜勤さんへバトンタッチし、仕事を終えた私は2階フロアから1階の事務所に戻った。
しかし、仕事のやり残しに気付き、2階フロアに再び戻った。
その時にF子さんが、驚いた顔をしながら、

「どうしたの?どうしたの?あなたはもういいのよ。あなたはもういいの。」

と言って、F子さんの白いふわふわの両手で私の両手をニギニギしてきた。

普段は認知症のため、言葉数が少ないF子さん。
私がずっと同じシフトだからこそなのか、時間さえも実は認識しているのか。
いや、私が夕方に本音を言ってしまったことに気を遣ってくださっているのか。
全ては謎だが、疲れ切っていた私の心はジーンと熱くなった。

そして2つ目。
2階の方のほとんどが、食堂ではなく2階共有スペースで集まり食事を食べる。

F子さんは食事は自力摂取ができるのだが、たまに数口を介助してあげたり、声掛けが必要だったり、お皿の位置を変えてあげたりという、見守りは必要だった。

F子さんの見守りをしつつ、私は他の方の食事介助をしている毎日。

ある日、私はお昼休憩が全くとれず、内心はイライラしながら、午後を迎えた日がある。

「こんなに忙しく休憩もとれないなんて、この仕事続けられるのかな😔」
心ではこのブラック環境に最高にムカついていたが、それを下隠し表情は穏やかに介助に向かった。
もう初めて辞めてやろうかと思うくらい、本気でムカつきまくっていた。

そして午後1の仕事がF子さんのトイレ介助。
F子さんは居室のトイレまで手引き歩行し、ズボンとリハパンをおろしてあげて、声をかけて座って頂く。
このF子さんは、少し座って時間が経つと排尿するタイプ。
そのため、待っていた時のことだった。

急にF子さんが便座に座っている状態で、立っている私のことを笑顔で見上げ、

「大丈夫よ。あなたは大丈夫。あなたはいつも他の人にお食事を優しくあげているじゃない☺️だから大丈夫」

この前後、私はF子さんに何も話していない。
介助に必要な声掛けしかしていない。

毎日、F子さんの食事を見守りしながら、隣で食事介助をしている私の仕事ぶりを見てくれているってことだ。

しかも、私はこの時笑顔でF子さんのトイレ介助に入ったつもりだったが、介護職未経験疲れ切った私の心を見透かされている気がした。

話の流れからしたら、介護を知らない方からしてみたら。
いきなりF子さんが発した言葉の意味わからないかもしれない。
何にも会話が生まれていないシーンとした状況で、「この人は何を大丈夫と言っているの?」と思うかもしれない。

でもこのF子さんは、私の心の中を読み取り、元気付けてくれたと私は思っている。

「この仕事、辞めないで続けるのよ。」

そう言われている気がした。

最後まで残る感覚、聴覚。本当だった。

私が入社して1年後、F子さんは脱水症状で入院し退院してきた。

病院でもうできることが無く、回復も望めないとのこと。
ご家族様は、
「最期は慣れ親しんだホームで迎えさせてあげたい」と。

そう、もうターミナル。
目を開けることはできるけど、意思表示も難しくなっている。
「はいのはい」も、素敵な声ももう出ない。

食事、水分は全ストップ。
もうそんな事ができる嚥下状態ではない。
つまりは、飲まず食わずのため、あと10日前後だろうと言われた。

日に日に目を開ける回数も減り、ついに瞼は閉じたままになった。

「もう本当に死が近い。」
覚悟し、自分の夜勤を迎えた。

夜勤は巡視時間があり、その時間ごとに排泄介助に入ることになっていた。
でも気がかりで、巡視は多めにしていた。

意思表示もできない瞼を閉じたままのF子さん。
私がやってあげられることは、丁寧に痛みなく排泄介助、口腔介助をすること。
いつもと変わらずに反応はなくとも、話しかけながら介助した。

そして、ふと思い出した。
F子さん、会話は不明瞭な事が多かったが、
よく歌っていた曲がある。
「🎵皇太子さま、お生まれになった」という歌だ。

「この曲を流しながら、介助したい」
そう思ったが、音源がない、、

普段、ご入居者様の部屋にスマホを持ち込むことは禁止されている。

私の思いをホーム長に相談し、ご家族様に許可をとったうえで、介助の時だけ持ち込ませて頂いた。

自分のスマホでその音楽を探し、流しながらオムツ交換をし始めた時。

数日間瞼をとじたままだった、目が開いた👀

「F子さん、これ聞こえますか?」
「よく口ずさんいた歌。いつも綺麗な歌声で」

小さく頷いて、すぐに瞼を閉じられた。
夜勤中、反応があったのはこの時だけ。
この後はこの数日間と変わらず、目を閉じて呼吸されているだけだった。

そして私の夜勤明けの日。
F子さんはご逝去された。

「耳の感覚は最後まである」と聞く。

目を閉じていても、反応がなくても、声は絶対届いている。
だからこそ、感謝の言葉だったり、伝えたいことは最後の最後まで伝えるべきだなと思った。

介護は、1対1の空間がある。
誰にも見られていないから、適当に介助している人も正直存在する。

でも、きちんと寄り添う介護をしていたら、認知症の方だって感じ取ってくださることを教えてくれた気がする。










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