見出し画像

誰だって報われていいし報われて欲しい

戸田真琴さんのカンヌへ挑むらしい短編映画「さじを投げる」のクラファンが見事達成していた。
よかった、という気持ちより「本当に良かったのか」という気持ちだった。

というのも、モーションギャラリー(映画製作のクラファンサイト)でクラファンを募集している映画のたまご達は
「この作品はこういうテーマで制作します!」「こういうストーリーです!」という「映画の内容」のプレゼンの熱意に溢れていて
それなのに投資が少ないと「報われて欲しいなぁ」と思うものもあった。
そんな中、戸田さんは前面に「映画監督:戸田真琴」を打ち出していて
公開ギリギリまで内容がわからなかった「スラムダンク」の売り出し方みたいだった。
これは決して誉め言葉ではない。

リターンも「まこりん」関連のリターンが並んでいて
(唯一学生時代の作品集は欲しいと思った)
作品と監督の比重が崩れていた。
「まこりん」が8~9割を占めているような。

この状態を見て、私は最初の「永遠が通り過ぎていく」のクラファン上映会の話を思い出した。
「まこりんが映画を撮る」から投資した「作品を見ようとしない」ファンの心無い言葉たちの事を。
これはまた同じことになるんじゃないだろうか。
勿論、永遠はその後色々な人たちに認められる作品になったけれど
「まこりんの完成披露パーティーに行ってまこりんが見たい」
「まこりんがカンヌに行くならついて行きたい」
そういう理由で投資をした人が多いのでは無いのだろうか。
純粋に映画が観たいなら、お礼状にチェキが付いてなくてもいいはずだ。
トートバッグにサインが無くてもいいはずだ。

私は同人誌を書いていて、辛うじてそれが売れてくれているけれど
「私の話が好き」と言ってくれている人よりも
「このカップリングが好きだから買う」人が多いことはわかっている。
それでも私はそんな買い手さんと同じ気持ちだから、少しでも同じ気持ちでみんなにも本を出して欲しいなと願って本を作っている。
だって物を作るのは楽しいから。
解ってもらえるのは嬉しいから。
クリエイターはみんなそんな気持ちだと思う。
だから「さじを投げる」がなるべく多くの人に響く作品になればいいと思う。
まこりんがまた傷つかないように、なるべく報われて欲しいと思う。
少なくとも「観たけど意味が解らなかった」と言う人が、減ってくれればいいなと願う。
「戸田真琴」というネームバリューが無くても、私はあなたの作品が大好きだから。

あなたからのサポートは私が小さな幸せを作るために使わせて頂きます。