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割れた金魚鉢

AV女優でコラムニストの戸田真琴さんの初監督作品の上映会×トークイベントに行ってきました。
「永遠が通り過ぎていく」というタイトルに込められた3つの短編。
「マリアとアリア」を見て、ふと5年くらい前の、あの日を思い出しました。

あれは最後の家族旅行から帰ってきた日。
いきなり母が泣き出し、「もう(お父さんと)一緒に居たくない」と言った日。
私は何かがひび割れる音を聞いて、お母さんを抱きしめて
「そんな事言わないでよ」
と言った。
するといきなり母は人が変わったような、一度も見た事が無い恐ろしい顔と恐ろしい声で
「嫌だ!」
と私を突き飛ばしたのです。

その時、私はとても大事にしていた金魚鉢が音を立てて割れたような気がして
瞬間的に「私は母に捨てられるのだ」と思いました。
「壊れちゃえばいいんだ」
台所で何かが何かに刺さる音。
母の恐ろしい呟き。
そうして、私の父と母は離婚しました。

私は母に3回捨てられました。
1回目は3歳の頃。
妹が出来た日。
嬉しかったはずの日。
なのに両親は私を祖父母の家に迎えに来てくれなくて
ようやく待ち望んだその時、妹を大事そうに抱えた親を見て
「この子が来たから、私は要らなくなった」
と感じました。
2回目は前述の母に拒絶された日。
そして3回目は、書面で母の名字が旧姓ではなく、
真新しい名字に書き換えられていたのを知った日です。

母は再婚していました。

私は震える手で「再婚したの?」と文字を打ちました。
すると、スマホが着信を告げました。
「いつか言おうと思ってた」
母はそう言いました。
私は泣きながら
「こんな風に知りたくなんか無かったよ!!」
と叫ぶように言いました。
その時、私たちは鍋を囲んでいて
その後の食事の味を覚えていません。
ただ、鍋の湯気が酷く無機質に立ち上っていました。

私は一人に慣れている、と思っています。
弟も一人に慣れざるを得なかった、というか
全てを拒絶して、孤独を選びました。
でも、私も弟もきっと本当の孤独を知らなくて
酷く愛情に渇いていて、でもそれを得られなくて
一人に慣れるふりをしているのだと思います。
だけど、人は誰でも一人だから
私は弟を包むことはきっと出来ないし
弟は人を包む術を知らないまま生きるのかもしれないし
出来れば私は、弟を優しい誰かが包んでくれる事を望んでいます。
私はこうして文章にして吐き出す事で、渇きを埋めて
出来ればこのまま、一人で上手く生きられればそれで良いのです。
それはきっと、捨てられてしまう絶望を知っているから。
悪く言えば「その日暮らし」の生活を営んで
たまにキラキラしたものを見て、
それを生きる糧にして、生きられればいいと思っています。

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