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読みたい本の地層|2021年4月29日の日記

日記を書く。前回分(4月15日まで)をあげてから2週間ちかくあいてしまった。毎日書こうと思ってはいるし、書きたいことはたくさんあるんだよ。ただ、それをはるかに上まわるほど、だるくて。だる~てだる~て。はやく脳から直接出力できるようになってくれ。

4月後半もたのしいことがたくさんあった。くわしい時系列ではもう拾いきれないし、べつに生活のぜんぶをつまびらかにする気もないのでてきとうにつまんでいきます。とりあえずきょうはきょうのことを書く。

そういえば音声放送でヤスミノさんがラジオを編集(カット)することを「つまむ」といっていて、そのたびに業界っぺえなあ!と思っている。


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更新直後に匿名ラジオをきいた。サムネ、なに?

祝前日の解放感も手伝ってかめちゃくちゃ笑ってしまった。おバカ最高~。「浅~いアイデア」の回(#99)とかもだいすき。

冒頭、恐山の「今年それで流行ろうとしてる?」という返しがおもしろかった。ARuFaの大声への切りかえし、もしわたしだったらいつも「大声の気分なの?」のバリエーションになってしまう気がするから、べつの角度からくるとおもしれ~となる。

ARuFaの「俺のほうができる」、結婚式の余興と同じテンションで言ってて笑う。自分の強みを理解しているのいいよな~

さいきんの凡ミスのはなし(↓)、恐山が話しはじめた序盤も序盤でARuFaが完全に理解していたの最高だった。こういうARuFaの性格とコンビの関係性が垣間見える瞬間にオッとなる。

ベネッセ的思考のARuFa、わたしはそのことばを素朴に受けとって「やっぱりいいひとだな~」と思った。こういう発言をうがってみたり皮肉ったりしてもいいことないぜ。わたしは人の善性をわりと信じているんだということがさいきんわかってきた。

「宇宙、スケスケ」の話、たしかに子どもの発見ではあるんだけど、あらためて考えることはふだんあまりないからすなおに感嘆した。見あげたこの空がそのまま宇宙であることが、知識ではなく実感として目にうつるのはすばらしい感性だ。なんでこれが「宇宙なんもNASAすぎ」に落ちつくんだ。

今回はいつもよりカット(切り替え)が多い気がして、若干とりとめなくなるほどいろいろ話したのかな~と思うとそれもよかった。



寝て起きて朝。雨やだね~。祝日で仕事はおやすみ。予定を消化する。


棒ネコ展で買ったTシャツを着た!

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フーちゃんがさりげなくプンプンしている。かわいいね。ふつうに白Tとして着心地がよくて気に入った。


7か月ぶりに脱毛サロンにいった。さいきんでは脱毛のことは広告がうるさいとよく取りざたされるし、どこに毛があろうがなかろうがどうでもいいだろと思うのもたしかなのだが、まあ、通っている。

お店のかたも仕事でやっていることなのでこちらもべつに恥ずかしいとかはないんだけど、自分だけが全裸であることにいつもちょっとウケてしまう。施術中に地震や事件が起きたらいやだよな……とも毎回思う。今回も担当のかたの気が違ったりせずぶじに終わったのでよかったです。


お昼に「季節ご飯の2段弁当」を買って食べた。たけのこ!

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コンビニでてきとうにすませようと思ったが気がむいたので買ってみた。ふだん菓子パンばかり食べているので、こういうお弁当を食べることはめったにない。自分で買ったのはじめてかも……? お弁当はたいていご飯が多すぎるので結果的に虚無感が勝ってしまうことがほとんどだが、これはサイズがちいさめだったしたけのこがおいしかったのでとても満足した。


予告されていた恐山の書評連載、第1回が出たので読んだ。

リードの「ライブ感溢れる連載をお楽しみください」という一文をみて、スケジュール感のことを暗に指している……?と一瞬思ったが、取りあげる作品やらのことよね。ね?

呉勝浩『スワン』はタイトルも作家さんも存じあげなかったから、それを知れただけでも有意義~と思った。ひとがおすすめする本ぜんぶ読みたい。冒頭、すごい奇をてらった作品だな!とおどろいていたら恐山の現実だったのでもっとおどろいた。伊坂幸太郎みたいな世界観だ(「日常からちょっとはずれた日常」のフォルダに伊坂幸太郎しか入っていない者の表現)。

書評、というか「読書感想文」?は、いつもウロマガで読んでいるよりもすこしよそゆきの文章で、でも恐山の視座が感じられてよかった。作品もミステリーとしておもしろそう! 読みたい本リストに追加する。読みたい本リストばかりが充実していく。時間をつくらねば。


ひさしぶりにおおきな本屋さんに立ち寄った。読みたいと思っていた本が目のまえに実物としてあり、実物として目のまえにあることで読みたくなった本がある。人の歴史がつづくかぎり本は増えつづけ、わたしがそのすべてを読むことはないという事実は希望でも絶望でもあると、月並みだけどいつも思う。

積読がずっっっっっと100冊を割らなくて、さすがにと思ってしばらく買いひかえることにしたのが2018年10月末のことだったが、けっきょくそのときまでに買った本はほとんどがいまも未読のままだ。買ってあるからといって、読む気分でないときには読めない。だからもう解禁しようかな~。図書館で本を借りてきたりして、なかば破ってはいるのだけど。

積読本をながめていると、その本を買ったときの気分がおぼろげに思いだされる。地層のようなもので、このあたりは古典を読もうとしている(『ゴリオ爺さん』『罪と罰』『源氏物語』)、このころは話題書も読まねばと思っている(『小さいおうち』『白夜行』)、これはマジで動機が謎だけど衝動的に買った(岩波文庫『人権宣言集』『世界憲法集』)、実家からもらってきたお父さんのやつ(藤沢周平、大沢在昌)……などなど、いろんな状況が積み重なっている。買わないよりは読むだろう(?)と買ったサルトルも、もう3年くらい手にとられることなく出番を待ったままだ。

基本的に本に優劣はなく、ただ自分のなかでの優先順位があるだけなのだから、本棚に読みたい本がなければそこから選ばなくてもいいんだよな。いつか読むべきときがくるだろうし、いまはべつの本がその順番をむかえているのだからそれにしたがえばいい。


読んでいる時間よりも本屋さんにいる時間のほうが長いのもばかばかしいことなので、おとなしく読みかけの(そして読みたい)本、永井均『〈子ども〉のための哲学』を読みすすめる。冬のはじめにすこし読んだもののしばらくほうっていたので最初から。これは電子で買った本でiPhoneで読んでいるのだけど、こういうときにぱらぱらと復習できないのが電子書籍のかなり大きなデメリットだ。

読みながらちょっとべつのことを考えたりしていたのでtwitterにすこしだけメモした。

GWのうちにひとまず読みとおしたいと思うので、noteにはあとで書く。


日記を書く。

書きはじめるとたのしいはたのしいけど、やっぱりだるいな~~~。でもキーボードをうつのは好き。キーボードをたたくあいだに考えが整理されていく過程が好きなので音声入力はむかない気がするけど、ためしてみようかな。


あしたは平日で仕事だけど、そのあとは5連休だ。予定はすこしだけあるがかなりガラガラなので、気がかりなことを一掃して身軽になりたい。たまっている日記(たまっている日記?)をぜんぶ書く。本と漫画を読む。家で映画も観る。「あした」がたのしみな生活をしていることをほんとうに幸せに思う。


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