見出し画像

“大丈夫”になりたい|2021年3月15日の日記

写真がまったくないので2年前のミモザ。今年は買いそびれちゃったな。ミモザがあると部屋がぱっと明るくなる。かわいくて好きなお花。いまからでも買ってこようか。


・ ・ ・


始業連絡してから起きてラジオ体操して始業。お昼やすみにオモコロラジオ。いつもの月曜日だ。


ありスパ、キムチ1位!

冒頭、まだ酵素ファスティングからの流れで科学の話をしていて、おすしさんの素粒子以来の真摯な3部作になっていた。ほんとうにありスパリスナーのリテラシーの高さはすごいし、それをまっすぐ伝えようとするのもすばらしい。おすしさんが「偽薬」を「にせやく」といっていて、また突っこまれるのでは……とちょっと案じてしまった。まあ「化学(ばけがく)」みたいなものともいえるかな。原宿さんの「俺高卒なんだよ」でふふっとなった。

アウトプットの質という考えはもちろん大事なことだと思うけど、ぜんぶがぜんぶそれを気にした発信になっちゃうとたしかに窮屈だな。原宿さんのいうとおり、今回は健康にかかわることだったから反響が大きかったというのはあると思うので、これからも「原宿がまたなんか言ってるよ」「おすしさんそれはさ、」とおふたりのあいだでのある程度の自浄作用がはたらいていればいいんじゃないかとわたしは思う。

ひさしぶりの対面収録ということで、タイトルコールがそろっているのをきいてほんとうに満面の笑みになってしまった。こんなにうれしいとはね。遠隔のときのおすしさんの「…っちゃあり……スパーーーク!」というあわせかたも好きだけど、今回のタイトルコールはよかったな~。永久保存版だ。

キムチ1位。おつけもの慶ライフプレミアムのキムチを食べてみて、格安PBとの味のちがいがいまいちわからなかった人間としてきく。おすしさんの「彼女をないがしろにするやつ」というたとえで笑った。おすしさんはなんでこうちょうどよく青春の色をもちつづけていられるんだろう。

金龍キムチにはまだお目にかかれていない。川崎あたりで買えるらしいけど、遠くはないが行動範囲とかぶってないんだよな。モランボン、このまえ名前が出たときにも「焼肉の?」ってすぐ伝わったかんじだったけど、わたしははじめてきいた。生姜入りのキムチ気になる! 見かけたら買ってみよう。

あ、モランボンってこの「ジャン」のとこか。みくのしんが使ってるやつじゃなかったっけ? うろ覚えだからちがうかも。




午後に仕事をなんとかして郵便局でもろもろの手続きをしてきた。もっとはやく着手すべきことだったのだけど、失念に次ぐ失念、先送りに次ぐ先送りによって数か月が経ってしまっていた。書類の考えうるかぎりすべての項目を書き間違えて、窓口のお姉さんを苦笑いさせてしまった。

それから午後はいまいち仕事をする気になれなくて『ゴールデンカムイ』を読んだりした。そんなことをしている場合ではないときこそ漫画はおもしろいのである。




ひとまず仕事を終えてごはんを食べながら、恐山のプロデュースしたアイドルたちのライブをみた。

BGMで流すくらいのつもりだったのに、要所要所でしっかり感動してしまって、そんな自分におどろいた。こんなに大きなステージで……ひとりひとりが最高のパフォーマンスをしてさ……いろんな表情をみせてくれてさ……。はじめてちゃんと聴く曲もあったけど、ぜんぶいい曲だな~! どのユニット、ソロもよかったし、恐山Pのセレクトを感じて味わい深かった。アンコールの最後に全員がでてきてくれたときの画面の多幸感がすごくて、真さんの「愛してるぜ!」でほんとうにキャー!♡ となってしまった。まだまだ見どころがたくさんある気がする。またみよう。




みくのしんのブロス記事が出た!

今回の記事めっちゃ好きだな~! ライターさんが書きたくて書いている、熱のある記事が「いい記事」だとするならこれはまさにそうでしょ。最初からずっとうれしそうでこっちまでうれしくなってしまった。おまけのおバカすぎるのも最高。月曜日にこんなたのしい気持ちを本当にありがとう。




昼間にやるべきだった仕事のつづきをする。1時前に一段落して日記を書く。きのう「毎日書く」といってみたものの、これ、やっぱりきびしくない……? もう3時なんですが……


・ ・ ・


ところでわたしは日記のなかでARuFa、恐山、みくのしんだけが敬称略表記なのだけど、本人たちの目にもふれるようなところ(インターネット)で書いていてそれっていいのだろうかとふと思った。そもそもこのnoteをはじめたときにtwitterの延長として運用することは決めていたけど、いずれにせよ呼びすてなのはどうなのと思う人もいるのかもしれないと急に思いいたったのだ。

オモコロ界隈のなかで最初に個人を認識したのはARuFaで、そのときにはさん付けで呼ぶという発想そのものがなかったように思う、それはなんでだ? もともと「(TLに流れてくる)ARuFaって人」だったからかな。それから数年経って匿名ラジオをききはじめて、ARuFaが呼んでいるその音のとおり恐山は恐山というようになった。たぶん、ARuFaがそう呼ぶなら「ビンちゃん」といっていた可能性すらあると思う。

ふたりとも、これから人生が接することになるとは思えないので、そういう意味では芸能人やスポーツ選手を呼びすてやフルネームで呼ぶのと同じだ。石原さとみや綾瀬はるか、大谷翔平やダルビッシュ有を敬称を略して表記しているからといって敬意を欠いているとは感じないんだよな。もちろん本人たちの目に直接ふれる場面では敬称をつけるのも同じ。

みくのしんは、みくのしんさんでもいいんだけど、長い、のと、ほかのひとよりもさらに親しみを感じているからというのがあるかもしれない。長いというのはけっこう重要で、わたしは文章を脳内で音にして読んでいるので(そうじゃないタイプのひともいるらしい)、みくのしんの記事のよさを書きたいときにいちいちさん付けしていたらリズムが悪くなっていいたいことがいえなくなる。あともうひとつは、かまみくでかまどさんがそう呼ぶから。

あとのひとたちは匿名ラジオにはまったあとに「オモコロの方々」として順に覚えていったかんじなので年長年少にかかわらず違和感なくさん付けしている。「みくのしん」と「のぎへっぺんさん」とかぜったいおかしいんだけど、ほとんど順番の問題だからしかたない、と自分では思う。し、ほとんどの人はもう「さん付け」の距離感でしかみることができないと思うと身勝手なさみしさすらある。

ここはインターネットだということはもちろんわかっているけど、いまの自分の感覚となるべく離れないことばで書きたいから、今後も気にしないでいきたい、気にしないでいくぞ、というためにわざわざこのくだりを書いた。かなり冗長なのであとで消すかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?