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豊かさの尺度。


noteのお題、「#ゆたかさって何だろう」を見つけて、私なりの豊かさを考えてみた。

ぱっと思い浮かんだのは、農村の暮らしだった。農村の魅力については、前にnoteで何回か書いているんだけど、私は農村に行って、豊かさの尺度をがらっと変えてもらったから、やっぱり頭に浮かぶのは農村だ。

じゃあ、なにかどう豊かなのか。私の言葉だけでは伝えきれないだろうから、別の人の言葉を借りつつ、伝えていきたい。

私はあまり新書って読まないんだけど、藻谷浩介さんの「里山資本主義」は、私が今まで感じたことが書かれていて、これだ!って思って読んだ記憶がある。

その冒頭で、経済の常識に翻弄されている人としてこんな人が登場する。

もっと稼がなきゃ、もっと高い評価を得なきゃと猛烈に働いている。必然、帰って寝るだけの生活。ご飯を作ったりしている暇などない。だから全部外で買ってくる。洗濯もできず、靴下などはしょっちゅうコンビニエンスストアで新品を買っている。

これを筆者は、「実はそれほど豊かな暮らしを送ってない」という。給料は高いかもしれないが、その分出費も多く、手元にお金はそれほど残らない。そして何より、この彼は全然毎日を楽しく過ごせていないように見える。

次に、突然リストラされた彼が失意のまま田舎に帰り、給料が10分の1の地元のジャム屋さんで働き始めた生活が描かれる。

冷蔵庫や洗濯機が普通に使うが、おじさんたちに教えてもらい、石油缶を改造したエコストーブなるものを作り、そこに釜や鍋を載せて食事の支度をすることにした。(中略)近所のおばさんが持て余している畑を借り受け、野菜作りも始めた。何しろ初めてまだそんなに取れないが、困っていない。おばさんが野菜を分けてくれるのだ。

給料は減ったが、出費も減ったので、生活は苦しくない。それだけでなく、食べるものを自分で作るようになり、それが劇的においしい。何より、前より話す人が増えて、人間らしい楽しい暮らしになったと書かれている。

そう、豊かさってお金や評価だけじゃなくて、もっと自分の身の回りにあるものなんじゃないかと私は思う。

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例えば、食べるものを自分で作れること。私たちは都会で暮らしているとスーパーで買ってきた食べ物を食べている。でも、もし急に今みたいに出かけられる場所が制限されてしまったら。みんな焦って、レジの行列に並ぶだろう。

そんな時、自分で少しでも野菜や米を育てていれば。何日か分ぐらいは何とかなるかもしれない。食べて生きていけることができる。そういう生きることへの安心感があるというのは、豊かなことじゃないだろうか。

同じように、例えば震災とかで電気やガス、水道が止まってしまったとき。電気はなくても水道が湧水だったり、灯油や薪で動くストーブがあれば、少し安心した暮らしができるかもしれない。

そして、いざというときに助け合える仲間がいること。隣が誰かも分からない場所じゃなくて、近所に顔なじみがいて、時々立ち話をしたりできる関係があること。ちゃんとつながりがあるというのは、心をほっとさせる。

自分の見える範囲、手の届く範囲で物事が完結する。地に足着いた暮らしができる。そういうことが豊かさの一つなのかなと思っている。

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だからと言ってみんながこれに共感して、同じようにする必要はないと思う。豊かさって人それぞれだから。

でも、もし今の豊かさに少し疑問を感じてる人がいれば、別の尺度があるということを伝えたい。

かくいう私も、今はどちらかというと都会に暮らしていて、別に農家をやっているわけでもない。でも庭で野菜を作ってみたり、ストーブでお湯を沸かしてみたり、漬物を漬けてみたりしている。近所の人にも挨拶はしてる。

少し自分の今の暮らしにエッセンスを加えてみるだけでも、安心感を感じられる気がする。

「豊かだなぁ」

まずはそう感じられる心づくりから。ゆとりのある暮らしの中で、できる範囲からちょっとずつ、豊かさを積み重ねてゆきたい。