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雑にもなれるほうがいい

わたしは自他ともに認めるまじめ人間。

適応障害についてネットで調べれば、まじめな人がなりやすいって書いてあるし、カウンセリングに行けば「もう少し雑に生きられると楽だよね」って言われるし。

まじめは長所じゃないの??
出来るもんならとっくに雑に生きてるよ
わたしの長所なくなるやん!


……この本☟に呼びかけられた気がしたので読んでみた。

まじめすぎる人が自分のまじめさに気づけるように、と
強めの言葉で表現されている部分が多々ある。
…耳が痛い痛い。

「全部できなきゃはうぬぼれ」
「わたしの代わりはいないもうぬぼれ」
「わたしは期待されているという思い込み」
などなど。


じゃあまじめを辞めろってことか?!
まじめな人も組織に一人くらい必要じゃないの?!

基本的にまじめなことはいいことだからです。どんなに雑な人でも、まじめになるときがあるからです。
つまり、雑になれる人の方が多様性があるし、寛容だということです。
雑になれない人ほど、自分の人生を狭い範囲でしか描けなくなっていくということです。

第4章 気の休まらない生き方にサヨナラしよう
p. 126

何となく分かってきたような。
まじめを完全に手放すのではなくて、雑さとまじめさを両方持てればいいのか。得意なことはまじめに頑張って、苦手なことは得意な人にぽんっと任せてしまうとか。人に頼ることが出来なかったのもまじめが関係してたんだなあ。

自分の意思を貫くことが苦手で周りの人に合わせてばかりなのに、親から「頑固」と評されていることが長年疑問だったけど、いかなる時でも宿題はきっちりやらないと気が済まないみたいな部分を指して言ってたのかも。(ちょっと違う?)


自分が頑張りそうになっている時は、本当に100%自分一人で頑張らないといけないことなのか意識して考えてみよう。

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