毒親③私を醜形恐怖にした毒親


※ルッキズム的な表現や考え方が多く出てきます。不快に思われる可能性があります。

※私もルッキズムは良くないと思っていますし、無くすべきだと思っていますが、それでも囚われてしまっている人間のお話です。

1 顔が気になってビデオ会議が無理


コロナ禍になってから、ビデオ会議や面接をする機会がすごく増えましたよね。

私、ビデオものすごく苦手なんですよ。

コロナ禍に面接を受けたことがありますが、zoom面接だった会社は全て落ちました。

なぜなら、画面にうつる自分の顔が気になって気になって面接に全く集中できなかったからです。


「うわぁ、私の顔不細工。。。」

「顔にめっちゃ脂肪ついてる、醜い。。。」

「表情まで不細工じゃん、ありえない。。。」

画面に自分の姿がうつっていると、こんなことしか考えられなくて全く集中できないし、楽しくありません。

自意識過剰すぎる、と通常の人は思うでしょうね。

それが醜形恐怖症です。


2   整形

正直に言いますと、私は顔を300万円以上かけて整形しています。


私は目が重たい一重で、蒙古襞がすごくはっていて、鼻が大きいのに低くて、、、不細工だと思っていました。


目も鼻も整形しました。


一番にコンプレックスだった鼻、二番目にコンプレックスだった目、両方整形したのに全く自分に自信が持てませんでした。


「まだまだ不細工だ、なにこの顔?無理」

そうとしか思えません。

1億円もしポンと手に入ったら、5000万円は整形に使う自信があります。

まだまだ私は醜くて、もっともっと整形しないと人に認められない。そう思っています。(認められる必要がないことは、頭ではわかっていますが...)


私の整形結果は、おそらく失敗と呼ばれる部類には入らないと思います。

客観的に見たら、整形前よりいわゆる世間的にいう普通レベルの顔面になったはずです。

それでも、自分で自分のことを肯定することができないのです。

整形は痛くて苦しくてとてもお金がかかります。

鼻を整形した時なんて、2ヶ月間鼻呼吸ができませんでした。

眉下切開という眉毛の下を切り裂いて瞼の重さを取る手術をしたときは、こめかみを矢で貫かれたような痛みに2日苦しみました。


普通レベルの顔面になったはずでも、どれだけ苦しもうとも、お金がかかろうとも、

「私はこれでいいんだ」

と思うことができません。


3  「綺麗じゃないと努力しても人に認められない」という考えを植え付けてきた毒親


私の母親は、芸能人等テレビに出ている人に対して、
その人がモデルやアイドルなど容姿の淡麗さを売りにしていない立場の人であっても容姿ジャッジをするひとでした。

その多くは容姿を批判するものでした。

「この人のどこが綺麗なの?」「顔がね、、、」「顔が嫌い」


よく覚えているのは、優秀な成績を残した女子スポーツ選手に対して、も顔の批判をしていたことです。

それを聞いて「綺麗じゃないと努力しても無駄なんだ」と心から思った記憶があります。


私に対して直接容姿を批判するような言葉を投げてくることはありませんでしたが、可愛いとも一度も言われたことがありません。

私が妙に察しがいいというのもありますが、

容姿ジャッジをしたがる母親が私の容姿については言及しない
→可愛いと思ってたらいうはず
→つまり私を可愛いと思っていない

ということに幼くして気づいてしまいました。

「あんなに綺麗だの不細工だのと評価する母親が私に対して可愛って言わないってことは、不細工ってことなんだ。これでも最低限気を遣ってるつもりなんだろうな。」


子供ながらにして気づいていました。


容姿が良くないと努力しても無駄と思っている母親に、可愛いと思われていない
=私が努力しても無駄と思われている

ということじゃないですか。

そんなの、不細工(と思われている)な娘の存在否定そのものじゃないですか。


4   傷は深い

私がもっと可愛ければ、大切にしてもらえたのかな、なんて昔は思っていました。

今はそうじゃないと頭ではわかっています。

私は醜くなんてないし、ルッキズムなんてクソである。

頭ではわかっています。知識としては飲み込んでいます。

それでも、子供の頃に植え付けられた考え方と、つけられた傷は無くならないんです。

現在はフェミニズムを知り、一生懸命この考えから脱しようと思っていますが、まだまだ時間がかかると思います。


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