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次のステージに

久しぶりにnoteを更新したくなった、というよりも、更新しておいた方が良い気がしている。振り返れば個人記録としてnoteを始めたのが8年前。当時はマレーシア在住・未婚、その後、マレーシア国内での転職、結婚、里帰り出産の予定がまさかの本帰国、札幌での就職、自宅購入、第2子出産と、30代あるあるの人生の一大変革期を過ごしてきました。
そして来年、2025年にまた一つ人生のステージが変わることになったのでそ
の記録を。子ども2人を連れてニュージーランド・オークランドに引っ越す予定です。

育休復帰とともに「やっぱり海外」


2019年に日本に戻って長女を出産し、2020年からベンチャー企業の事務職として仕事をしています。日本法人は調達や事務の拠点で、営業は海外法人が担う形態なので、日々アジアや北米からユニークな話が舞い込む環境。その海外をサポートする業務なのですが、現地からの話を聞くにつれ「そっち側に行きたい」気持ちが日に日に大きくなっていきました。
そんな中、2022年に次女を出産。育児休業から復帰する時、「この後、私は何を目標に働いたら良いんだろう」と感じる瞬間がありました。3人目という選択肢はないし、子どもは手がかかるとはいえ毎日確実に成長していく=自分の手は空いていく=仕事のアクセルを少しずつ踏んでいける、という状況に気がついた時、「やっぱり海外で働きたい」という想いがはっきりしました。人生に”海外”という選択肢を残したくて選んだ会社でもありました。

とは言え、具体的な形は全く描けない状況が続きました。夫は仕事もあるので一旦脇に置いたとして、子どもと離れて海外に行くことは考えられず、少なくとも子ども2人は連れて行く。けれど、保育園も学童保育もすべてが民間に委託される環境なので、子育てには日本以上にお金がかかる。そのお金を賄う収入を得るには海外拠点の責任者以外考えられない…けど、人をマネジメントして組織として売上を作っていった経験はないので、自分には壮大すぎるチャレンジ(かつワンオペ育児)でどうも現実味が湧かず。。。堂々巡りの状態が続いたものの、チャレンジしたい気持ちは変わらなかったので、『具体的な形は見えないけれど、”将来的に”ということで家族にも会社にも気持ちを伝えていこう』と思ったのが2022年12月でした。

なぜニュージーランドなのか


そんな中、会社としてニュージーランドという選択肢があることを知りました。聞いた時はピンとこなかったものの、「市場が小さいから投資は最小限に、スタッフ1人で回せるようなイメージ」と聞いた時に、やりたい!!!と猛烈に心惹かれ、会社に希望を伝えたのが2023年12月。元々自分ですべて見れる範囲で商売をやってみたいという気持ちもあり、1人ならマネジメントも不要だし、売上を作れたら子育て費用も賄えるかもしれない、と色々なピースがカチッとはまった瞬間でした。自分にとって必要な条件が揃ったのがニュージーランドだった、という流れです。
いわゆる”駐在員”という立場ではなく、現地法人の経営者なので日本法人は退職する形になります。日本法人に戻れる保障もないのですが、うまくいかなくても経済的に受ける最大のダメージは”今の仕事がなくなること”と整理できた時、そのリスクをとってでもチャレンジしたいと思いました。

芝生が綺麗で遊具もユニークだったオークランドの公園

家族の形


2024年に市場リサーチとしてオークランドに出張し、ほぼ進出することが決まりました。夫も「良かったね!おめでとう」と喜んでくれ、応援してくれていることは伝わってくる。「子どもにとってもなかなか出来ない経験だから」、と背中を押してくれている。けど、今の時点で夫が仕事をやめて帯同することは考えていないので、2歳・5歳(来年3歳・6歳)と可愛い盛りの娘たちと離れる寂しさはとても大きく、その点は本当に申し訳なく感じています。
時折、自分がやりたい事のために家族の形を変えて、夫にも子どもにも負担をかけて本当にそれで良いんだろうか、今も十分幸せなのに、、、とマイナスに考えることもあります。けれど、家族を理由に計画を止めたら数年後に後悔することも目に見えている。なので、事業や生活が軌道に乗ったタイミングで夫も来てくれないかな、、、というのが少し先の未来の希望です。そのために自分ができることは売上を作ること、家族みんな心身ともに元気に暮らす土台を作ること。まだ何も始まってもいないけど、そんな風に考えています。

NZはビーチが多い。子どもたちと遊びに来る未来を想像する

人生前半戦の総仕上げ

出発まで1年。これからも仕事、家族、自分の気持ちと色々な変化を乗り越えてからの渡航になると思いますが、できる限り気持ちを書き残しておけたらと思っています。
(サラリーマンとはいえ)子どもを連れて海外で事業の立上げ・運営となかなか大きなチャレンジ。大げさではなく人生で1番大きなチャレンジかなと思ったりします。30代後半でこの変化を楽しみ、良い状態で40代を迎えられたら万々歳で人生の後半戦に突入できるはず。今はそこに向かって日々暮らしています。
8年前に設定した「アジアで暮らす。」という名前。”アジア”から出ることはそうそうないと思って設定したのですが、まさかの圏外。新しい名前、考え中です。