みんな頑張っててえらい

宙組大千秋楽が近づいてきましたね。
私は今私生活が忙しくて、SNSは一旦お休みしている状態。だから東京で何が起こっているのかさっぱりわかっていない。贔屓の前髪ガチャも全然知らない。本当は毎日Twitterをチェックしたいところだけれど、趣味のために人生を犠牲にしてはいけないのでグッと我慢している。
ああ…今日はどんな素敵なことが起こっているんでしょうか…まあそれはいいとして、大千秋楽まで無事駆け抜けていけることを願う日々。

こんなにも色んなことを考えた作品は初めてだった。素晴らしい作品に出会えて幸せだ。

元宙組の花音舞さんの退団挨拶が大好きで、今もよく思い出しては励まされている。
「夢は、叶えるためにあるもの」
シンプルでとてもいい言葉。ハツラツとした彼女が発するこの言葉には清々しいほどの説得力があった。
タカラジェンヌたちは皆、一度夢を叶えているはずだ。タカラジェンヌになりたいという夢。
そしてその後自分なりに様々な夢を見て、その夢が目標となって、現実的に少しずつ叶えているのだと思う。叶った夢、叶わなかった夢、そしてそのために歩いた道のりこそが、なによりも尊い財産なのだと、誰かが言ったその言葉にすごく心打たれた覚えがある。

今回の雪組公演でも朝美さんが演じる春児がこう言っていた。
「夢をめぐんでもらった。それは粥や豆なんかよりもずっと価値のあるものだった。」
これにも心打たれた。夢があるから人は頑張ることができる。そして自分の運命を必死で手繰り寄せることができるんだなあと思った。

この前も書いたけど、転職することにした。今まで必死でしがみついていたけれど、もう色々限界だし本当にやりたいことではないと気づいてしまったから。
第一希望の会社だった。入ってからも誇りを持っていた。がむしゃらに頑張って、些細な夢をひとつひとつ叶えるために毎日必死で働いた。
だけど、研究所で商品開発をしている同期が「私は自社商品が大好きでたまらない。好きで好きで、自分で作り出したくて今の仕事を選んだ。」と言っていて衝撃を受けた。私は違った。自社商品はもちろん好きだが、それよりも社会的な信頼や安定した給料、そしてそこで働くことで得られる高揚感や自信が好きだったのだ。
物事って、このくらいシンプルでいいのだな。
シンプルなのは美しいな。と思った。
もちろん給料や福利厚生を第一に考えるのは悪いことではない。だけど私は、同期のその言葉が好きだと思った。

留依蒔世さんのことばかり書いてしまって恐縮だが、先月のグラフにサヨナラインタビューが載っていた。そこに書かれていた一文が好きだ。
「個性的で激しい役を立て続けに頂いて。始めは誰しも真ん中を目指すと思うのですが、私に求められているのはきっとここなのかなと」
真面目で努力家で真っ当な大人の言葉だ。
誰でも夢は持っているはずだ。目指す道を求めるはずだ。それを目指してがむしゃらに頑張ったその先に、その道を極めることができる場合もあるだろうし、頑張ったからこそそこではなくて違う道が開けることもあるだろう。
もしその夢が実らなかったとしても、それを夢見て頑張り続けた日々は自分の人生を豊かにしてくれるはずだ。
やる前から諦めるのでは見えない。力の限りやったからこそ、その道を潔く退くことができるのだ。
不完全燃焼ではない。完全にやりきったのだ。
タカラジェンヌと自分の人生を重ねて考えるのはあまりにも恐縮だが、私も私なりにずっと頑張ってきたなと、すとんと腑に落ちた。

宝塚の舞台って、端っこの方の方々まで全員ビシッと美しくて楽しそうで素晴らしいですよね。
例えばその中で真ん中に立てないから、路線じゃないからなどと考えて気を抜く人がいたとしたら、舞台のクオリティは一気に下がるはずだ。いつでも最高の舞台を私たちが見れるのは、端の端、後ろの人、全員が真っ当な大人で、自分に与えられたものに真面目に向き合って真剣にやってらっしゃるからなのだと思う。
会社で働く私たちだって、全員が出世したりやりたい仕事ができるわけじゃない。それでもくさらず、きちんと真っ当に仕事をしている。だから電車は時間通りに動くし、食べ物はいつでもスーパーで買える。コツコツと生きる真面目な大人たちが、この世を支えているのだ。
そして私たちが真面目に仕事することと、タカラジェンヌたちが真面目に舞台に取り組むことに何も差異はないと思う。
同じくらい頑張っている。求めたものが手に入らないからって仕事を投げ出したりしない。その中で自分ができる最大限のことをやろうと努力している。
本当にみんなえらい。宝塚って、やっぱり最高だ。