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20年目の今日だからこその、 『グラウンド・ゼロからの祈り』 (ジェームズ・R・マグロ―)

『グラウンド・ゼロからの祈り』とは

ニューヨーク世界貿易センタービルの跡地、「グラウンド・ゼロ」と呼ばれるようになったあの場所からほんの数ブロック離れたところに、アメリカ最古のメソジスト教会「オールド・ジョン・ストリート・合同メソジスト教会」があります。ビルの狭間で守られ無傷だったその教会は、あの大惨事のあと、救出活動に携わる人々、来訪者、ウォール街関係者のための避難所、情報収集拠点、そして精神的なケアを提供する拠点となりました。

当時この教会の牧師だったジェームズ・R・マグロ―師(Rev. James R. McGraw)が、5日後の日曜日の礼拝から捧げ続け、人々に語り続けた説教と祈りがとても素晴らしいものだったので、合同メソジスト教会が10週分の祈りを1冊の本にまとめ、『Prayers from Ground Zero』(2001年)として出版しました。

その後、2004年に訪米中だった日本の牧師がこの本に出会い、ぜひ日本語に翻訳したいと掛け合って、自身の教会の信徒8名の翻訳協力のもと日本語で出版されたのが、この『グラウンド・ゼロからの祈り』です。私自身も、監訳者として指揮を執った義父に誘われて、この中の一部(第7日曜日)の翻訳を担当しました。

あの日の直後に牧師が何を語ったか

今日、あの日から20年の節目にあたってこの本のことを思い出し、久しぶりにぱらぱらと読んでみました。あれから2カ月間のアメリカ、そしてニューヨークの出来事が、祈りの中にも赤裸々に語られ、胸が痛くなるほどです。大きな衝撃、人々の嘆き、遺体の山、愛国と報復の叫び、疑心暗鬼、検問、米軍によるアフガニスタン空爆、炭疽菌テロへの恐怖、追悼の意味を帯びたNY市マラソン、救出活動縮小への悲嘆…。

けれども今回読み返して私が最も衝撃を受けたのは、惨劇の直後の第1日曜日から既に、自分たちの受けたテロ攻撃を冷静に見つめる眼差しが、明確に語られていたことです。そして、ヒーロー扱いされた消防士や警察官たちの献身を、人々が自画自賛の道具にすることへの警鐘も。

  仕返しと報復を立法化せよと要求する怒りの声が、悲劇の現場からワシントン・ナショナル大聖堂の説教壇に至るまで鳴り響いています。私たちの都市と国に対するテロ攻撃を、大統領は21世紀最初の戦争と表現しました。でもそれはあたかも、世界中の他の戦場は無視できて、私たちの仲間である人類家族の他のメンバーたちが受けている虐殺の悲劇は重要でないと言っているように聞こえます。そこには自らに課した無邪気な孤立へ、是が非でも戻ろうとする衝動が見て取れます。
(中略)
  消防士、救助隊員、警察官、全国から駆けつけたボランティアによる犠牲的な献身、ニューヨーク市全体に見られる分かち合いと思いやりのほとばしり、これらは紛れもなく、最高度に発揮された私たちの「聖なるイメージ」*です。けれども、それが人類家族全体に共通する普遍的な特性ではなく、アメリカ人およびニューヨーカーが粘り強く、決断力に富み、約束を守り、意志が固いことの証拠だと自画自賛するなら、そのイメージも汚され価値を下げるのです。(『グラウンド・ゼロからの祈り』pp.14-15)
〔*神の似姿(divine image)としての人間のイメージのこと。この引用箇所の前で、そのことが語られています。〕

アフガニスタン・イラク戦争と似ているのは…

どの週の祈りにも、あらゆる苦しみと嘆きに寄り添い、救いと導きを求め、人々を励ますすばらしい言葉が散りばめられているので、本当なら全文を引用したいところなのですが、もう一つだけ敢えて選んで紹介するなら、巻末に収められた「日本の読者のみなさんへ」というマグロ―牧師の(2004年現在の)言葉を挙げたいと思います。

9.11後にアフガニスタンとイラクで米軍が行った戦争は、よくベトナム戦争にたとえられますが、マグロ―牧師は、むしろ日米が戦った太平洋戦争に似ているのではないか、と言うのです。少し長いですが引用します。

…〔日本語版出版を知って感じた〕その謙虚な気持ちとは、日本とアメリカ合衆国とが、共にその歴史に深く刻んだ傲慢と苦しみを忘れることができないからであります。
 それは〔真珠湾での〕奇襲をした側、およびされた側の反撃の歴史であり、その結果罪のない人々が苦しみを押しつけられ命を奪われた歴史でもあります。(中略)その真珠湾攻撃以来続いた四年にわたる戦争で、両国の軍隊は悲惨で厳しく、耐え難いほど多くの死傷者を出しました。しかし非戦闘員だけに限るなら、戦争の被害と死の苦しみをほぼ一方的に被ったのは、アメリカでも日本においても圧倒的に日本人を先祖に持つ人たちでした。
 アメリカでは日系人が権利と尊厳を奪われ、収容所へと駆り立てられました。日本においては、広島と長崎が何十万もの一般市民の火葬場となりました。奇襲攻撃の傲慢から始まった戦争は、文明史上未曾有の原子力による奇襲大量殺戮という傲慢によって、終末を迎えたのです。
 こうした六十年前のこだまやイメージは、痛ましくも現在の重大な社会問題と関連しています。今日のアメリカには、対イラク(そしてアフガニスタン)軍事介入を、かつてのベトナム侵攻に重ねて考える月並みな社会通念があります。しかし、その傲慢および罪なき人々の虐殺と被害における両国の不釣り合いを見るかぎり、ベトナムよりも「私たち日米」が共有する苦しみと恥の歴史の方こそ、類似性と関連性が高いと私には思えるのです。
 収監された人たちの権利と尊厳が、疑いと気まぐれの犠牲にされるのは、グアンタナモやその他の場所にある監禁センターでは日常茶飯のことです。そしてそれらの施設が第二次世界大戦中、アメリカの西部各地に作られた強制収容所と酷似していることは明々白々です。米政府がテロに対する宣戦布告の中で先制攻撃を宣言した結果、イラクとアフガニスタンの双方で限りなく不釣り合いな数の民間人犠牲者が出ている(出続けている)ことも紛れもない現実です。
  テロリストと対テロ戦争の中核には、人間の自負心と思いこみによる傲慢があります。それが最も破廉恥なかたちであらわになるのは、対決している双方の戦争遂行者が「神の意志によって」と口にする時です。(pp.63-65)

マグロ―牧師のこと

さて、マグロ―牧師についてちょっとネットで調べてみたのですが、あまりたくさんの情報は出てきませんでした。もともとマジシャンになるつもりが神学の道を志すことになり、1960年代には公民権運動にも関わりセルマの大行進にも参加していたそうです。コメディアンのディック・グレゴリーとの共著も多数あり、グレゴリーと共に1964年のクリスマスに、ミシシッピの20,000もの貧困家庭に七面鳥を送り届けたというエピソードも残っています。

67歳だった2003年にはこの教会の牧師を引退し、残念ながら2012年に亡くなったようです。生きておられたら、20年後の今日の様子をどのように見つめていたことでしょう。

私自身はその後2015年にニューヨークを訪れる機会があり、グラウンド・ゼロにできたばかりの追悼記念博物館を友人と共に訪ねました。人々の痛みと悲しみに満ちたその場所で、さまざまな思いが溢れました。でも、すぐそばにあるあのオールド・ジョン・ストリート・合同メソジスト教会を訪ねてみることを、そのときに思いつかなかったのが残念です。

20年前のあの場所で、こんな風に力強く祈りを捧げた牧師さんがいたことを、皆さんに知っていただければと思いました。絶版かなと思いましたが、まだ入手できるようです。薄くてすぐに読める本です。良かったら読んでみてください。



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