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私たちは既に持っている

学生時代、無駄に筆記具を買っていたように思う。
なんと愚かなことかと今なら思えるのだが 
当時はなぜか次々にカラフルなペンを買い、
様々なデザインの鉛筆やら消しゴムやらを買っていた。

そもそも消しゴムなんて、1個使い切るのに
何年かかるんですかっていう量なのだ、本来は。
よほどの大画面に鉛筆画を描いて、それをゴシゴシ消します
なんてことにならない限り、
消しゴムはそんなに消耗しない。

実家の片付けでも、大量の筆記具が発掘された。
使えるものは大切に使うために持ち帰り
インクがカピカピに乾燥して使えなくなったものは廃棄した。

もはや一生かけても使い切れないのではないか
と思うくらいの筆記具がある。

よほどのことがない限り、
鉛筆と黒のボールペンと消しゴムを
新たに買うことが無いように
よくよく注意して生きていきたい。

今年になってからより一層肌で感じられるようになってきた
物価高に伴い、身近な買い物を節約するような動きが
目に見える形で影響を与え始めてきたようだ。
何かを販売している友達は価格の手頃なものですら全く売れないと嘆き、
飲食店も思ったような売り上げ回復にはならないと苦戦している。

それもそのはず、ここ最近は全体的に
なんとなくお金を使いたくない空気が流れているのだ。

そこまでの悲壮感を持っての節約ではないにせよ
前なら躊躇なく買っていたものを
今日はやめておこうかな、という軽い気持ちで
買い控える。

これの繰り返しなのだ。

「経済が回らない」という話も聞くし、
買い控えや外食控えはそういうことになるなとは思うものの、
実際として「我が家の家計が回らない」のだから
社会の経済なんて回している余裕はないのだ。

さて、しかしである。
ここでよく考えてほしい。
私たちは、何かを買わなければ
本当に豊かな暮らしができないのだろうか。

家の中をよく見てほしい。
おそらく私たちは、もうすでに
十分持っているはずだ。

我が家の例を見ても
筆記具は一生困らない量が家にすでにあり、
買う必要はない。

服だって、今から急に1ヶ月の旅行に行きますよ
と言われて、目の前にあるものをカバンに詰めるしかなかったとしても
全く問題なく旅に行ける量の衣類が
すでに家にあるはずだ。

それなのに春だから、セールだからという理由だけで
買い物をする。
もう十分に持っているにも関わらず。

そしてお金が減ったと嘆く。
それはなんだか奇妙なことではなかろうか。

今自分がすでに持っているもので
十分に満足して、豊かに暮らせるのだということに
気がつくべき時がきたように思う。

新しいものは買わなくても
幸せだし、満たされている。

鉛筆はギリギリまで使い尽くす。
SDGsとかそういうことじゃなくて、
もっと根本的に社会に買わされてきた自分の心の状態と
これからどう在りたいのかを
真剣に考えていけばいいだけなのだ。

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